第8話 リズ・ミネルバは三大悲劇がお好き

 日本の学校で卒業を済ませた夏帆にとって、授業は退屈なものになるであろうと予想していた。しかし、イギリスの授業には日本で学ばない学問もあり、どれも興味深かった。


 リズ・ミネルバによる魔法芸術学もその一つだった。授業では、ウィリアム・ピアーズによる三大悲劇を取り扱っていた。


『呪いの指輪』

 ルーシーには思い人がいたが、その人は既に故人だった。ある日、ルーシーは、死者を甦らせる呪いの指輪を右手の人差し指にはめた。ルーシーは思い人に告白したが、振られてしまい、セーヌ川に入水自殺した。


『王妃の不倫』

 ある日、王妃は自身が監禁されていることに気がつく。それは、不倫が国王にバレたからだった。王妃は国王の目の前で、勿忘草のカップに入った忘却の水薬を飲まされる。不倫相手も、不倫の事実も全て忘れた王妃は廃人となり、見かねた国王は王妃を手にかける。


『合わせ鏡』

 国王と突然あがめられた居酒屋の店主の息子は、戦争にかりだされるが、あえなく捕まってしまう。牢獄の中で、自分はかつて暴君で、悪魔と契約していたことを思い出す。かつての王妃に騙される形で、暴君は、合わせ鏡に封印される。


「この作品は、3種の至宝、呪いの指輪、勿忘草のカップ、合わせ鏡が、それぞれモチーフとされています。現在、勿忘草のカップがポーフォート家によって保管されていることがわかっておりますが、それ以外の行方は知られておりません」とミネルバは教科書を読み上げた。


 ミネルバの話し方は子守唄のようで、そのほとんどが授業中に寝てしまっていた。4年生は、8人。先生にもすぐバレるというのになぜなのだろう。日本ではあり得ない光景に驚いた。


「王妃の不倫においての王妃の発言、『インキュバスに襲われたのです』というのに関して、このインキュバスとは何を指していると思いますか?あら、ノア・ブライアさん何かあって?」


 ノアは手を挙げていた。


「インキュバスは確かに存在します。しかし、この不倫がバレ、国王への申開きの場面では、インキュバスに襲われた、と嘘をついて言い訳をしているのだと思います。実際、この時代には不倫がバレた際の言い訳としてよく使われていたと言われています」とノア。


「ノアさん、意見を出していいとは言っておりませんよ」とミネルバ。ノアは驚いた顔で、スティーブに目配せをした。


「では次に合わせ鏡に関してです。この合わせ鏡への封印というのは、悪魔を唯一倒す方法であると言われています。実際に悪魔を封印した例は過去にありますが、その封印が解かれる条件はいまだ見つかっておりません。はい?」


 夏帆が振り向くと、デヴィアン・ヴォルガンがクスクス笑いながら手を挙げていた。


「先生、俺、ウィリアム・ピアーズって嫌いなんですよね。なんかうさんくさくないですか?」そういうと仲間たちもクスクスと笑い始めた。


「あ、僕もそう思っていました」

 部屋の隅の方で静かに授業を受けている青年がいた。皆その青年の一言にしんと静まり返った。


「なんだか、この人の作品、私小説のように見えます。話の内容は面白いけど、小説としてセンスがあるとは到底思えない。現実を無理矢理物語に作り変えているようで、何か嘘をついているように思える」

 自分で言うのもなんなんですけど、と青年は言った。


 デヴィアンは、吐きそうなまねをしてみせた。その様子にピーターが怒り、スティーブがピーターを宥めた。


「ハイド・ウィルソン。あなたはご自分の作る舞台があるでしょう。なぜウィリアム・ピアーズの作品を選ぶのです?」


 ハイド・ウィルソンという名前にピンと来た。イギリス魔法界で有名な劇作家だ。20年以上も前に舞台化された合わせ鏡をミュージカルとして再編成し、大成功を収めた人物だ。舞台女優を目指していた直美も大ファンだった。その正体は19歳の学生であることに夏帆は心底驚いた。


「僕は、ウィリアム・ピアーズというより、合わせ鏡に興味を持ったんです。どうみても合わせ鏡だけ異色の作品ですから。なんというか、三作品をなんとしても作るためのやっつけ感というか。だからこそ、真意を知りたかったんです。20年前の舞台版で唯一出てくる楽曲は最高傑作。せっかくなら全てミュージカルにしてしまおうという魂胆です」


「あなたもそう思いますか。私も何度読んでもこの合わせ鏡だけはどこか異質に思えます。むしろ、これは異質ですよと自ら主張しているかのようにも見える。それでは授業中寝ていたヴォルガンとエバンズは、今日の授業の感想を、羊皮紙3巻き分書いてきてください」


 まじかよ、あのクソミネルバ、なんて声が聞こえた。授業の治安の悪さに夏帆はため息をついた。


 夏帆は授業後、ミネルバに質問をしに行った。


「悪魔と契約の例って例えばどういうものですか?」と夏帆。


「そうねぇ、そのあたりは歴史の先生の方が詳しいと思うけど、中世の頃は悪魔と契約する者もたくさんいたみたいよ」


「契約者とは見分けられるものなのですか?」


「いい質問ね。それは物語にも出てくるわ。あなた寄宿生でしょ。今夜私の部屋に来なさい。ゆっくり語りましょう」


 ミネルバはそういうと部屋を出て行った。親衛隊の会議とは違い、ミネルバは夏帆を受け入れているようだった。教師としてのミネルバは、親衛隊としてのミネルバとはまるで別物だった。

 

 あいつどこ行きやがったって言いながら、デヴィアンは、外に出て行った。夏帆も追っていくと、デヴィアンは中庭でハイドを押し倒したのか、ハイドは地面に強く打ち付けられたまま座り込み、持ち物の教科書とノートをあたりに撒き散らしていた。


「おいてめえ!」とピーター・エバンズが追いかけると、杖を振ってデヴィアンを吹き飛ばした。デヴィアンは土を払い除けると立ち上がって杖をピーターに向けた。おーやれやれ!という観客の歓声が聞こえてくる。


 デヴィアンは火の玉をピーターめがけて打ち込んだ。ピーターの胸に火の玉がドンとぶつかった。キャッというノアの叫ぶ聞こえた。


「なんてね」とピーターは言うと、何事もなかったかのように立ちすくみ。火の玉を目の前で弄んでいた。「粘膜で煽ったんだよ。熱は穏やかに冷やされながらも沸騰し、より粘着力が高くなる」


 そういうピーターはデヴィアンに打ち返した。デヴィアンに粘膜のある玉がぶつかり、倒れた。「あっつ!」と叫びながらも、なかなか玉を取り外せない。ピーターはあはははと大声を出して笑った。


「魔法ってのはな、頭使って使うんだよ!俺はあの時ロビン・ウッドに勝った、ピーター・エバンズ様だぞ」


「だから何!」そういうと夏帆は、遠目から魔法を放ち、玉を粉々に砕いた。周りにいた皆がその様子を見て、一歩後退りをした。「学校で人殺しでもするつもり?ノア、あなたもよ。見てばかりいないで止めなさいよ!」


 くそっと言いながらデヴィアンは去って行った。野次馬の皆もその場から立ち去った。日本において決闘は、宣戦布告をし、相手が受領したら、日時、場所、審判を決めて、安全配慮の上で行うものだった。何もかもが違いすぎる。


「何で私だけ名指しなのよ」とノアはいうと、ピーター、スティーブと共に、昼食を取りに大聖堂へと向かった。


 夏帆は、ハイドの元に行くと、手を差し伸べた。「大丈夫?」


「ああ」

 ハイドは制服を軽く手で叩くと、その土がさっと落ちた。


「あなたもしかして、わざと倒れたの?」と夏帆は言った。


「なんでわかったの?」とハイド。


「だって、この呪文、悪戯用だけど強力な呪文よね。通称、絶対落ちない泥まみれ呪文、だっけ。それなのに泥が簡単に落ちたってことは、魔法が当たっていなかったにも関わらず、まるで当たったかのように見せかけていたってことよね」


 夏帆は目の前で起きていることを1つ1つ紐解くように口に出して言った。やっていることが、竹内直人の妹、竹内夏海と同じだった。夏海もまた、兄を差し置くことがないよう、昨年までは学校で常に能力を隠していた。


「よくわかったね」とハイドはにこりと笑った。「お礼に一ついいことを教えてあげるよ。リズ・ミネルバとはあまり仲良くしない方がいい。みんな嫌いだから、今度は君がターゲットにされちゃうよ」


「仲良く?ああ、私が質問していたから?」


「そう。媚び売ってるって思われるよ。何せ、彼女はどちらかというと政府側の人間で、ピーターたちが尊敬するパウエル校長とそりがあわないらしいんだ」


「心配ありがとう。でも私、そこまで弱くないし、孤独は慣れている」と夏帆は言うと、ニコリと笑った。


 授業の終わる15時、夏帆はリズ・ミネルバの居室に伺った。リズ・ミネルバの部屋は、黄色で統一されていた。棚には様々な本が多量に置かれている。中には人間界の作品もあるようだ。ミネルバは、夏帆を先に促すと紅茶を出した。


 ミネルバの机の上には、古びれて黄色く撓った紙が多数散らばっていた。紙からは少しばかり埃被った匂いがする。イギリスでも、羊皮紙ではない紙も存在することに夏帆は驚いた。


「それで、夏帆さん、あなたの質問は、悪魔との契約をどのように見分けるか、でしたね。合わせ鏡に出てきます。赤い目、暴力的な性格、強力な魔力。主人公は牢獄で自分自身を見つめ直し、自身が悪魔と契約したことを思い出すのです。それは、自己分析とも言えるでしょう」


 ミネルバの高い声は授業と同じく眠たくなった。


「現代にもそのような人がいたら、悪魔と契約している可能性があるということですか?」と夏帆。赤い目を、イギリスに来てからどこかでみたような記憶があった。


「ええ」とミネルバは言った。


「悪魔は、存在するのでしょうか。イギリスに来て、こちらの歴史の教科書で悪魔の歴史を見て驚きました。日本には存在しなかったので、日本では習ったことはありません。悪魔はほとんどが中世の間に捕獲されたとある。現代にいる可能性は?」と夏帆。


 ミネルバは、顔を顰めてから、何かを考えているような間があった。


「そのあたりは魔法生物学の専門家に伺った方がよさそうね。アリス・ロウエル氏におつなぎしましょうか」


 アリス・ロウエルは生物学の第一人者だった。多くの著書があり、夏帆もその存在を昔から知っていた。


「ありがとうございます。ぜひお願いしたいです」と夏帆は言った。


「あなたみたいに古典文学に興味を持つ学生は珍しいのよ。話し相手が見つかり嬉しいわ」とミネルバは言った。ミネルバは芸術に関して話している時はいたって穏やかなのだろう。それがあの会議の時との態度の違いだ。


「呪いの指輪という作品を初めて知った時から、どこか胸に引っかかるものがありました」


「あら私と同じね。ねぇ、あなたは呪いの指輪のルーシーに関してどう思う?」


「どう、というと?」


「なぜルーシーは死を選んだのだと思う?」


「好きな人に振られたからですかね?それだけで死ぬのは少しもったいない気がしますけど」


 ミネルバはクスりと笑った。「あなたはまだお若いのね。私はちょっと違うと思うのよ。ルーシーは、自分の恋心を、思い人に知られた事実が耐えられなかったのではないかと思うの。それで恥ずかしくなって自殺したのよ」


「なるほど」


「だめだめ。あなたの意見を聞きたいの。ずっと生徒に聞いているのだけど、答えてくれる人がいないの」


 かつてギルド伯爵も、人の意見で納得せずに自分の意見を言え、と夏帆を指導したことを思い出した。


「私はまだ恋をしたことがありませんから、よくわかりませんね」と夏帆は言った。


「あらそれは残念ね。恋をする前と後では読み方が全然違うわよ。また恋をしたら、感想を教えにきてくださらない?」


「ええ喜んで」


 夏帆はそう言うと、ミネルバの部屋を出て行った。


 部屋から出ると、夏帆はバケツいっぱいの水を被った。クスクスと笑うピーター、スティーブ、ノアがいた。


「ガリ勉かよ」とピーターは言った。その目は赤く血走っている。「勉強なんて必要あるか」


 あるよ。残念だけど。お金を得るためには必要。この世にあるお金は限られていて、それを奪い合っている。奪い取るには能力が必要。でもその社会の縮図を誰も教えようとしない。自らの特権が奪われかねないから。私はそれをあなたたちに教えるほど、お人よしじゃない。


 夏帆は杖を一振りすると、髪を一瞬で乾かした。


「なぜ私に執着するの?」


 ピーターは急に落ち着き払い、3人はその場から去っていった。


 校舎を抜けた先の丘の上に、小さく白い教会が立っていた。教会の周りには、もみの木が2本植えられている。夏帆は吸い寄せられるように、その教会へと足を向けた。


「ここで何をしているのかな?」


 後ろからの突然の声に驚いて振り向いた。そこには、騎士の姿をし、大きな髭を蓄えた男性が立っていた。夏帆は瞬きを何度もした。半透明の体はどう見ても亡霊としか思えない。夏帆は恐怖のあまり、声を出すことさえもできなかった。


「おや、見ない顔だね」亡霊はニコリと笑った。


 夏帆はロボットのようにゆっくりと後退りをした。


「待って待って僕はそんなに怖くないよ!君は転校生かな?この学校の亡霊、サー・ウィリアム・イースターだ!」


 アッハッハと、亡霊は声をあげて笑った。


「さっ、サー?ってことはナイトか何かの称号をお持ちということでしょうか」


 夏帆はぎょっと目を見開いたまま、辿々しく声を絞り出した。


「そうだとも!ナイトの称号をヨーク朝からもらったのさ!私のことはサーウィリアムと呼んでくれ!」


 亡霊は元気よく空へと舞い上がると、機嫌良くくるくると回り始めた。夏帆はさらに体を硬直させた。


「それで、どうしてここへ?」と亡霊。


「ごっ、ごめんなさい!私別に、綺麗な教会だなと思っただけです!」


 夏帆は寄宿舎に向かって一目散に逃げた。亡霊は夏帆の様子を、キョトンとした目で見つめていた。

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