第2話 出会いと混沌の町

リリスと歩くこと約三十分。それまで見た景色、すれ違う人、植生、動物、どれをとっても俺の知っている世界とは異なるものだ。

俺は、いま異世界に存在しているという現実を、少しづつではあるが受け入れ始めていた。


「あれが、メルフィアの町よ。」


リリスの声に、俺ははっとする。遠くから、徐々に人の営みが見え始める。それは、俺にとって初めて目にする異世界の町だった。

建物は石と木で作られ、形は地球のそれとは大きく異なる。釣り鐘のような屋根。壁には彫刻が施され、色とりどりの旗が風にはためいている。


街にくと、騒がしい活気に包まれる。市場に並ぶのは、俺の知らない果物や野菜。売り手と買い手の叫び声。子どもたちの笑い声。馬のような生き物――リリスが『ケルビム』と呼んだ――の嘶き。


俺は目を丸くする。何を見ても新鮮で、どこを見ても驚きだらけ。でも、心の中は不安でいっぱいだ。

リリスは、俺の手を引いて道を進む。彼女の歩みは早い。しかし、その表情は優しい。


「リリス、なんで見ず知らずの俺を助けてくれるんだ?」


彼女は振り返り、微笑む。


「ここには時々、他の世界から来る人がいるの。私たちは、迷子になった人に手を差し伸べるの。それに、君は…特別な感じがするかな」


特別? 俺に? そんなはずがない。だが、リリスの目はどこか真剣だ。彼女の言葉に、どこかで期待感が湧いてくる。

町を歩く人々は、俺を不思議そうに見るが、敵意はない。むしろ、暖かいものを感じる。


「ここでは、君みたいに迷い込んだ人を『異界人』って呼ぶの。異界人は珍しいけど、めったにいないわけじゃないのよ。」


リリスの説明を聞きながら、俺は心を落ち着ける。

異世界に転生したっていうのに、なんとなく居場所があるような気がしてきた。

この町には、俺を受け入れてくれる温かさがある。そして、俺の中にも、この新しい世界で何かを始める期待感が芽生えていた。




メルフィアの町の喧噪が、少しずつ慣れてきた頃合いで、リリスが俺を宿屋まで案内してくれた。その宿屋は「ケイレスの宿」という。古めかしい木造の建物だが、どこか温もりを感じさせる。


宿屋の主人は、がっしりとした体躯の男性で、名はバルドという。ずんぐりした体に似合わず、声は意外と穏やかだった。

「ようこそ、ケイレスの宿へ! 名前は?」


「あ、俺は昭文って言います。」


「昭文か。異界からの客人をもてなすのは、我が宿の名誉だ。安心してくれ。」


その時、階段から降りてきたのは、バルドの娘と名乗る一人の美少女だった。名を聞いたわけではないが、彼女の顔立ちは整っており、大きな瞳は宝石のように輝いている。長い髪は金色に輝き、歩く度に艶やかな波を描いていた。


「お父様、この方が新しいお客様ですか?」


彼女の声は、俺の心に穏やかな波紋を広げる。リリスが俺を見て、ニコリと微笑んだ。


「そう。この方は昭文。彼も異界人だ。」


俺は思わず動揺を隠せずにいた。地球では見たこともないような、まるで絵画から抜け出してきたような美少女が、目の前にいるのだ。彼女は俺を見て、優しく微笑んでいた。


「よろしくお願いします、昭文さん。私はセレナといいます。ぜひごゆっくりしてくださいね!」


俺は何も言葉を返せなかった。ただ、彼女の存在が、この異世界での新たな生活への期待を、ぐっと高めてくれたのは確かだった。


彼女は、まるで俺が何を考えているかわかるかのように言葉を続けた。


「この街は、異界人は見慣れているんです。昔、ある異界人がこの街に大きな恩恵をもたらしたので、その恩返しとして我々は異界人を歓迎する文化を持っています」


俺は感謝の気持ちと同時に、少しだけ負い目を感じた。俺には、まだこの好意に返せるものが何も無い。


「料金については、働くことでそれを返していただくことも可能です。異界人は独自の技術や知識を持っていることが多いので、町の発展に貢献していただければと。」


バルドは俺の返答を待っているようだった。俺はこれまでの経験を活かせるかどうか自信はなかったが、ここでの新しい生活を始めるためにも、何か町の役に立てることを見つけなければならないと思った。


「了解しました。何かできることを探してみます。」


娘さんはまた、その美しい笑顔で俺に頷いた。


「それでは、まずはご休息を。明日からゆっくりお話をしましょう。昭文さんにぴったりのお仕事が見つかるといいですね。」


俺は少し緊張をほぐすために深呼吸をした。明日からのことを考えると、わくわくすると同時に、新たな世界での責任も感じた。


バルドの宿屋に通された部屋は、俺が想像していた異世界の宿よりもずっと心地よかった。壁には精緻な彫刻が施されており、柔らかい光を放つランタンが温かみを添えている。ベッドに身を横たえると、今日一日の出来事が駆け巡る。異世界に来てしまった理由、目の前の現実。疲れからか、そのまま深い眠りに落ちた。


未明に目覚めた時、俺は何故ここにいるのか、そしてこれからどうすればいいのかをぼんやりと考えた。

今はただ、生きていくための目標を見つけることだけが、俺に与えられた使命のように思えた。


宿屋のダイニングでは、もう朝食が始まっていた。

旅人たちでにぎわう中、俺は空腹を満たすために食事に集中した。そこへリリスが現れ、隣に座りながら話を始めた。


「昭文さん、今日はメルフィアで大きな展示会があるのですよ。古代文明の遺産がたくさん展示されるんです。興味ありますか?」


「古代文明の遺産?」


俺はその言葉にピンと来た。何か新しいことを知りたいという気持ちが湧き上がっていた。


「ええ、とても興味深いものが見られますよ。特に、あるアーティファクトには注目が集まっています。異界の方には特に魅力的かもしれませんね。」


リリスの言葉に俺の好奇心は刺激された。それはまさに、新しい目標を見つける手がかりになるかもしれない。


「いいね、行ってみようか。」


俺は朝食を終え、リリスとともに展示会場へと向かった。これが、俺の運命を変える第一歩になるとは、まだ知る由もなかった。

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