第5話 寄宿舎

 移動した先は、橙色の光に包まれた大きなホールのだった。天井は高くて丸く、白地に天使と悪魔の絵が描かれている。まるで教会のようだ。また壁一面には本がぎっしりと並び、歴代校長と思われる人物の肖像画が貼られている。夏帆は一面を眺めた。


「1000年も前からある学校だから校長の数は多くてね」

 目の前にある簡素な書斎。ベストを着た、70代くらいの白髪の男性が椅子にゆったりと腰掛け、書類仕事をしていた。


「プリンス君、ありがとう」

 プリンスは礼をすると、部屋を出ていった。


「ようこそ、エジンバラ魔法魔術学校へ。はるばるよくきてくれました。ここはあなたの学び舎。存分に、その能力を伸ばすことに利用していただきたい」

 夏帆はローブの奥でぎゅっと杖を握っていた。物腰柔らかな口調は、逆に夏帆の心を乱した。


「国王親衛隊の会議はいかがだったかな?」


「皆、あなたを厚く信頼なされているのだと感心いたしました」と夏帆は言った。


「信頼は大切だ。大義のためには」


 パウエルのその答えに夏帆は顔を顰めた。

「利用しているのですか」


「皆もまた私を利用している。それにしても先ほどはとても有意義な議論になったようだね。さっそくロミオから連絡が来たよ。君を親衛隊の会議に行かせて正解だった。さぁ、君がここエジンバラ魔法魔術学校に留学に来た目的は何かな?」


「私の方が聞きたいくらいです。校長。なぜ、あなたは私をここに呼んだのですか」


 昨年、夏帆に突然アーサー・パウエルから留学を要請する手紙が届いた。夏帆だけでなく、日本の学校の校長も、政府の役人も驚いた。なにせ日本は鎖国しており、どの国とも国交がない。それに、以前イギリスと日本は戦争の危機にあった時期もある。お互いの国民感情も良いとは言えなかった。


 まさに青天の霹靂。国際魔法界の要人、パウエル校長からの突然の要請。それも夏帆をご指名ときた。どのような経緯でパウエルは夏帆を知ったのかはわからなかったが、政府としては日本の国際復帰のために彼に恩を売っておきたかった。夏帆は残り3年を残し、急いで卒業試験を受けて留学に来たのだ。


 アーサーは夏帆の胸をまっすぐ指さした。「それだよ」


「それ?」


「その、君が首から下げているタイムキーだよ」


 アーサーに人差し指を向けられると、胸をつんざくようなドキリという刺激があった。夏帆は青のトップスの下に潜り込ませた、チェーンの先につく懐中時計を取り出した。夏帆はそれを奪われまいとグッと指に力をこめて握りしめた。


「その小型タイムキーは過去にも未来にもいける代物であろう。それを少しばかり貸してほしかったのだよ」ささやくような声でアーサーは言った。


「それだけのために、私をわざわざここに呼び寄せたのですか」


「そうでもしないと、日本政府は君を海外に出すことを容認せんであろう。イギリスに来させる大義名分を得れば、日本政府も、君に大使の部屋にツユクサを生けさせると思ったのだよ」


「……」


「君は日本国のスパイだろう。それくらいのこと、私くらい長く生きているとわかるようになる。さて、君の目的は何かな。日本国の国際復帰に向けた場ならし、そんなところだろう。図星かな」


「なぜ、あなたはこのタイムキーのことを知っているのですか。これは……」


「ギルド・ストラッドフォードは、私の親友だ。惜しい人を亡くした」


「あなたの親友?」


「そうだよ。当時彼から聞いていた。君が、ギルドの元に、呪文分析学の修行に来ていると。そして、誕生日プレゼントに、そのタイムキーを君に渡したと」


 夏帆は以前、ほんの出来心で過去に行き、呪文分析学の第一人者、ギルド・ストラッドフォード、通称ギルド伯爵に会ったことがある。ギルド伯爵はそれは優しい人で、どこから来たかもわからない17歳の夏帆を受け入れ、住み込みで学ばせてくれたのだ。夏帆にとって人の優しさに初めて触れた経験。どこか懐かしく、暖かな時間だった。過ごした時間は2年。ギルドがロビン・ウッドの襲撃で亡くなった時、伯爵がくれたタイムキーで夏帆は未来に戻った。夏帆が十分に英語と呪文分析学を操れるのにはそういった事情があった。


 夏帆は、アーサーがタイムキーをどれくらいの覚悟で欲しているのか気になった。


「このタイムキーをあなたに渡せば、日本をC5に入れてもらえますか」


「それが君の与えられた任務かな?」


 夏帆は慌てて口元を手で覆った。


「私は君を政府関係者としてではなく、一私の学生として守る立場にあると思っておる。君は子供で、学生だ。そして私は生徒を守る校長だ。考えておこう。もういいよ、今日は夜遅い。宿舎に帰りなさい」アーサーはにこりと笑った。


 夏帆は部屋を出ようとした。しかし、入り口付近でとどまると、くるりと振り返った。

「パウエル校長、ピーター・エバンズの目の中に違和感がありました」


 ほお、とアーサーはつぶやいた。


「目の中に誰かいた」と夏帆。


「やはり」とアーサーつぶやいた。「君を呼んだのにはもう一つ理由がある。君に頼みたいことがあったからだよ」


「国王親衛隊への入会ですか?」


「君はすでに入会している。すまないね、ロミオの家に入った時点で入会の意思表示を示したことになる」


「聞いてません。その契約は無効です」


「治外法権を知っておられるかな?」


 夏帆は拳を握りしめた。「それで、頼みとは?」


「ピーター・エバンズを陰ながら見守ってはくれまいか。彼は、好奇心旺盛で、リーダーシップのある素晴らしい青年だ。だが、この間のロビン・ウッドの襲撃により、少々心が乱れていてね。たまに危なっかしいのだよ。政府もピーターをよく思っておらず排除したがっている。彼を失うわけにはいかないのだよ」


「ピーター・エバンズがそれほどまでに必要とされている理由がわかりません。もし私が断ったら?」


「君をここから追い出すまでだよ」


 夏帆は杖を構えた。しかし、全く動かなかった。アーサーが右手をあげている。何か魔法をかけているのだ。アーサーはやめておきなさいといって手をおろすと、夏帆は再び動けるようになった。


「冗談だよ。別に断ってもらっても構わない。しかし私に恩を売っておいて損はないだろう。君の任務のためにも」

 

 扉が突然開いた。その先にいたのは再び校長室へと来たプリンスだった。


「トム、高橋君を寮に連れて行ってくれたまえ」とアーサーは言った。


「かしこまりました」とプリンスは言うと、夏帆についてくるよう、促した。


 校長室を出て、ふたまきほどの、らせん階段を降りた。降りた先は床が大理石でできた、人が5人は横並びで通れそうなほどの廊下だった。辺りは暗く、既に日は落ちている。どこでそれほどの時を過ごしただろう、と夏帆は思った。


 廊下の向かいを、小さな中庭取り囲むように、白い柱がいくつも並んでいた。廊下には、風が通り、8月にも関わらず、時折寒く感じることさえあった。


「ここは、元々教会だった」とプリンスは長い廊下を歩きながら説明した。「その昔、人間たちは、この教会を手放し、我々が学校として使うようになった」


「我々?」


「我々、魔法使いが」とプリンスは言い直した。


「この教会は、ウィリアム・ピアーズの3大悲劇にも出てくる」


「合わせ鏡?」と夏帆は聞いた。


 500年前の作家、ウィリアム・ピアーズの3大悲劇。「呪いの指輪」、「王妃の不倫」、「合わせ鏡」その中の1つ合わせ鏡は、舞台化され、夏帆もその曲のワンフレーズを知っていた。


「そうだ」とプリンスは言った。


 この3大悲劇は、そろえれば願いが叶うと言われている3種の至宝、呪いの指輪、勿忘草のカップ、合わせ鏡をモチーフにされて作られたと言われている。中でも合わせ鏡は他の2つに比べて異色の作品と専門家は指摘する。


『合わせ鏡-ある日、国王と突然あがめられた居酒屋の店主の息子は、戦争にかりだされるがあえなく捕まってしまう。牢獄の中で、自分はかつての暴君で、悪魔と契約したことを思い出す。』


 悪魔と契約した場所は教会。プリンスの言葉を信じれば、ここエジンバラ魔法魔術学校だ。しかし、その教会は、主人公が契約を交わした時、大きな衝撃で一度は壊されてはずだった。


「小説の中で、教会は崩壊します。どうやって直したのですか?」と夏帆は聞いた。


「小説は小説。所詮は作り物だ」とプリンスは答えた。


 プリンスは教会の外に出た。既に日が沈んでおり、あたりは真っ暗闇だった。しんと静まりかえった様子は、生徒たちは既に寮に帰って眠っている時間であることを示唆していた。


 プリンスは杖で明かりを灯すと、目の前に、併設された一棟の屋敷が浮かび上がった。5階建てくらいの高さに対して、横幅は体育館ほど。赤煉瓦で作られた簡素なものだった。


「ここが寄宿舎だ」とプリンスは言った。

 想像より小さな宿舎に夏帆は驚いた。プリンスは鍵を手渡した。夏帆は鍵を受け取ると、まじまじと見つめた。魔法界の学校において、暗号等魔法を使わずに、鍵による出入りをするなどと思ってもみなかった。


「君の部屋は302号室だ。荷物は既に運んである。子細は部屋に書類を置いてあるため一読願う。わからないことがあれば、私まで。何か質問は?」

 夏帆はあまりの衝撃に、首を振ることしかできなかった。


「では」とプリンスは言うと、瞬間移動をして消えていった。


 夏帆が入り口の扉を閉めると、パタリという乾いた音が、静かな宿舎に響き渡った。月光を遮った宿舎は真っ暗だった。夏帆は杖先に光を灯すと、目の前に白く塗られた木製の階段があるのが見えた。おそるおそる登ってみる。一歩足を踏み入れるごとに、ギシリという音を立てた。いまにも崩れそうで崩れないその階段は、まるで世界の均衡を表しているかのようにも思え、夏帆はクスッと笑った。


 階段の先は、狭い廊下が続き、そこに個室が並んでいた。夏帆は302号室と札のある部屋の扉を開けた。


 部屋の中は真っ暗だった。夏帆はくるりと手首を回して杖先の光を分離させ、光のたまを宙に浮かせた。光球は、部屋の中をぼんやりと照らすばかりで、真昼のような明るさには到底到達し得なかった。


 日本にいた頃は考えたこともなかった。どうやって夜も校舎内は、ある程度の明るさを保っていたのか。夏帆の魔法では、部屋の一室さえ満足にいかない。首席として誇りを持って留学に来た夏帆は、早速そのプライドが打ち砕かれた。


 夏帆は手探りでベッドを見つけると、ゴロリと寝転がり、服も着替えないまま深い眠りについた。


 窓から差し込む明るい日差しで目が覚めた。目を覚ましてすぐには、ここがどこなのか理解できなかった。見覚えのない霞んだ白の天井と壁。埃が喉に絡むような空気。窓の外に浮かぶ白い雲を見て、夏帆はやっと今自分がエジンバラ魔法魔術学校の寄宿舎にいることを理解した。


 夏帆は鉛のような体をゆっくりと起こすと、壁に併設されている机の上に、資料が置いてあるのを見つけた。そういえば昨夜、この資料を読めとプリンスが言っていた。昨日のうちに読んでしまおうと思っていたが、極度の疲労で眠り込んでしまったのだ。


 夏帆は恐る恐る資料を読んだ。3日後に、始業式が行われるらしい。それまでは自由時間。そのことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。首からかけている小型タイムキーを取り出すと、ポーチの中へとしまう。夏帆は再びベッドの上に横たわって、そのまま眠りについた。

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