第6話 2年前

 2年前、夏帆は日本魔法魔術学校の倉庫のような隠し部屋にある大型のタイムキーを前に立ち尽くしていた。その直前、上級生に何か嫌味を言われ、嫌になった夏帆が校内を彷徨いたいた時に、たどり着いた場所だった。


 上級生に何を言われたか夏帆はあまりよく覚えていない。確か、首席を決める決戦に2年生の夏帆が出るのか出ないのかで、学校中が大騒ぎの頃だった気がする。次が最高学年の5年生にとっては死活問題だった。夏帆は5年生たちに勝てるほどの実力を持っていたからだ。そんな子供の諍いなど、今の夏帆には覚えている価値もない記憶なのか、当時のことはよく思い出せない。一つ言えるのは、その上級生の1人、竹内直人に、高橋夏帆の両親は呪文分析学の研究者だった、とその時教えられたことだった。今思えば、なぜ直人はその事実を知っていたのだろう。実の子の夏帆でさえ、知り得なかったというのに。


 竹内直人は当時日本の政財界を牛耳っていた竹内義人のご子息だった。直人は、首席にこそ夏帆に負けてなれなかったものの、J.M.C.の会長を務めるほどの実力者だった。口数の多くない彼は考えていることがわかりづらく、人を寄せ付けなかった。権力欲しさに彼に近づく要人はあまりに多く、そういった事実が彼自身を秘密主義にしたのだろうと夏帆は推察している。


 竹内家とポーフォート家は立場が似ていた。竹内家も、そして竹内家の組織するJ.M.C.も、竹内義人が死んでからは勢いを失っている。


 人の死はこうも多くの影響を出すものかと思った。今の国王親衛隊も、アーサー・パウエルか、ロミオ・ポーフォート、どちらかを無くせば簡単に形を失ってしまうのだろう。

 

 夏帆は正直日本魔法魔術学校に馴染めていなかったと思う。それは夏帆が当時感情が薄く大人しい性格だったからかもしれないし、あまりにも優秀すぎたからかもしれない。なんにせよ、夏帆は同級生に避けられることはなくとも、関心を持たれることもなかった。2年生の時の夏帆は常に1人で行動していたし、食事も1人でとっていた。誰とも話さず1日が終わる日もあった。もちろん遊びに行ったこともない。孤児院育ちの夏帆にとって、休日にカフェに行ったり、遊園地に行ったり、誕生日に10万円を超える高級品を送り合う同級生は、異世界の人のように思えた。


 あまりに長くて退屈な日々。J.M.C.から勝手に向けられる対抗心。やっと見つけた呪文分析学も両親からの受け売り。奨学金のおかげで運良く手に入った学舎とはいえ、正直飽き飽きしていた。


 目の前にある金色に輝くタイムキー。まるでそれは希望のようだった。大きな砂時計に手を伸ばした瞬間、「やっぱりね」との声で我に返った。


「浅木先生……」


「あなたがここに来ることはわかっていた」と浅木。タイムキーの部屋には来てならないというのは校則での決まりだった。


「あなたのご両親はね、晩年イギリスに住んでいたのよ。ある日、私はイギリスに呼び出された。その時、あなたのお母さんはね、あなたに会ったと言った。『時が来たら、夏帆を施設に預けてほしい』、と。数ヶ月後、あなたのご両親は人間界の病院へと運ばれた。私が病院へ到着した頃には、既にこの世の人ではなかった。私はあなたを引き取って、お母さまの遺言通りに舞浜へと向かった」


「それは、孤児院がどういうところか知ってのことですよね?」


 夏帆は喉の詰まりを取るように、やっとのことで声を絞り出した。浅木という人は、私に感謝しろとでも言いたいのだろうか。孤児院の院長の怒声に怯え、未来や夢などという言葉の存在さえ知らない日々を知っているのか。そのほとんどが学校にも通えないまま就職せざるを得ない現実を、自分が可能性を秘めていることにも気づけない人の多さを、恵まれた者に理解なんてしてもらいたくもない。異世界の人々が勝手に思い描く、かわいそうな世界を私たちに押し付けるないでほしい。


「孤児院にさえ入れない子がこの世にどれだけいるか知っているの?あなたもはじめは断られたのよ。あの院長に、ことの子細を話して、両親が誰でどう殺されたのかを話して、やっと受け入れてもらえたの」

 やっと、という言葉に重さがあった。浅木は何かを訴えかけるような目で夏帆を見た。私はあなたのために頭を下げたのだ、とでも言いたそうな目で。


「両親が死んだとき、桜が舞っていた。イギリスではない」と夏帆。


「そうね、ご両親は日本に戻っていた」


「あなたは何か嘘をついている」


「そう思いたいだけよ。話せることと話せないことがある。だから辻褄が合わないように聞こえるの。それだけのこと。なんで話さないかですって。あなたのためによ」


 まるで底なし沼に落とされたかのような絶望だった。あなたのため、という時、大抵は自分のためだ。これ以上はなにも教えられない、それが容易に想像できる言葉だ。


「私の使命はただ1つ。あなたを過去に送り届けることよ。あなたをご両親に会わせる手助けをするの」


 浅木は何か小瓶を投げた。まるで無重力空間かのように、小瓶はゆっくり舞うように飛ぶと、まっすぐに夏帆の元へと向かった。夏帆は腕を伸ばしてつかんだ。瓶には、エンジェルオイルと書かれている。エンジェルオイルは麻薬のような薬だった。その薬を飲むと、頭が冴え、常に最善の選択をし続けることができる。その効力期限はきっかり1日。


 夏帆は目の前のタイムキーをじっと見つめた。口惜しさか、絶望か、それとも怖さか……。自然と涙が零れ落ちてきた。


「賢いあなたになら、あなたがどうするのか、わかると思うわ。でもね、過去にはいけても未来へは帰れない。それでも、あなたが行きたいと望んだからこの部屋が現れた」


 夏帆はエンジェルオイルを飲み干すと、吸い寄せられるように、タイムキーへと右手を伸ばした。


 飛び上がるように夏帆は起き上がった。そこはエジンバラの寄宿舎。窓からは夕陽が差し込んでいる。全身にじっとりと汗をかいていた。夏帆の見ていたものは夢だったが、同時に現実でもあった。まるで、2年前に自分自身が本当に行っているかのようだ。夏帆は息を整えると、右手を閉じたり開いたりしてみせた。


 夏帆はポシェットの中のタイムキーを確認した。時刻は夜9時。外の明るさからは信じられないような時刻だった。夏帆は再びポシェットの中にタイムキーを仕舞い込んだ。


-あの後何があったんだっけ


 夏帆は深く内に潜るように、考えを巡らせた。その後、無事イギリスの両親に会い、両親はいずれ死ぬから逃げろと説得した。しかし両親の対応は冷たく見えた。落ち込みながら歩いていると、ギルド伯爵にばったり出会い、奇妙な共同生活が始まった。今思えば、信じられないほどの偶然の積み重ね。おそらくエンジェルオイルの効果だろう。あの時暮らしていた森はどこだったのか、夏帆はどうしても思い出せなかった。


 夏帆は部屋の外に出て、一階へと降りた。入り口から向かって1番奥に小さな食堂がある。部屋の中へ入ると、10人ほどが利用できそうな木造の白いテーブルが3個並んでいた。夏帆はその一番端に座った。目の前にサンドイッチが2個現れた。一口食べると、口の中がパサパサと乾く。具も薄っぺらいきゅうりとマヨネーズ、ツナ。日本魔法魔術学校からのあまりの落差に、夏帆は戸惑った。他の寮生に会うのも気まずい。部屋に用意されているコップに備え付けの水道から水を入れると、ぐいっと飲み、さっと食堂を出て行った。


 食堂の隣には、洗濯ルームがあった。人間界にある洗濯機と何も変わらない。電気を使うか、使わないか、それくらいの違いだ。日本の時は、洗濯は学校の雇った業者がしていてくれていた。そのため、どのように選択をしていたのかはわからない。しかしなんにせよ、この人間界を模した洗濯機は、イギリス独自のものであることは確かだった。


 夏帆の推測ではこの寮に30名ほどが住んでいそうだった。しかし、5台ある洗濯機は一つも動いていなかった。


 部屋に戻ると夏帆はまずシャワーを浴びるために浴室へと入った。トイレの隣にあるバスタブ。その中へと入り、カーテンを閉め、蛇口を捻ると、上から水が降ってくる。冷たい。温かくなってきたところで、日本から持ってきたシャンプーとリンスを取り出し、丁寧に髪を洗う。ふと、備え付けのシャワージェルが目に止まり手に取ってみる。ギルド伯爵の家で泊まっていた時は疑問にも思わなかったシャワージェル。しかし今こうして見てみると、何に使うものなのかいまいちわからない。夏帆はシャワージェルを使わずに元の位置へと戻した。


 浴室からでると、杖を振って、トランクからドライヤーを取り出した。魔法を使わずに、ドライヤーを使った方が髪に良いといって、直美はいつもドライヤーを使っていたのだ。電気がなくても、魔力を充電すれば使える代物は、イギリス魔法界が世界で初めて開発したものだった。

 

 髪が半分乾いたところで力尽きた。荷解きは明日やろう。夏帆はポシェットからパジャマを取り出して着替えると、本日3度目の眠りについた。

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