第5話

 自分を助けるためにも、世界を守るためにも瘴気の解決は必要不可欠。だというのに解決方法が思いつかず、紫緒は悶々と頭を悩ませていた。


「お」


 竹林から聞こえてくる虫の声に耳を傾けながら、紫緒は考える。


「しお」


 ふと、名前を呼ばれた気がした。


「紫緒! どこにいるの!」


 物が少なく声が通りやすい裏にまで大声が轟いて、紫緒はがたりと体を揺らした。気のせいかと思っていたら、本当に名前を呼ばれていたようだ。しかもこの声は叔母の声で、随分と苛立たしそうな声色だ。

 紫緒は考えるのをやめて、急いで叔母の元へ走った。


「ど、どうかされましたか」

「私、これから忙しくなるの。だから代わりに買い物に行ってきてちょうだいな」

「はぁ、それはかまいませんが……」


 不機嫌な雰囲気を隠す様子もない叔母の元に向かうと、つんとした態度で用を言いつけられた。

 紫緒はその態度に眉を下げながらも頷く。


 叔母は紫緒の母親の妹にあたる久我里の巫女の一人だ。今までに夫を二人迎えているが、一人目の夫とも現在の夫である二人目の夫とも子宝に恵まれず、よく当主に世継ぎはまだか生まれぬのかと問いただされていた。

 久我里の世継ぎに性別は関係ない。より優秀な久我里の血を継ぐものが次期当主に選ばれる。

 しかしながら過去の統計をまとめると、次期当主に選ばれるのは長女や長男、またはその子が多く、本来であれば長女である紫緒の母親が次期当主に選ばれるはずだった。

 だが次期当主だと謳われていた紫緒の母親はなにを思ったか、家を飛び出して嫁入りした。そのため久我里の苗字を冠する娘は叔母一人になってしまったのだ。


 紫緒の母親がいなくなった久我里に叔母は次期当主としての期待を向けられたが、巫女としての才能が高かった紫緒の母親には至れなかった。だからせめて次の世継ぎを産めと期待を向けられている。

 もし叔母が世継ぎを産めなかったら、久我里の次期当主の座は紫緒に与えられる。それを疎ましく思っているのか、叔母は昔から紫緒に対して態度が悪かった。

 それを考慮したうえで、今日の叔母の機嫌は一段と悪い。ほぼ八つ当たりのような形で買い物のメモを押し付けられた。


「なんだったんだろ……?」


 むすりとした表情のまま、参道をずかずか歩いていて鳥居の向こう側へ行く叔母の姿を見送りながら、紫緒は首を傾げた。


「なんか、当主さまに大きな仕事を与えられたそうよ。帝都と協力して……みたいな任務」

「そうなの?」


 紫緒が疑問に思っていると、他の巫女がこそりと小声で教えてくれた。どうやら紫緒が蹴った仕事が叔母にまわってしまったらしい。


「頑張ってね」

「うん、ありがと」


 参道近くには参拝客がいる。時刻は昼に近づいているため、人数はそこまで多くはないが、人がいる手前あまり私語を続けていてはいけないだろう。

 応援してくれた巫女に軽く手を振って、紫緒は買い物に出かけた。


 久我里神社には計三十人の巫女がいる。そのほとんどは巫女としての才、つまり瘴気を祓えるかどうかで引き抜かれた平民出身の子供が多い。

 久我里神社で久我里の苗字を名乗っている巫女は紫緒と叔母のみで、他の巫女は中には久我里の分家の巫女もいるが、みんな巫女としての使命を果たせるかどうかで選ばれた久我里の血を受け継いでいない者たちが多い。


 そしてその半数に渡る巫女は次の当主は叔母の子が選ばれるだろうと、叔母の肩を持っている。だからか叔母と同じく紫緒に対して態度がきつい者もいた。

 叔母にとっては紫緒は自分の世継ぎの邪魔になる、はた迷惑な姉の残したものだとしか思っていなのだろう。


 先程声をかけてくれた巫女はそちら側の巫女ではなく、どちらかというと紫緒と友人のように接してくれる子だった。

 次期当主は紫緒だという派閥と叔母の子だという派閥で、世間から見えない水面下ではばちばちと火花を飛ばしあっているのだが、そういうのを抜きに接してくれる同世代の巫女の存在はありがたい。

 紫緒は友人がいるありがたみを感じながら、メモに書かれたものを買うためにたくさんの店が連なる通りにきた。


 久我里神社は帝都・巳桜でも中心地に建っている神社で、少し歩けばたくさんの店が立ち並び、観光客などの人通りも多い。

 時間が昼時だからか食事処などはどこも混んでいて、楽しそうな声が漏れていて活気あふれていた。

 賑やかな通りを歩きつつ、お目当ての物を買える店を探す。

 メモに書かれた物はどれも雑用品ばかりで、特段手に入れるのが難しいものではない。この通りですべて買い揃えることができるだろうと、紫緒は無事にお使いをこなした。


 メモに書かれたものは買えたので、あとはこれを叔母の部屋に持っていくだけだろう。

 おそらく叔母は今部屋にはいないだろうから、鉢合わせることはないだろうが叔母の部屋の近くには叔母の派閥の巫女が多い。彼女たちに冷たい目線を向かられるのかと苦笑しながら紫緒は神社に向かって歩き出した。


「私はどうでもいいんだけどな……」


 紫緒は久我里に引き戻されるまでは、普通の平民の子供として生きてきた。自身に巫女としての才があることには気がついていたが、母親から巫女になるようにと言われたわけでも、逆に巫女になるなと言われたわけでもない。

 自分が後悔しない道を選ぶように、そう言いつけられて育てられた。だから紫緒は巫女として生きることをいやがっているわけではない。ここから逃げ出したいなども思わない。けれど、世継ぎだのなんだのの争いだけはどうにも不毛なものに見えて、関わりたくないと感じていた。

 紫緒にとっては当主になるもならないもあまり興味のないことだ。人を助ける力が紫緒にはある。だから巫女として人を助ける。当然の結論だ。


「きゃぁぁぁぁ!」

「うわぁぁぁぁ!」

「⁉︎」


 紫緒が神社に戻るべく通りを抜けたところで、男女の悲鳴が響いてきた。

 ほぼ反射的に紫緒の体は声のする方へ駆け出した。

 通りの先の小道に入った市井の裏で、夫婦と思わしき夫婦が子猫を抱えてこちらに走ってくる。


「障りよ! 障りが出たわ!」

「なら私の出番、ですね」


 紫緒は緊張で表情を少し固めながら夫婦の前に立った。

 障りは瘴気と違って攻撃性を持ち合わせている。単純な力比べなら紫緒の負けは目に見えていた。なので紫緒が障りを浄化させるには背後をつくしかない。だが背後をつく前に障りに姿を捉えらてしまったので、ここは真っ正面に懐に入り込んで隙を狙うしかないだろう。

 最悪の場合もし紫緒が障りを浄化できなくても、ここは帝都中心地。巳桜障り殲滅部隊の本部があるところなので、すぐに彼らが駆けつけてくれるだろう。

 紫緒が今すべきことは殲滅部隊が来るまで夫婦を守ること。

 障りを浄化できなくとも、時間稼ぎができればじゅうぶんだ。


「これでも巫女ですからね。頑張りますよ!」


 障りが右手を上げて、紫緒に向かって振り下ろす。鋭利な爪をしているというわけではないが、障りの体から漏れ出る瘴気はさすがの巫女でも触れれば体に悪影響をもたらす。

 なので紫緒は障りの攻撃を間一髪で避け、その懐に入り込んだ。

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