【011】
私が“メイドロイド・HMR-00Xナツキ”(という立場)になって、3日が過ぎた。
その3日間、私と元ケイトである
圭人様は、“普段通り”──いや幾らか活発に会社の執務をこなされ、残りの時間で研究関連の資料を読みふけってらっしゃる。
私の方も、メイドとしてこの屋敷の家事をこなす手際が(元から最低限は出来たのだが)、少しずつ良くなっていき、ピカピカに磨き上げられた玄関ホールの床や、物干し竿に干された洗濯物の群れを見て、少なからぬ達成感を得たりしている。
ただ、今日は少しだけ昨日までと異なる行動を取らねばならない。
冷蔵庫の中をチェックしたところ、新鮮な食材のストックが残り僅かとなっていたからだ。
「圭人様、食材の購入のために、このあと外出して買い出しに行って参りますが、よろしいでしょうか?」
昼食後の食器洗浄ののち、“わたし”はマスターの仕事部屋を訪ね、あらかじめ、そう伝えておきました。
ないとは思いますが、もし急用で“わたし”を探されたとき、居場所がわからないと問題ですからね。
「ええ、構いませんよ──あぁ、せっかくですから、僕も行きましょう」
PCのモニターを覗き込んでおられた圭人様は、そう言ってPCの電源を落すと、身軽に立ち上がられます。
このあたりのフットワークの軽さは、出不精な元の“私”──新庄夏樹にはないものだ。
「それなら、お着替えのご用意を」
「いえ、それくらいは自分でできます。むしろ、キミの方も着替える必要があるでしょう?」
そう言われて、私は自分の服装を見下ろした。
3着のほぼ同デザインのものを毎日着回しているせいか、たった3日間で驚くほど身体になじんだメイド服(=エプロンドレス)。
確かに屋敷内はともかくこの格好で外を出歩くのは、無用に目立つだろう。
「では、これでどうでしょう?」
私は、フリルのついたエプロンとヘッドドレスを外す。
これなら、単に暗色のワンピースを着た女性にしか見えないはずだ。
「それだけだと喪服のようで少し淋しいですね。待っててください」
足早に仕事部屋を出られた圭人様は、3分ほどして薄い水色のカーデガンを手に戻って来られる。
既にご自分もブルゾンを着て、ズボンと靴も外出用の物に履き替えられていた。
「これを羽織れば少しはマシですね。本当は髪もいじりたいところですが」
チラと私のベリーショートな短髪に視線を向け、断念されたようだ。
特に反対するいわれもないので、私はカーディガンを受け取って袖を通す。
「では、行きましょう。折角の
「仰せのままに、旦那様♪」
なぜだか少しだけ浮き立つような気分になり、心中に茶目っ気のようなものが芽生えたわたしは、少しフザケたような台詞を漏らしてしまいましたが、圭人様は微笑って頷かれました。
* * *
さて、新庄夏希であった頃の私は、買い物は屋敷から歩いて3分ほどのところにあるスーパーマーケットか、それすら面倒な時は徒歩2分でたどり着くコンビニで済ませていた。
小中高時代はともかく、大学に入った頃から既にそういう習慣になっていたので、最寄り駅の前から伸びるこの商店街に足を踏み入れたのは、久しぶりのことかもしれない。
しかしながら──。
「あ、ナツキちゃん、今日はキャベツが安いよ!」
「ウチのイワシもだ。見てってくれ!」
「おや、ナッちゃん、その人はアンタのイイ人かい? 違う? 雇い主?」
「な~んだ、あのナツキさんについに恋人が!? って思ったのに」
商店街に着くや否や、そんな風に八百屋の大将や魚屋の旦那、和菓子屋の女店主や、屋台でクレープを焼いている女性などに次々声をかけられて、内心非常に驚いた。
もっとも、高性能メイドロイドの立場になっているせい(お蔭?)か、その驚きを顔に出すことはなかったが。
今の“わたし”としての
(なぜなら、ココの方が商品の目利きと選択がしやすいし──それに多くの人と交流が持てるから……!?)
その理由に思い至った時、“わたし”はハッとして圭人様の顔に向き直ります。
圭人様は、ちょっと困ったような照れ臭いような表情で視線を明後日の方角に逸らされました。
(それはそうか。“私”のような引き籠り体質でもない限り、毎日ずっと主とふたりきりで屋敷にいるだけじゃあ、退屈だし息が詰まるよね)
メイドロイドとは言え、祖父の最高傑作であるケイトは、ALも無く、殆ど人間と同様の感情と感性を持っている。
身近にいるのが陰気臭い
納得できるし、別段咎めるつもりもない。むしろ謝るべきは
とは言え、この場で謝罪するというのも違うような気もするし、なにより照れ臭い。
なので私は……。
「──もし差し支えなければ、今後もこのように、買い物等の外出につきあっていただければと思うのですが?」
それは、メイドロイドのナツキとしての希望であると同時に、元に戻ったあとのケイトの主人・夏希としての意思表明でもあった。
それが分かったのだろう。
「! はい、もちろんですとも」
圭人様は力強く頷かれた。
* * *
肉類、魚類、野菜類を始めとする食材を買い、ついでにトイレットペーパーなどの雑貨も入手して、私たちは帰路についた。
「申し訳ありません、荷物の一部をお持ちいただいて」
「いやいや、軽いものだし、いくら
トイペとティッシュ、それにご自分で使用されるのだろうノート類の入った袋を右手に提げておどける圭人様。
屋敷に入り、台所で荷物を下ろしたところで、私はペコリと頭を下げた。
「本日は、私の買い出しにつきあっていただき、誠にありがとうございました」
「気にすることはないです、気分転換にもちょうどよかったですし」
微笑みながらそう答える圭人様は、先程までご自分が持っていた買い物袋から、何かを取り出しました。
「これ、よかったら使ってみてほしい」
10センチ四方くらいの小さな紙袋を受け取り開いてみると、中に入っていたのは、いつの間に買ったのか長さ40センチくらいの碧いリボンだった。
レースの縁取りがされたソレは、おそらく女の子が髪をまとめる時などに使うものだろう。
「ありがとうございます。ですが……」
私の髪型は(元が男なので)ベリーショートで、しかもメイドロイドの立場になっている間は髪も伸びないだろう。
薄めではあったものの一応毎日剃っていたヒゲが、この3日間まったく伸びていないことからも、そう推測できる。
仮に、1ヵ月刻みの“試験”に2、3度落ちてこの状態が続いても、髪は短いままのはずだ。
「わかっています。でも、もし機会があれば、1度くらいは着けてもらっても構いませんね?」
「はい、そういうことでしたら」
まぁ、圭人様としては「デートっぽいコトの最後に、知り合いの女の子に如何にもなプレゼントを贈る」という行為そのものが新鮮で一度やってみたかったのかもしれない。
カーデガンを脱ぎ、エプロンとヘッドドレスを再び着けながら、私はそんな風な結論を下していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます