第69話 アフタヌーンティー
夏帆の元に大量の手紙が届くようになった。内容はどれも夏帆を非難するものばかりだ。わざわざ拙い日本語で書いているものもある。気が滅入った夏帆は城ヶ崎に相談し、手紙が勝手に届かないように設定した。「夏帆」と漢字宛の手紙のみが届くよう、魔法をかけたのだ。こうすれば、渡した人しかメールを送れない名刺方式とは違い、本当に夏帆に連絡を取りたい人のみが、必死に探して当ててくれる、という城ヶ崎のアドバイスだった。
これだけで十分な効果があった。結局非難をする者たちというのは面倒なことをしたくないのだ。それでも、書かれていた内容は時折、脳に針を刺すように夏帆を刺激していく。
城ヶ崎の用意してくれたホテルに泊まり、美咲の治療をリモートで受けた。こういう時に、名門学校出身は役に立つ。最高峰の環境を常に与えてもらえる。私は日本にいる他の魔法使いたちよりもずっと恵まれた環境にいるのだろう。
城ヶ崎の指示のもと、夏帆は給与を投資に回して増やした。これでしばらくは生活していけそうだ。
ただやはり目に見えない相手の批判にさらされると、応えるものがある。迂闊に外も歩けないこともさりながら、外出する元気もなくなり、夏帆はただベッドの上からぼおっとテムズ川と巨大な観覧車を見ていた。
人は夏帆に変わってしまったというかもしれない。でも逆だ。こうやって、何もすることなく毎日を消費する方がずっと私らしい。元に戻っただけだ。活動的になるのも元気が残されていたからこそだと、夏帆はいよいよ思い知った。体がだるくて重い。世の中の全ての刺激が強すぎる。窓から見える楽しそうな家族を見て、殺してしまいたくなる。夏帆は杖を振ってカーテンを締めた。こんな時に魔法は使えるなんて。夏帆は杖を床に放り出した。
アーサーがもし生きていたら、私を守ってくれただろうか。アーサーは、本当に、ギルド伯爵との友情から私を庇護したのだろうか。イギリス政府の新呪文創作部に行けば何かわかるかも知れない。しかし簡単に入れる場所ではない。
それに、ギルド伯爵に関して調べることは、自ら傷を抉りにいくようなものだ。
ある時、夏帆の元に一通の手紙が届いた。直美からだった。
直美とは夏帆が宿泊しているホテル内のカフェで落ち合った。
「ここ素敵ね!」直美は大きな声ではしゃいだ。タキシードやワンピースを着た他の客たちがちらりと直美を見た。ちょっと直美、と夏帆はつぶやいた。
でも確かに窓から見える景色はテムズ側にビッグベン。内装も、図書館をイメージされており、たくさんの本が並ぶ。居心地のいい、素敵な場所だ。
席に座る直美は浮き足立っている。しばらくすると、予約していたアフタヌーンティーとシャンパンがやってきた。
3段のお皿の上には、サンドイッチ、スコーン、そして華やかな色をしたケーキが並ぶ。まるで宝石のようだ。
「直美ってイギリス初めてではないよね?」
「ええ。でも何度きてもいいところだわ、うん美味しい」と直美は紅色のマカロンを頬張った。
「そうかな……」と夏帆。どうしてもイギリスのケーキはパサパサしていて好きになれない。いつも食べているものが食堂の安物だからかと思っていたが、どうやら高級ホテルのカフェのデザートもさほど美味しくないらしい。まるでふわっふわのシフォンケーキを押し固めたような味がする。食べると口内の水分が全て奪われる。こんなケーキは初めてだ。
「うーん、まぁ、日本の方が美味しいよね」と直美は言い直した。
「直美、大丈夫なの?」と夏帆はシャンパンを一口飲んで言った。
「大丈夫って何が?」
「学校抜け出せるの?ウッド派が占拠しているわよね?」
「あの時、私いなかったのよ。ちょうどオーディションを受けにロンドンに行っていたの。そうしたら、裕也から、学校に帰るなって言われて」
「青木君は?大丈夫?」
「あいつはあの性格だから大丈夫。拘束はされているし、箒も燃やされ、教職の仕事はできていないみたいだけど。それなりに良い生活をさせてもらってるらしいわよ」
「箒が燃やされた?空を飛べなければ戦えないし、瞬間移動に制限をかけられたら簡単に逃げられないじゃない」
直美は身を乗り出して、夏帆に内緒話をするように手で口を覆った。
「情報によると、ロビン派は街中の箒を買い占めているそうよ。足を奪おうって言うのよ。私なら買い直すわ」
「それもそうかもしれないけれど、もしかしたら、箒の値段を釣り上げているのかも。今なら箒を高く売れると聞いた人たちが箒を売り出す。戦闘能力がなくなる……」
どこかで聞いたことがある戦略だった。日本の誰かが似たようなことをしていた気がする。
「他に、向こうの様子とかは、ウッド派とかの動きとかは?」と夏帆。
「手紙は全部検閲されている」
「ならいい暮らしさせてもらってるかわからないじゃない」
「そうね」と直美は落ち込んだ様子で、シャンパンを飲んだ。
「奴らの目的がわからない。学校を占拠する理由が」と夏帆。
「学校は抑えるべきでしょう。教育は大切よ」
「そうかもしれないけれど順番が逆。まずは政府。それから、内部で教育を変えた方がいい。あれだけ手荒な真似をするということは、重要な何かが学校にあるのよ」
「重要な何か?」
「例えば、目的を達成するための何か」
「あちらの目的ってなんなの?私よくわからなくて」
「たぶんだけど」ハイドは三種の至宝に特別な興味を常に示していた。「三種の至宝があるとか」
直美は鼻で笑った。「仮に実在するとして、集めて何をするの?天下を取るとか?それならわざわざ苦労しなくても、もっと他のやり方があるでしょう」
「他のやり方って?」
「それこそあなたの言うとおり政府を乗っ取るとか」と直美。
「むずかしいことよ。とても、とても、とてもね」
「まぁ、演劇だったら、学校にとても大切な人物がいて、その人から何か聞き出したいと思って占拠した、と考えるのが無難ね。例えば、人間界の作品になっちゃうけど、オペラ座の怪人なら、マダムジリー。レミゼだったらラマルク将軍」
「やっぱり直美は博識ね」
「オタクなだけよ」
「イギリスの魔法界は人間界のこと全然知らないから、あなた驚かれると思う。白鳥の湖でさえ知られていないのだから」
「うそ」
「ほんと。じゃあ、直美の基準の話でいくと、ウッド派が学校に襲来した理由は、白い協会に住み着く亡霊サーイースター?」と夏帆は笑った。
「あー、ウィルね!それはいいね!私が脚本家ならそうするなぁ」2人は顔を見合わせるとクスクスと笑った。
「ちょっと、ウィルって言っちゃダメなのよ」と夏帆は得意げに話した。
「なにそれ、どういうこと?」と直美は笑った。夏帆はことの些細を聞いたまま話した。クーデターによるウェストミンスター寺院への逃亡。王女エリザベスとの不倫。ボズワースの戦い。不倫の発覚。同僚ルーシーによって、エリザベスの記憶消去。そして魔女狩りを口実とした死刑執行。
「だから、エリザベスがウィルって呼んだことによった、不倫が王にバレて……」
「待って待って、そこじゃない。何その、ルーって女」
「ルーシーはイースター卿の、学生時代の友人で、宮廷魔法使いの同僚……」
「何度聞いても、ウィルのこと好きなようにしか見えないんだけど?」
「え?」
「絶対そうだよ。え、だからさ、ウィルとエリザベスの恋愛知ってて、ルーシーが訴えたんじゃない?」
「えー、どうだろう。それはわからないけど、そんなことあるかな……だって、イースター卿とルーシーは友人なんだよ」
「女心って複雑なのよ。それに、なんか、話が王妃の不倫と似ていない?」
「それだ。私もどこかで聞いたことある話って……ルーシーは小説を書くことを趣味にしていた。まさかだけど……」
「いやなんかおかしい。だって、神は死んだって、時代的にずっと後の、それもドイツの話でしょ?」
「どうやら勝手に時代を行き来してしまう病気、というのかな、能力があるらしいの。私もわずかだけれど、持っているみたい」
夏帆はそういうと、スコーンにクリームとラズベリージャムをつけて食べた。美味しい。イングリッシュブレクファストをお代わりする。
「そんな能力あるんだ……。そういえば、渡辺香菜さん、覚えてる?直人さんたちと同い年の」
「ああ、ツジガミに入社した?あの人も確かに、相手の気持ちを読み取る能力を持っていた」
「そうあの香菜さん、結婚するらしいよ」
「結婚!?」
「そうそう。それもお相手が……直人さんなの。香菜さん直人さんのこと大好きなの変わらなかったのね」直美は蔑むような顔で紅茶を飲んだ。
「思い出した。直人が失踪したけど見つかったって。本当だったのね」
「ええ。でも、ちょっと想像とは違う形だけどね」
「というと?」
「私の口からはこれ以上はとても言えない。でもちょっと心しておいた方がいい」
どういうことだろう。直人は確かに苦しそうな学生生活を送っていた。竹内家の子息というだけで目立ち、恐れられ、距離を置かれ、あるいは近寄られる。そのためか、直人はすっかり物静かな性格になっていたが、うちに燃える思いがあることを、夏帆はよく知っている。そこから、今、心しておいた方がいい状況など考えがつかない。
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