6.

 三人の顔合わせに、美枝は古い純喫茶風のカフェを選んだ。

 薄暗い店内に、ステンドグラスのようなシェードの灯りがたくさんぶら下がっている。その灯りが反射した窓ガラスは、星空のようだ。

 僕と彼女は並んで座っていた。向かいのソファには誰もいない。もうすぐ、仕事を終えた植田さんが到着するはずだ。


 美枝は煙草に火をつけ、ふーっと煙を吐いた。彼女のタバコはバニラの匂いがする。今時見ないような濃いアイメイクに、ビーズが光るターバンを頭に巻いてタバコをふかす彼女は、この暗いカフェで一番目立っていた。

 ちょうどよかった。これなら植田さんも見つけやすいだろう。僕は面接帰りだったのでスーツを着ている。雰囲気が違う姿に植田さんは気付いてくれないかもしれなかった。


「――マコ、今日の面接どうだったの?」

「わかんない。感触は良さそうだけど、僕の好きな会社じゃないかも」

「へぇ~、てかだいぶ堂々としてきたんじゃない?最初の頃と顔つきが違うわ」

「なんつったって、歴戦の猛者から色々と教わってるからね。植田さんの話、めちゃ勉強になるよ」

 猛者、と言って美枝が笑った。


 店のチャイムが鳴る。入り口に、植田さんが立っていた。彼は店内を見回すと、僕に……というよりは美枝に真っ先に気づき、続いて僕を見て少し驚いた顔をしていた。僕のスーツ姿は初めて見るはずだ。反応がかわいい。なんだか左腕を気にしているようだが、思い過ごしだろうか。


 席につくと、植田さんはアイスコーヒーを注文した。

「ごめん、待たせたね。ええと、こちらがその、同じ高校だった、」

「美枝でーす、初めましてぇ」

 彼女の声は、普段からは想像もつかないほど高かった。ぎょっとする僕を尻目に、彼女は植田さんに愛想を振り撒いた。軽く会釈する彼を、上から下まですーっと見る。

「やだ、普通~!いい意味で」

「はは……」

 植田さんは少し引きぎみに笑っていた。

「お邪魔するのは気が引けるけど、マコがどうしても紹介したいって言うから。珍しいのよ、そんなこと」

「そうなんですか、」

 僕はそれを聞いて笑ってしまった。美枝は植田さんよりずっと年下のはずなのに、敬語を使っているのが可笑しかった。

 間もなく、植田さんのアイスコーヒーが運ばれてきた。


「じゃぁ……まずは二人とも、お付き合いオメデト~」

 そういって美枝が胸の前で小さく拍手をした。とたん、植田さんはアイスコーヒーのグラスから唇を離し、ゲホゲホとむせはじめた。

「あ、あの、」

「気にしないでぇ。そういうの特に変に思ってないから」

「いや、そうじゃなくて、」

 ポケットから出したハンカチで口元を拭くと、遠慮がちに僕と美枝を交互に見た。何か変なことを言っただろうか。

「あの……俺たち付き合ってるの?」

 今度は僕と美枝が顔を会わせた。そのまま美枝が僕の肩をぐっとよせ、耳打ちした。

「うそでしょ?」


 僕は半分パニックだった。今日は美枝に恋人を紹介する、というつもりで、三人のお茶をセッティングした。それがまさか、こんな……。


 僕は必死でこの間の夜のことを思い返した。植田さんと寝たあの日、僕たちは間違いなく恋人同士になった、はずだった。あれはそういうつもりのセックスだった。だが確かに、好きとかつき合ってくれとは言っていない。いつもは言わなくてもそうなるから、だからてっきり……。


 考えるうちに、恥ずかしさと悲しさで、目の奥が熱くなってきた。僕は無言で美枝に助けを求めた。だが、

(なに早とちってんだバカヤロー!)

 美枝の顔は僕にそう言っていた。植田さんは相変わらずうろたえていて、僕の二の句を待っている。四面楚歌だった。消えてなくなりたい。思わず手で顔を覆った。


 どうしよう……。


 僕は美枝が何か言ってくれるのを期待したが、彼女は全く口を開く様子がない。それはそうだろう。あくまで僕と植田さんの問題で、そこに口を挟むのは誰のためにもならない。だから黙る。美枝はそういう子だった。


 僕自身で解決しなければならない。どうやって?

 思い浮かぶのは、あの時の――美枝に告白したときのことだった。

 また同じことを繰り返すのかもしれない。

 僕は自分で気にしないつもりでいながら、本当はずっと、その失恋を引きずっていたことを思い知らされた。それならなおさら助けてほしかった。美枝はやっぱりなにも言わない。


 美枝が何か言ってくれたら。植田さんが言わずとも察してくれたら。僕はこんな窮地に追い込まれなくてもよかったのに。明らかにこれは、自分が言わなきゃ何も進まない流れだった。


 沈黙の時間だけが流れていく。早くなんとかしなきゃ。僕は言葉を絞り出した。

「僕じゃ、駄目、だった?」

「……その、駄目、とかじゃなくて」

 植田さんは戸惑いの滲む声で、そう言うと、黙って考え込むようなそぶりをした。僕に何か大事なことを伝えようとしている。急に嫌な予感がした。ふたたび訪れた長い沈黙のあと、植田さんが口を開いた。


「付き合うって、いっても……今までみたいに一緒にいるのと、どう違うんだ……?俺には、違いがわからない。……こないだのだって、酒のせいだろ?だから……」

 僕の指先から感覚が失われていく。その先を聞きたくはなかった。


「その……付き合おうか、って、俺には、言えない」

「……、」

「……ごめん。」

 植田さんは短く謝ると、僕と美枝の顔をちらりと窺いながら、小銭をおいて去っていった。


 ドアのベル、カップとソーサーの音、店内の空調、ありとあらゆる音が、空っぽになった僕の耳にまっすぐに飛び込んできた。着ているスーツが、窮屈に感じる。世界から僕だけが切り離されてしまったような気がした。

「――このお店さぁ、」

 美枝がタバコをおいて遠くを見る。

「お酒も飲めるんだよねぇ……」

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