太郎くんのりんご

「たかしくんはくだもの屋さんでりんごを5つ買いました。家に帰るとちゅうで、ともだちの花子さんにりんごを1つわたしました。その後、となりのおじいさんからりんごを2つもらいました。たかしくんが家に着いたとき、りんごはいくつあるでしょう?」


 放課後の教室で、私は生徒に算数を教えていた。

 その子は太郎くんという子で、この前の算数のテストの出来があまり良くなかったからと、彼の方から算数を放課後に教えてほしいと頼んできたのだった。

 教師としてこんなことを言うのもどうかと思うが、算数のテストの出来くらいでそんなに落ち込まないで、放課後は元気に遊んでほしい。でも太郎くんがあまりにも必死に頼んでくるので、私は補習をするのだった。

 算数と言っても、この学年の子どもに教える算数はひどく簡単だ。足し算と引き算、数字の桁も小さい。しかし太郎くんは本当に苦手なようで、今もりんごの数を必死で考え込んで、指を折って数えていた。

「こら、指を使わないで」

 変な癖がつかないようにやんわりと注意したものの、彼がどうすれば計算しやすいのか、私も悩んでいた。

 算数の問題はそもそも計算しやすいようにできている。『5-1+2』という味気ない概念のやり取りを、りんごの受け渡しに置き換えることでイメージをしやすくしている。

 それでも計算に困るのだとしたら、もっと没入感を上げるのはどうだろうか。例えば、登場人物を自分にして、りんごを食べるという動機も加えてやれば。

 そんな安直な考えで、私は提案する。

「じゃあ例えば、太郎くんがりんごを5つ買ったとして、帰る途中にてつやくんに会って1つ渡したとしたらどう?その後、今度は先生に会ってりんごを2つもらって、それから家に帰ったとしたら。太郎くんが食べられるりんごはいくつになるかな?」

 てつやくんというのは同じクラスの、太郎くんの隣の席の子どもだ。

 こうやって実在の登場人物も混ぜて、太郎くん自身の話に置き換えたとしたら。

 太郎くんは答える。

「ゼロ」

「え?」

「ぼくが食べられるりんごのかずでしょ?だったらゼロ」

 その計算はおかしい。私は何か嫌な感じがした。

「ゼロじゃないでしょ。5個あって、1個わたして、2個貰ったんだから、残りは……」

「ゼロだよ。パパやママに、りんごは取られちゃうよ」

 そう答える太郎くんの表情に暗い影が差した。

 私は自分の不明を恥じる。りんごの数よりも、解決するべき問題が先にあったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不条理問答集 空殻 @eipelppa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ