第3話
「……あ」
今のうちに浄化しなくては。紫緒はあっけにとられたが、ハッと本来の目的を思い出すと駆け出した。
そして黒くずぶずぶとした瘴気の泉に触れる。
「……これが巫女の力か」
すぅっと黒いもやが消えていく。周囲に漂っていた瘴気の消滅も確認できた。
それを紫緒の後ろから見ている視線に気がついて、紫緒は振り返った。
まずは礼だ。障りは瘴気と同じ成分だ。しかしながら攻撃性の高い生き物なので、背後からなどでないと触って祓うことができない。巫女は戦闘能力は高くないのだ。
だから障りを倒してくれた男性に礼を言うべきだと、紫緒は相手の顔を見た。そして――。
「あ……」
さぁっと顔を青ざめさせた。
黒い髪。まったく上がることのない口角。冷然とした、氷のように冷たい青い瞳。
彼は、間違いなく。
「この近辺で瘴気の量が増えていると報告を受けて様子を見に来たが、ちゃんと巫女が派遣されていたとはな。瘴気の泉も祓われたようだし、これでこの辺は安全だろう……どうかしたか?」
かちゃりと刀を鞘に納める男性は、まっすぐに紫緒を見つめて問いかけた。そこに悪意はなく、そして好意もない。
ただただ冷めた、事務的な応答。
「い、いえ。助かりました。私には障りに反撃する力がありませんでしたので。あ、あとよろしければそちらの少年を村に帰してあげてください。それでは失礼致します!」
紫緒はほとんどとっさにそう言い返してその場から逃げ出した。この山にはいくつかの獣道があって、道を覚えているので迷うことはなく山を下ることができる。
しかし今の紫緒の思考を占めているのは瘴気の泉を祓ったことへの達成感ではなく、少年を助けられた誇らしい気持ちでもなく、ただただ恐怖だった。
久我里神社を出たあの日、夢を見た。
おそろしい夢だった気がしたが、深く内容を覚えていたわけではなかった。それがつい先程、すべてを思い出したのだ。
紫緒は、久我里紫緒という巫女は、すでに一度死んでいる。
なんて馬鹿げた話だ、と思う。しかしあの冷然とした瞳は、間違いなく紫緒が死の瞬間に見た瞳だった。
彼は帝都が結成した
この部隊は名前の通り、障りを殲滅させるために帝都・巳桜が直々に結成させた障りの殲滅を目論む警察の組織の一つ。
対策部隊とは違い、瘴気について調べることを目的にしているというよりは、障りという存在自体を退治することに重きを置かれた組織で武装を許可されており、腕のいい剣士が多いという噂だ。
それもそうだろう。普通なら巫女でしか祓うことのできない瘴気だが、障りとして現れた分には巫女以外でも倒すことができる。しかし障りはそこいらの暴漢並みに強いので、女子供が勝てるような相手ではない。
しかも障りが発生するということはそこには瘴気が漂っている可能性が高い。人体に有害な瘴気があふれた土地でも戦える、それくらい精神力の強さも求められる武装集団なのだ。
そんな組織の、いくつかある隊の一つの隊長を任されている男性。それが先の黒髪の男性だ。
絶対零度の三番隊隊長、
そして紫緒の最期を見届けた人の一人。
「あ、ああ……そんな」
悲鳴にも似た声を上げながら紫緒は山を下る。
夢であって欲しかった。自分が処刑されるなんて、ただの悪夢だと思いたかった。しかし蓮也の瞳が、なにより一度も会ったことのない蓮也を巳桜障り殲滅部隊三番隊隊長だと判断できる知識を持っていることが、あれが夢ではなかったことを物語っていた。
気のせい、そう片付けるにはあまりにもはっきりとした夢の内容。
紫緒の住むこの世界は、一年後には生者が半数にまで減る。それは急激に増え始めた瘴気と、それに伴う障りの発生。
障りは巫女以外の人間に退治されると瘴気へと姿を戻す。それはつまり瘴気に対する根本的解決にはなっていない。
だから一度退治され、瘴気に姿を戻しても再度障りとなって人を襲う。だから人々は障りに、瘴気の前に倒れてどんどんと数を減らしていった。
もちろん巫女も帝都もそれに対抗しようと尽力した。しかし障りに襲われて巫女の数も減り、瘴気に対して巫女の数は圧倒的に足りなくなった。小さな神社の巫女たちから倒れていき、残るは久我里の巫女。しかし名門を言われようと久我里の巫女も人なのだ。
障りに襲われ、中には耐性があるにも関わらず増えすぎた瘴気で体調を崩して帰らぬ人となった巫女もいる。
それでも人より特段瘴気に耐性の強かった紫緒は最後まで巫女として戦い続けた。帝都内の瘴気の泉を祓い続け、また出現しては祓う。
もちろんもっと根本的な、これさえ祓えれば解決できるというような原因探しだってした。寝る間も惜しんで文献を読み漁り瘴気について調べて、そしてなにもわからないことだけがわかった。
それでも諦めることなく瘴気を向き合い続けたのだ。だというのに、紫緒は一年後に処刑されることになる。
理由は巫女や帝都が動いているにもかかわらず減るどころか増え続ける瘴気に怯え、瘴気を対処できなかったことに対して怒りを抱いた人間たちが、巫女を生贄に捧げようとしたから。
瘴気は神様がお怒りになったから出てくるのだと、そう信じ込んだ人間は神聖なる人間を、巫女を生贄に捧げよと久我里と帝都に直訴した。
最初は小さかったその声も、瘴気による被害が大きくなるたびにそれに比例するように大きな声となった。そして帝都が無視できないほどの声、いや要望と化したとき、紫緒が生贄として選ばれた。
紫緒は帝都と、久我里に捨てられたのだ。
民の心を落ち着けるため、そしてあわよくばこれで瘴気の被害が収まればいいなという帝都の淡い期待を込めて、紫緒は首を切り落とされた。
それで瘴気の問題が解決したかはわからない。だって紫緒は死んでしまったのだから。自分が死んだ先の未来なんて知ることができない。
ただ一年ものときを瘴気に費やし続けた紫緒の勘では、解決できたとは思えない。瘴気は生贄を捧げた程度でなんとかなるようなものではないのだ。きっとあのあと世界は瘴気に塗れて消えたことだろう。
「……でも、なんで?」
紫緒は山を下る足を止めると、どくどくと波打つ胸に手を当てて息を吐いた。
紫緒はもう死んでいる。だというのに、今ここに紫緒はいる。
そして世界も瘴気の泉の発生数が少し多いものの、どこもかしこも瘴気で塗れているわけではない。
まるで紫緒が処刑される前まで時が巻き戻ったかのようだ。
「……あ」
時が戻った。その言葉に心当たりがあって、紫緒は袖を捲って自身の左腕を見た。
左腕の、肘にあたる部分。そこには紫緒が物心ついたときから鳥のようなアザがあるはずだ。紫緒が肘を見ると久我里に引き取られる前、両親が亡くなる前からたしかにあったはずのアザが、跡形もなく消えていた。まるで、元からそこにはなにもなかったかのように。
「お母さん……?」
一度だけ、母親から聞いたことがある。
紫緒の肘にあるアザはただのアザではなく、母の愛であると。幼かった紫緒には母親の説明は詳しく理解できなかった。しかし唯一理解できたのはこのアザは一度きりだが確実に紫緒を守ってくれるということ。
紫緒を守るために時が戻った。そんなことありあない。そう思いながらも、なぜか納得している紫緒の姿があった。
母親は久我里きっての優秀な巫女であったという。ならばもしかしたらそんな超常的なことができたのかもしれない。
できてもおかしくなさそうだと思ってしまうほど、紫緒の母親は巫女としての才能に溢れていた。
そんな優秀な巫女の娘だからこそ、紫緒は久我里に引き取られたのだ。
「お母さんが助けてくれたんだ……」
紫緒は今、ここにいる。それは紛れもない事実だ。
そして夢だと思っていたあの荒廃した世界も、いずれ訪れる未来で間違いない。
つまりこのままの日常が続けば、せっかく母親が助けてくれたというのに、紫緒はまた瘴気に溢れた世界で生贄として処刑されることになる。
それだけは絶対に避けなければならない。未来を、変えなければならないのだ。
紫緒は幾分か落ち着きを取り戻して、深呼吸すると覚悟を決めて確実に一歩足を踏み出した。
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