【002】
保存用カプセルは淡い緑色の液体が満たされ、その中に浮かべられたガイノイドは、一見したところ若い女性にしか見えなかったが、後頭部、手首、そして股間に接続されたケーブルが、「それ」が人間でないことを物語っている。
「え、これは……?」
初めてそのガイノイドを見た時、私は奇妙な既視感──もっと言えば「懐かしさ」とでも呼ぶべき感情に襲われていた。
慌てて、カプセルに近寄り、さらに詳細に観察する。
「絶世」とまではいかないまでも水準以上に整った容貌と、ややスレンダーながら女性らしい優美な曲線を描く肢体。そのふたつを見れば、“それ”は十分に美女の範疇に入るルックスを備えていた。
しかし、どこかで見たことがある顔だった。
(誰だったか……いや、それは後でいいか)
ほぼ間違いなく、このガイノイドは祖父の遺した作品だろう。カプセルの埃の積もり方からして、放置されていたのは2、3年といったところ。たぶん、祖父が亡くなる直前まで手掛けていた発明に違いない。
それなりの特許は取得しているとは言え、いまだ発明家としては祖父の足元にも及ばないと自覚している私は、その祖父の“遺作”に触れられるとあって、並みならぬ感動と興奮を覚えていた。
「マニュアルは──あった!」
理学・工学博士にして天才発明家という肩書きを持っていた祖父だが、論文や覚え書きの類は、ワープロなどは使わず手書きで作成していることが多かった。
祖父の存命中は、会社や官公庁に向けて提出する文書をデジタル化する(要するにワープロその他で打ち込む)ことを、よく頼まれたものだ。
そんな記憶を懐かしく思い出しながらマニュアルに従って操作すると、程なくカプセル内の液体が排出され、カバー部分が開き……同時に、ガイノイドの瞼もゆっくりと開かれた。
『──セルフチェックプログラム……クリアー。コンディションオールグリーン。
おはようございます、夏希坊っちゃん』
「! 僕のことがわかるのか?」
“夏希坊ちゃん”という懐かしい呼びかけをされたことで、つい私の一人称も少年期のものに戻ってしまう。
『──はい。わたくしは、ドクター・新庄が個人的に作成されていた
受け答えする様子に多少の堅苦しさはあるものの、それは機械的というより
『──夏希坊っちゃん、ひとつよろしいでしょうか?』
「な、なんだ?」
『──ドクターではなく坊っちゃんの手で再起動されたことを鑑みるに、ドクターは死去されたか、少なくとも動けない状態にあると推察されます』
やや躊躇うような気遣うような意図の籠ったその視線に衝撃を受ける。
「(推察する、だと? それにこの表情!)あ、ああ、その通りだ。爺さん──新庄輝政は、2年半前に亡くなったよ。今は、僕がこの屋敷と会社のオーナーだ」
“彼女”にそう応えながら、久々に新鮮な感動を覚えていた。
(なんてこった……やっぱり爺さんは天才だったんだな)
研究者のハシクレとして、羨望と同時に興奮を覚える。
ひと昔前のフィクションなどで登場する“メイドロボ”的な自動人形は、研究が進んでいるものの、現在、一般に売り出されている代物は、定められたビジネスライクな受け答えをさせるのが関の山だ。顔の表情も10種類ほどの
あるいは個人や研究室単位でなら、その先を行くようなモノもあるのかもしれないが──いや、爺さんの作った“この子”がまさにソレか。
『成程。ドクターは夏希坊っちゃんのお世話をさせることを目的として、わたくしを作成されました。願わくば、その本分を果たせさせていただきたいのですが』
これは、むしろ願ったりかなったりだ。
私が高校に入った頃からからは、昼から夕方にかけて通いの家政婦が来て家の
会長職を継ぎ、「引き籠り」になった頃からは、その家政婦も断わり、私ひとりで暮らすようになっていたのだが……なにぶん、この屋敷は無駄に広い。手の届かない部分も多かった。
このガイノイド──ケイトが引き受けてくれると言うなら万々歳だ。
「ああ、よろしく頼む。それと、時々は君のボディのソフトとハードの両方を研究させてほしいんだが……」
『──かしこまりました』
ペコリと頭を下げるケイト。
「ああ、それから僕……いや、私のことを「坊っちゃん」と呼ぶのは止めてくれないか」
相手はロボットなのだから命令すればよいのだろうが、あまりに人間じみたその見た目と言動故ついお願いする口調になってしまう。
『──では、何とお呼びすれば? ご主人様ですか? それとも旦那様?』
間違いではないが、さすがにちょっと大仰でこっ恥ずかしい。
「うーん、じゃあ、「マスター」ぐらいで。それと、話し方をもう少し柔らかくできるかな?」
『──ええ、わかりました、マスター。これからよろしくお願いしますね』
その時、
その綺麗な笑みに阿呆のように見惚れず、そのことが意味するところを私がもっと深く考えていれば、「あんな事」は起きなかったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます