7.

 仮病を使って会社を休んだ。


 こんな状態で出社したって、仕事なんかできっこない。その上平田になじられたりしたら、もう本当に立ち直れないかもしれない。


 毎朝自分で作る朝食も、今日ばかりは作る気力が全く湧かなかった。俺はコンビニで買ったメロンパンをかじりながら、誠のことを考えていた。


 誠は他の誰とも違っていた。

 今まで出会ったどんな友人よりも、ずっとずっと、側に感じた。彼のことをもっと知りたいと思った。

 同時に彼は、俺の隠していたものを、容赦なく暴いていく危険性を秘めていた。

 彼を抱いた夜、長い間押し殺してきたものが明るみに出た気がした。


 本当はずっとこうしたかった。中学のときに好きだったのは、男だった。高校も大学もそうだった。会社に入ってからは恐らくずっと、勝川のことが好きだった。

 彼らのことを明に「好き」だとは思わなかった。ただの友情の延長だと思っていた。普通は同性の友人を好きになんかならないからだ。

 俺は普通の人間だ。平凡で取り柄のない人間だ。普通の範疇を越えてしまえば、必ず苦しい思いをする。それに耐えられる人間だけが普通を飛び越えればいい。俺には耐えられない。

 みんなと違うのが怖い。みんなに否定されるのが怖い。否定されるということは、自分が悪いということだ。自分が必要ないということだ。


 弱い自分を守るために、そうやってずっと生きてきた。それを、いきなり変えることなんてできない。

 せめて友人として、彼と共にありたかった。勝川のような関係を、俺は望んでいた。好きでもいい、でも、それ以上はいらない。虫のいい話だった。そうする以外の方法が思い浮かばなかった。

 俺は誠を家に呼んだ。


「もう会ってくれないかと思った、」

 彼の笑顔はぎこちなく、見ていて痛々しかった。俺は冷たい紅茶を二人分、テーブルの上に出した。

 ふと、紅茶の入ったグラスを持つ彼の手首が、青く光った。変わったブレスレットをしている。

「それ、」

「え?」

 ブレスレットを指差すと、彼は少し顔を緩めた。

「昨日美枝がくれたんだ。お守りだって」

「へぇ。ナザール・ボンジュウだ、」

「んん……?ポンジュース?」

「トルコのお守りだよ、」

 俺はかつて大学でアジア文化を専攻していたことを話した。誠は意外そうに話をきいていたが、ふと何かひらめいたように、あぁ、と言った。

「植田さんのボディソープ、美枝のお店とおんなじ匂いがする」

 ボディソープ。あれは卒業旅行でタイに行ったとき、現地のドラッグストアで買ったものだ。香りが気に入って、帰国したあとも通販でずっと買い続けている。たしかに、お香のような特殊な香りかもしれない。美枝さんとはなんだか趣味が合いそうだった。


 そうした雑談をしばらくしたあと、俺は思いきって本題を切り出した。

「――誠といると、楽しいんだ。」

 それは嘘偽りのない気持ちだった。

「だから、その、今まで通り、一緒にいてくれないか」

「……それは、好きとかじゃ、なくって、てこと?」

「――ああ、」

 嘘だ。

「友人として、」

 大嘘つきだ。けれど、俺が一番大切にしている「普通」を手放さないためには、そう答えざるを得ないのだ。大多数からはみ出ないように、自分を調整する。そのなかで、誠を失わずにいるためには。

「――わかったよ、」

 俺の目を見ないまま、彼はそう言った。その悲しそうな顔を、直視できなかった。こんな顔をさせる自分が、情けなくてしかたがなかった。俺は作り笑顔でありがとうと答えた。


「お茶、おかわりいる?」

 会話を絶つように席をはずし、冷蔵庫を開ける。その時無意識に、怪我をしている方の腕で、二リットルのペットボトルをつかんでしまった。

「痛っ……」

 思わず声が出る。誠はそれをじっとみていた。

「ねえ、植田さん、腕、怪我してるんじゃない?」

「あ、ああ、まぁちょっと、会社で、」

「会社で?」

「……」

 見つめられながら、俺はさっきの嘘と引き換えるように、怪我の真相を話した。


「植田さん、なんでそれ会社に言わないの?」

「なんでって、」

 どうせ誰も助けてくれないだろうから。珍しく本音のでる俺に、誠は悲しそうな顔をして、

「そんな会社、やめちゃえばいいのに、」

 と言った。けれど俺は、今まで転職の世話を焼いていてくれた勝川と疎遠になった今、会社をやめる決断ができずにいた。

 それを聞いて彼は、いっそう怪訝そうな顔をした。それが俺には、何かを企んでいるかのような顔に見えて、すこぶる嫌な予感がした。

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