第4話

 久我里神社境内の裏にて。


 辺鄙な村の近くに出現した瘴気の泉を浄化した紫緒は帰宅してからずっと物思いに耽っていた。

 人の通りが少ない場所で、木の葉が減って物寂しい光景を視線に収めながら考えること、それはやはり未来で訪れるであろう悲惨な終わり。


 一年後、紫緒は死ぬ。そして世界は瘴気に包まれて、人が生きづらい時代がやってくるのだ。

 それを防ぐためには少しでもはやくそんな未来が訪れないように手を打つしかない。と、いっても紫緒が一年かけてなにもわからないことだけがわかった瘴気をなんとかする方法なんて一朝一夕で考えつくはずがない。


 今、瘴気に関してわかっていることといえば、瘴気は瘴気の泉から漏れ出てくるもので、巫女ではないと祓うことができない。

 そして瘴気の泉からは障りと呼ばれる生き物、と言っていいのか曖昧な生物が現れ、こちらは――根本的解決にはならないが――巫女以外でも退治することができる。

 巳桜瘴気対策部隊なるものは未来にも現在にも存在するが、この組織も障りや瘴気についての詳しい情報を持ち合わせていなかった。紫緒と同じく、わからないことだけがわかって、手の打ち用がないと匙を投げてしまう隊員すらいた。


「瘴気とは一体なんなのか……これがわからないと未来を変えられない!」


 今の紫緒には無かったことにされた未来の記憶がある。その記憶を頼りに瘴気に関する知識を集めて、振り返り活路を見出そうとしてはや二週間。唸るばかりで解決の糸口すら見えていなかった。


「瘴気は何百年も昔からあって……一説には神の怒りだとか涙だとか……他には先代の呪いがーみたいな説もあったかなー」


 誰も判明することができていない瘴気が発生する原因。瘴気の歴史は古い。それこそ久我里の歴史より古いのだ。さまざまな文献を読み漁っても、これだという決定的な説は見つけられなかった。


「わからないことだけがわかっている……そもそも、わかろうとすること自体が間違っている? ……ああ、駄目だ。頭がこんがらがってきちゃった」


 紫緒は頭を抱えて、気分を切り替えようと立ち上がった。

 悲惨な未来を変えるのは重要なことだ。しかし普段の仕事をこなすことも大事なことである。


 紫緒は表に戻ると掃除用具置き場からバケツと雑巾を取り出して歩き出した。

 今日は本殿の中を雑巾で掃除する予定になっている。おそらく担当の他の巫女もそろそろやってくる頃だろう。

 掃除をして頭も空っぽに、そしていい案が思いつくといいなと、紫緒はそんな毎日を過ごしていた。


「紫緒!」

「ひゃい!」


 他の巫女が来る前にバケツに水を入れておこうとしていたところを背後から声をかけられ、紫緒は驚いて肩を震わすと返事するつもりが思いっきり噛んでしまった。


「んん」


 噛んでしまった舌先を労りながら、声の主の方を見た。いや、見なくても声で相手が当主であることは理解していたが、人と話すときにそっぽを向いたままではいけないだろう。

 紫緒が当主と向き合うと、当主は口を開いた。


「紫緒、貴様に仕事がある」


 嘘でしょう、と紫緒は思った。今の紫緒には未来を変えるという重要な仕事があるのだ。それなのに別の仕事を押し付けられるのは少し苦しい。せめて後にしてもらえないだろうか、と思ってももちろんそんなこと口にできるはずがない。


「なんでしょうか」

「帝都からの依頼だ。近頃瘴気の発生が増加傾向にあるのは紫緒も知っているだろう。それの調査に協力してほしいと」

「げ」


 思わず紫緒の口から本音が漏れる。

 この言葉とまったく同じ言葉を、紫緒は以前にも言われたことがあった。そう、紫緒が死んでしまった未来に繋がる世界での話だ。

 紫緒はこの任務を受け、帝都と協力して瘴気に対して調べたり浄化を繰り返した。しかし結果は処刑されるというもの。いつかくる誘いだとはわかっていたが、まさかもうこの言葉を聞く羽目になるとは。


「そ、それはそのー、私には難しいかと思われます……」


 紫緒だけではない。どの巫女が受けてもかなりきつい仕事だ。

 別にこの仕事を蹴って、逃げ出してやろうと考えているわけではない。しかし帝都と協力して捜査するのは少し気持ちの面で憚られた。


「む、だが他に手が空いている者もそうおらん……が、たしかに紫緒にはまだ荷が重いか」


 ふぅむと唸りながら、意外にも当主はその場をあとにした。てっきりはいと言うまで離してもらえないと思っていたが、ものは言ってみるものらしい。

 未来の紫緒とは違い帝都側と協力せずに、瘴気の原因を断つ。単独行動だ。

 この仕事に関わらなくても、紫緒が生贄に選ばれる可能性はある。仮にもし生贄に選ばれなかったとしても、瘴気をなんとかしないことには生きていけない。

 未来を生き抜くためには、どう足掻いても瘴気をなんとかしなくてはならないのだ。

 バケツに水を汲み、本殿に戻る。その道中でとある人物とすれ違って、紫緒は無意識に息を飲んだ。


「……なんで巳桜障り殲滅部隊の隊長さまがここに」


 振り返り、誰もいなくなったのを確認して紫緒は言葉を漏らした。

 先程参道を歩いていたのはあの冷たな瞳の相吉蓮也だ。どうやら紫緒には気が付かなかったようで、そのまま通り過ぎてくれたがただすれ違っただけで息が浅くなってしまった。

 それほど彼の瞳は冷たく、なにを映しているのかわからなかったのだ。


「……いや、今は掃除が先だわ」


 仕事関係でこの神社にやってきたのか、はたまたただの願掛けかなにかなのかはわからないが、今の紫緒にとっては本殿の掃除の方が優先事項だ。


 蓮也と積極的に関わりたいとも思わない。紫緒は水の入ったバケツを握り直して本殿へと向かった。

 巫女数名で水拭きに乾拭きなど、昔から伝わる掃除の仕方で本殿の清掃を済ませ、予定のなくなった紫緒は神社の裏にやってきた。


 久我里神社は障りや瘴気とは関係なく、年中多くの人が訪れる。そんな神社の、人が寄り付かない場所。なにもないため普通なら来る必要がない場所。

 そこは神社近くの竹林に住む生き物の鳴き声と、かすかに遠くから聞こえてくる参拝客の声しか聞こえないので、考え事をするにはうってつけの場所だったため、紫緒はよくここに足を運ばせては今後について考えていた。


「はやくしないと……取り返しのつかないことになる」


 瘴気が溢れてからでは遅い。後手後手な対応ではなく、瘴気で溢れかえってしまうまえ瘴気の正体にたどり着き、瘴気の泉を浄化するよりもっと根本的な対処をしなければならない。


 当主が言ったあの言葉を聞いた時点で、運命はもう回り出しているのだ。

 きっと本来なら今頃紫緒は帝都の組織した障り関連の対策部隊に赴き、彼らと協力して瘴気をなんとかしようと話し合いをしているはずだ。

 しかし今の紫緒はたった一人でここにいて、紫緒の知っている未来とは違う選択をとっている。これが吉と出るか凶と出るかはわからない。だが紫緒の知っている未来と同じ選択をとることが正解だとは思えなかった。現に、その選択をした紫緒は死亡してしまったために時間は巻き戻ったのだ。

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