第3話 あの日
『私達は、そのきらきら光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通い慣れたこの学舎を57名揃って、巣立つはずでした。』
何だこれ…!?
…どうやら内容的に、東日本大震災?の動画らしい。
意味分かんね、マジで。
てか、
マジで鼻痛ーんだけど…!
何なのこの女!?
怒りにふるえる俺の感情は、この動画のせいでトーンを下げざるをえなかった。
それどころではなかった。
あの日、地震によって延期された卒業式の様子。
学生服を着た中学生が、しゃべっている。
明らかに伝わる違和感。重さ。
『自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私達から大切なものを容赦なく奪っていきました…』
そう言うと、中学生とおぼしき少年は、顔をくしゃくしゃに歪めた。
こらえきれなくなったように、嗚咽し、
天を仰ぐ。頬に涙が伝う。
瞬間、俺の心臓は、見えない手にぐしゃりと、捕まれ、持ち上げられたような感覚を覚える。
あまり好きじゃない感覚。
だけど、
画面から目を離せない。
『天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません…』
心を絞りだしたような、
涙でぼろぼろになった言葉を、
野球部らしき高校生の遺影を持ったおじさんや、
血に染まる包帯を顔に貼る赤ちゃん、
静かに涙を流す少女が、聴いている。
そうか。
中学校が避難所に使われたんだよな。
だから一般の人もいるのか。
頭の片隅で、冷静にそんなことを思う。
時は戻らない。
生かされた者として常に思いやりの心を持っていく。
という内容のあと、
少年は自らに与えられた責任を果たすため、
力強く用意した文章を締めくくる。
『苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私達の使命です。私達は今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。』
先ほどまで怒りに満ちていた、自分の頭から血の気がほとんど引いていることが自分でも驚きだった。
『今から、5秒後、巨大な地震が起きて、それに巻き込まれてお前は、死ぬ』
気づけば、すでに紫乃は俺の襟首から手を離していて、それでも突き刺すような視線は、俺を貫いたままだった。
数秒が経った。
当然、地震は起きない。俺も死んで、いない。
でも…。
『でも、あの日地震で亡くなった方達も、お前と同じように『まさかそんなことが起こるはずない』と思っていた。まさか地震なんて起きるはずがない。まさか自分が死ぬはずがない。自分の大切な人が死ぬはずないー。そう思っていた。』
そりゃ、そうだ。
そんなこと、あんなこと、
まさか起こるなんて…。
『私が、新学期に必ず見せている動画がある。震災時の様子を撮影した写真をまとめ、誰かがアップしたものだ。実際にご遺体もうつる。観れるか?』
紫乃の言葉に、
俺は、無言でうなづく。
観れる。
というか、観なければならないと思った。
その動画は、
深い祈りのような、
恐いぐらい悲しくて、美しい曲をBGMに、
次々と、
容赦なく、
あの日、確かに起こった地獄のような場面を映し出していた。
映画のCGとしか思えないような高さの津波。
燃えさかる工場。
流される車と、打ち上げられた船。
壊滅した街。
そして、
ガレキの中で、
白い布がかけられて横たわる、
おびただしい数の人々。
泥の中に、身体の前面が余っているおじいさんの遺体。
ドラマとは違う、初めて見たはずの本物の人間の遺体だったのに、不思議なほどに恐怖はなかった。
悲しさと不条理だけを感じていた。
雪の中で働く、自衛隊、消防士の方々…。
何だこれ…、本当にこんなこと現実にあったのか…?
そうとしか思えないような、あまりにも非現実的な光景だった。
『震災後すぐに、救助活動に向かった自衛隊員の方がね、手記を残してるんだ。あまりにも現実離れした景色に、夢の世界に迷い込んだ、と思ったほどだったって。地獄みたいだったって』
紫乃の言葉に納得がいく。
そりゃ…そうでしょうね。こんなの生で見たら…。
『3月の東北だったから、雪が降るくらい寒かったんだけど、そんなこと考える余裕すらなく、必死に救助活動をしていたんだって。そしたら、一人の女性がやってきて『助けてくださいっ!』って。』
津波に巻き込まれたその女性は、
片方の手でフェンスを掴み、もう片方の手で必死に息子さんの手をつないでいたらしい。
しかし、波の力に勝てず手を離してしまった。そして、津波がおさまったあと、流された息子さんを探していて、ようやく見つけたらしい。
けれど…。
けれど、積み重なった泥をどかすことが女性1人の力ではできず、途方に暮れていたところを、通りかかった自衛隊員に助けを求めた、とのことだった。
『彼らがね、必死になって掘り起こして、ようやく泥の中から、小学生の、低学年ぐらいの、男の子の遺体をお母さんの元に返してあげることができたんだって…。その時、そのお母さんがね…』
紫乃の言葉が詰まる。
ハッとして、思わず俺は紫乃の顔を見た。
目に涙を浮かべ、唇を震わせている。
俺はいたたまれない気持ちになり、すぐに視線を落とす。
『『良かったね…自衛隊のお兄さん達が……見つけてくれたよ…良かったね…』……そう言って…冷たくなった…男の子の頬を撫で…て…たんだって…うぅっ…』
紫乃は、気持ちを落ち着かせるためか、ふぅっと一呼吸置いてから、言葉を続けた。
『…泥にまみれた男の子の身体を、キレイに洗ってあげてから、仮設安置所に送る時、何度もそのお母さんにお礼を言われたそうなんだけどね…その場にいた誰もが泣いて…たんだって…』
そう語る紫乃自身が、涙を流している…。
恥ずかしがることもなく、俺を見つめながら、静かに泣いている…。
やばい…。
俺は今にも溢れそうになる感情を必死でこらえる。
何か別のことを考えようとしても、
どうしても、この時の、母親のキモチを考えてしまう。無念を考えてしまう。
泥にまみれたという小学生の男の子の様子が、頭に浮かんでしまう。
『…大川小学校のことは知っている?』
涙をぬぐうこともなく、紫乃が俺に問う。
『…いや、知らないっす…』
正直に答える。
『…石巻市にあった小学校でね、全校児童の7割、74人もの児童が犠牲になったんだよ…今だに行方不明の子もいるんだけど…』
そういって、紫乃は再びスマートフォンを私に見せる。
そこには、大川小学校に通う児童の親御さんが写っていた。小学生の男の子と女の子を亡くした両親が、津波に流されて行方不明になった女の子を探していた。
男の子はすでに両親の元に戻ってきていたが、お姉ちゃんはまだ見つかっておらず、その子を見つけるまでは…と声を詰まらせながらインタビューに答えていた。両親の表情は疲労に打ちのめされていたが、それでも瞳には明らかに強い意志を宿していた。
『生きたかった子がいたんだ…。命を続けたかった人がいたんだ…。…命を続けて欲しいと願った人がいたんだよ…。』
そう言いながら、スマホを更に操作して、私に新しい画像を見せた。
その写真をみた瞬間、私の感情は限界を迎えた。
目から涙がこぼれた。
次から次へと溢れ出る涙を、もはや自分の意志で止めることができなかった…。
人前で涙するなんて何年ぶりだろうか、
恥ずかしいとは思ったが、
心が勝手に涙を流していた。
画面に映っていたのは、
赤いランドセルを、無念そうに、愛おしそうに抱きしめる1人の老人の姿であった。
何があったのか、説明されるまでもなく分かってしまった…。
それは、孫の成長を楽しみにしていたおじいちゃんの夢が、無残に打ち砕かれた写真だった。
『あの日。3月11日に原発事故も起きた。世界からはね、日本はもうダメだ。東半分は、死んだんだから…。と思われていたんだって…でもね…』
そう言って、
幼い少女は、また新しい動画を私にみせてきた。
やめてくれ。
これ以上、悲しいキモチになりたくない。
辛すぎる。
案の定私は、
さらに涙を流すことになるのだが、
予想外だったのは、
流れた涙が、悲しみとは別の感情によって
生み出されたものであったからだった。
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