第7話 英国のスパイ

 始業式の日となり、ここ数日の違和感を夏帆はやっと理解した。ずっと不思議でしょうがなかったのだ。寄宿舎で誰1人見かけなかったことが。そして、寄宿舎の生徒でシェアして使うはずの洗濯機に、夏帆以外の衣服が回っていることがなかったことが。


 始業式の日、全校生徒が集まるはずの大聖堂に開始時刻にいたのは、およそ30名だった。舞台の上に立つ校長、アーサー・パウエルは、「昨年の今頃は、かの襲撃で多くの生徒を失った」と始業の挨拶を述べていた。つまり、これで生徒はすべてなのだ。かの襲撃が、ロビン・ウッドによるものであることを、夏帆はすぐに理解した。


 生徒たちの中に、ピーター・エバンズを見つけた。ピーターは、ロミオの家で見た2名と一緒に端の方に固まって突っ立ち、夏帆をチラチラ見ながら何かを話していた。


「では高橋君、挨拶を」


「え?」


 夏帆は人数の少なさに言葉を失い、話を聞いていなかった。パウエル校長に手招きされ、夏帆は聖堂の舞台へと登った。


「自己紹介を」とパウエル校長は小声で言った。


「高橋夏帆です。日本から来ました。よろしくお願いします」と夏帆は言って一礼した。


「あー、ほんとなんだな」と金髪の青年が言った。「日本人は礼をするって」


 青年が夏帆のモノマネをすると、その周りの人たちがくすくすと笑った。

 

 夏帆は、青年の目を睨むと、魔法で青年の心の奥底へと入った。青年の名は、デヴィアン・ヴォルカン。父親は男爵。デヴィアンは庭に孔雀を飼う豪邸に住んでいる。屋敷では、彼の父親と思われる男が怒り、デヴィアンは泣き、母親が慰めている。そのすぐ近くの机の上には割れた花瓶。きっと少年は花瓶を割り、父親はそれに怒ったのだ。夏帆は杖を取り出すと、その花瓶を元通りに直した。


 夏帆は現実世界へと意識を戻した。それからデヴィアンに、にっこりと笑いかけた。彼は先程とは打って変わり、呆然とした表情をしていた。


「いっ、違法だぞ!心の中に入るだなんて!」とデヴィアンは叫んだ。「治外法権って知ってる?」と夏帆はデヴィアンに言った。夏帆はちらりとパウエルを見た。パウエルは興味深そうにこちらを見てニヤリと笑っている。夏帆は舞台を降りていった。


 アーサー・パウエルの挨拶のみで始業式が終わりだった。先生方が退場すると、生徒たちは突然ザワザワと騒ぎ始めた。


「学生だったんだな」とピーターの皆に聞こえるような大声は聖堂で何倍にもなって響いた。いくらか棘のようなものを感じる言い方だった。あの時、鬼から助けてあげたくせに、と夏帆は言いたかったが抑えた。


 エバンズの知り合いかよ、と呟いて舌打ちをしながら、デヴィアンは聖堂を出て行った。


「俺はデヴィアンは嫌いだが、なんで違法手段に出た高橋さんが懲罰の一つ受けないんだろうな」


「証拠がないからよ。彼女が魔法を使ったのかどうかさえも、私たちわからなかったじゃない」隣にいた、女性が眉をひそめてつぶやいた。


「ノア!」とピーター。


「初めまして。ノア・ブライアです」ノアが夏帆に挨拶をした。


「初めまして。僕は、スティーブ・スミスです」ピーター、ノアと共にいた青年は握手を求めた。夏帆もそれに応じた。


 ピーターがふんぞり返って大聖堂を出て行った。


「すまない、ピーターはちょっと、その、人見知りで……好戦的なんだ」とスティーブは言うと、ノアと共に、ピーターの後をついていった。


 1人、取り残された夏帆。これでは日本にいた時と同じだ。何も成長していない。これでは仕事もやりずらい。


 夏帆が大聖堂の外に出ると、すぐに殺気を感じた。夏帆はぴたりと歩みを止めた。


「私に何かご用でしょうか、先生」


 黒のローブに顔に竜のような面をつけた男性が佇んでいた。ロミオの家の集会には来ていなかった人物だ。


「流石、マランドール。始業式早々派手にやらかすね」とその男性は言った。


「なぜ、その名を」と夏帆。


 マランドールは日本魔法魔術学校首席の称号だった。夏帆はローブのような黒の制服の中で、杖をぎゅっと握りしめた。


 男性は杖を振ってそっと面を取った。


「立川さん!」と夏帆は目を見開いて大声を出すと、さっと杖を構えた。


「待って待って」と立川は両手を上げると笑った。


 彼の名は立川大志。日本の学校でJ.M.C.所属の、5個上の先輩だった。卒業後は公安警察として働いていた。


「立川さんって、日本に潜り込んだイギリス政府のスパイですよね」


「まぁまぁ、そう大きな声で言わないでくれよ、夏帆ちゃん。当時君に正体を見破られたから、仕事を辞めざるを得なくなったんだよ」


 夏帆は立川を睨みつけたまま杖を構えた。


 ちょっと座って話そう、と立川がいうと、2人は中庭へと移動し、ベンチに腰掛けた。


「あなたの言葉なんて何も信じられませんよ。あなたには2度も騙された。1度目は、1年生の時。竹内直人に気をつけろだの、学校での処世術を教えてくれる優しい先輩だと思っていたのに、あなたはJ.M.C.の幹部で私を常に見張っていた。2度目は公安になったあと。あなたはJ.M.C.の秘密を暴露し、親友を警察に売った」


「そう流暢に話さないでくれよ、罪悪感を植え付けられるようで苦しくなるじゃないか」と立川は再び笑った。「仕方ないだろ、仕事だったんだから。それに、J.M.C.のやっていたことは明らかな悪事だったじゃないか。正義感振り翳されても困るよ」


 そう言われると夏帆は何も言い返せなかった。J.M.C.は竹内直人の父親、竹内義人の組織する暗殺集団だった。そのターゲットは竹内家の政敵。罪悪感に苛まれた直人は、クーデターを決行し、義人は殺された。直人と近しくなっていた夏帆はその作戦に参加していた。


「この人、亜人よ!魔法なんてつかえやしない」と義人に向かって叫ぶ夏帆。


 驚く慌てる直人の目の前に、直人とは不仲だった妹の夏海が突然姿を現し、義人に死の呪いを放った。


 高級魔法薬トランクをくれたのは夏海だった。父親、義人の命令で夏帆は夏海に何度も命を狙われていた。その贖罪だろう。トランクは竹内家のものでないと買えないくらい、高価なものだった。


-親友と言って欲しかった。


 最期に義人が夏帆に遺した言葉だ。今でも深い謎となり、心に重くのしかかっている。


 義人殺害は、表沙汰にはならず、病死で片付けられた。そのまま事態が収束するかと思いきや、突然、J.M.C.の悪事がバレ大騒ぎとなった。


 しかし、報道は一時的で、立川ら公安も証拠が出さず、竹内家こそ没落したものの、悪事に関しては噂レベルで止まった。組織出身者は各界の要職に今だに就いている。


 夏帆は社会の恐ろしさをまたも実感した。元から選ばらている強いものだけが生きやすい世界。一部の人間が得をする世界。何をしても許される人たちがこの世には存在する。


 この世はどこかで狂ってしまったのだ。無力感という言葉が今の夏帆を端的に表している。夏帆もどちらかというと、権威の恩恵を受けている当事者だ。義人殺害の現場にいたにも関わらず、なんの報いも受けていない。


「直人君は元気?」と立川は聞いた。


「さぁ」と夏帆。


「さぁって君仲よかっただろう」と立川。


「あなたのせいで、ライバルに出し抜かれた竹内家は政治的権力を失いましたからね。今は、竹内家に遠ざけられていた人物が、総裁として指揮しているそうですよ。直人は政治家が向いていたし、本人は官僚になることを望んでいた。夢も叶えられないないのですから、元気なんかじゃないでしょう」


「当然の報いさ」


「薄情ですね。あなたに、嘘ではなかった時間はあるのですか?」


「同じことを他の誰かにも言われたな。一緒に過ごしたあの時間も嘘だったのかよ、って」


「あなたは無二の親友さえも利用していた」と夏帆。


「それがスパイってもんだろう。人並みの幸せなんて、とうの昔に捨てたよ」


 立川は葉巻を取り出すと、杖で火をつけて吸った。


「でも今はスパイではない。幸せを求めてもいい。良心の呵責は生まれませんか?」


「生まれないね。スパイになるとはそういうことだからだ」


 夏帆はため息をついた。


「ではそこまで話してあなたが命を狙われません?」


「これも罠だとしたら?」と立川は言うと、嘘だよと言ってニヤリと笑うと、もういつ死んでもいい、生かされてるのは罰か何かだろう、と言った。


「直人は餞別に、三国志をくれました。それが何を意味しているのか私にはわからない。困った時は、美人計を使えという意味かもしれない」と夏帆。


「君には無理だろ」


 夏帆は眉間に皺を寄せた。


「なぜイギリス政府が竹内家を追い落とすようなことをしたのですか」と夏帆。


「それを話すのは高くつくぞ」立川はそう言って笑うと、煙を肺の奥深くに吸い込んだ。


「質問を変えましょう。なぜ立川さんは私の監視をしているのですか?」


 公安だった彼は夏帆がスパイだと言うことを知っていた。


「違うよ。スパイは本当にやめたんだ。教員資格を持っていたし、求人がたまたまあったから、ここの飛行訓練の教師として赴任が決まったんだ」と立川。


 立川は、誰が見ても顔立ちが整っていると答える容貌をしていた。だからこそスパイをやってこられたのだろうし、その後の職も簡単に見たかったのだろう。自分の顔立ちがいいことを本人さえも自覚していそうなことが、夏帆の鼻についた。


「それに僕が仮にスパイだったとしても、そんなに気負う必要はないよ。君はおそらく噛ませだから」と立川。


「どういうことですか」夏帆は眉間に皺を寄せた。


「僕からしてみれば、スパイとしてきちんと教育が施されていない者に何やらせたって無意味だって思っている。だからおそらく、真のスパイは他にいて、君はカモフラージュだよ」


 夏帆はスパイなんて仕事したくないと思っていた。しかし立川にそう言われると、なぜか腹が立ち、夏帆はぎゅっとローブの裾を掴んだ。


「私はJ.M.C.の秘密を知っていました。あなたが明かしてしまう前に」


「おっと危険な思想だね。つまり君はまるで自分が権力者になったと思っている。違うよ。僕からしてみれば、J.M.C.なんて子供のお遊びさ。義人もそれはわかっていた。君たちには秘密を共有させ、コントロールしていたってわけだよ。あの程度の暗殺技術なんて、実戦では全く使えないよ」


「そういうあなたは?」と夏帆。


「僕はイギリスのスパイ学校の卒業だ」


「スパイ学校?そんなのがあるんですか?」


「ああ、案外ここの近くににあるよ。ネス湖でネッシー訓練をしたこともある」


 立川の言っていることが本当か嘘かいまいちわからない。ネッシーなんて伝説の生き物だ。


「スコットランドってこと……」と夏帆は記憶を巡らせた。少しだけ嫌な感覚がある。


「6歳くらいだったかな。訳あって、兄と2人で渡英したんだ。無計画だったし、身寄りも戸籍もなくて、あちこち転々としていた。日本じゃ裕福だったから、最初は大変だった。そうこうしているうちに気がついたらスパイ養成学校で猛特訓を受けるようになった。僕は決して成績が良くはなかったから、大変だったよ。今ではその兄がいたかどうかさえも記憶があやふやだ」


「ん?」と夏帆は言った。


「確かに兄は存在したと思う。ある日、僕は寄宿舎で寝ていて、隣で兄は泣いていた。渡英を反対する両親を、僕らの敵だと言いながら殺してしまった。兄はそう、僕の枕元で告白した。おそらく僕が聞いているとは思わなかったのだろう。その日以降、兄を見ていない。兄がいたかもわからない。だから、これは推測なんだけど、おそらく兄はスパイに向いていないと判断されて、学校に処分されたのではないかな。僕の記憶も加工されている。スパイ学校とはそういうところだ」


 立川は確かに話のうまい人だったが、その話が嘘のようには思えなかった。


「まぁ、この業務、てきとうにやってやろうと思ってますから。成功しなくてもいいんです。別に私噛ませで構いません」と夏帆は強がってみせた。


「むしろその根性の方がスパイ向いているかもしれないね」と立川は言った。


「大きな声で言わないでください!」と夏帆は叫んだ。


「ごめんごめん」


「立川さんって、なんでイギリスのスパイなんですか。日本ではなくて」


「だからやめたって」立川は笑った。「でもなんでって言われたらそうだな、たまたま僕がそこにいたからだよ。僕は日本人だから日本に派遣された。だってまさか日本人が、日本をスパイしてるだなんて思わないだろ?」


 自分でも何言ってるかわからなくなってきたな、と立川は笑った。


「そういえば夏帆ちゃんに1つ聞きたいことがあったんだ。君、竹内義人に『日本はC5入りをするべきでそれが今最も取り組むべき事案だ』と言ったそうじゃないか。あれは本心?」


「なんでも筒抜けなんですね」と夏帆は言った。「それを聞いてどうするんです。何を聞き出したいんですか」


「純粋な疑問だよ」

 

 立川は嘘をつく時、急に真顔になる。


「竹内義人が最も喜ぶことを言わないとってあの時は必死だったからですよ。だから、あの時の発言は本心ともそうじゃないとも言える。本音を言えば、どうでもいい」と夏帆は言った。


「君は、C5入りするためには、世界大戦をするのが手っ取り早いと言った。それも竹内義人を喜ばせるため?」


「私は今、あなたがなんて答えて欲しいのかを必死に考えています」


「いや、ほんとに、ただの興味だよ」と立川。

  

 夏帆はため息をついた。


「本心ではないけど、実際、それくらいのことしないと無理なのではって思ったまでです。むしろ私は日本政府にムカついてさえいる。日本は先の第二次世界大戦で全魔法界で唯一、人間界に加担した。戦争には加担していない、と国際社会に嘘を付いたにも関わらず、人間界からは賠償金を受け取った。二枚舌です。国際魔法使い連盟から非難され、国際的に孤立するのは自業自得です。逆ギレのように鎖国をする日本がおかしい。でも今ならわかります。損害賠償金のおかげで、日本は経済的に発展した。そのおかげで私は奨学金をもらえて学びの機会を得た。仕方なかったってやつでしょう。だからこそ、私がここにいるのも仕方ない」


「まさに夏帆ちゃんへの留学要請は、日本にとっては青天の霹靂だね。正直驚いただろう。僕も驚いている。イギリスは今こうして荒れ果てている。口に出さないだけで国際社会は実は日本を欲している。もっというと、独自に発展した日本を危険視し、その技術を利用したがっている。まさに皮肉だよ。でも戦わないために、やるべき手はつくさなくてはならない。これ以上死者を出したいと誰も思っていない」


「そう言えばひとつ気になったことがある。学校にはこれだけ人がいないのに、ロンドンの商店街にはたくさんの人がいたのはなぜ?」


 急にタメ口って言うと、立川は声をあげて笑った。


「あー、それはね、ロビン・ウッドは、エジンバラ魔法魔術学校だけを襲ったからだよ。あの日は、夏休みだったけどオープンスクールが開催されていたんだ。多くの生徒と保護者、ネス湖帰りの観光客が来校して被害を受けた。逆に基礎魔術を学ぶためのエレメンタリースクールに通うロンドンの人たちは影響をあまり受けていないんだよ」


 そういうと立川は葉巻を地面に落とすと足で踏みつけて火を消した。それから杖を振って、葉巻を消失させた。


「つまり、ロビンはエレメンタリースクールの関係者だったりして……」


「待った待った夏帆ちゃん。その情報だけでは、そこまでわからない。わからないことを考えても埒が開かない。スパイという職は基本疲れる。多くのことを考えることが仕事ではなく、いかに何も考えないかが仕事だと思ってやるといい。これは私からの心からの忠告だ。スパイという仕事はきつい。敵がいるからだ。人は何かと戦っている時、自らの負の側面と向き合うことになる」


 何もない地面から、煙だけが空気中に漂い、夏帆の鼻を掠めた。

 

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