第10話<冬華side>

 温かい朝食を食べたのは何時ぶりだろうか。


 少なくとも高校生になって一人暮らししてからは記憶にない。それどころか、パパにくっついてあちこちに引っ越していた時にだって覚えが無いかもしれない。悲しいことに私のパパは料理がからっきし駄目で、その遺伝なのか私もまともな料理を作れた試しがなかった。


 ママが海外転勤してからは、人の手料理が朝食に並ぶことなんてまず無かった。なのに、私の目の前には見るからに美味しそうで、温かな湯気が立ち上る作りたての料理が並んでいる。


「うん。我ながらかなりよく出来たかも。いつもより美味しい気がする」


 眼前に並ぶ食事を用意した本人は、私の向かいの椅子に座り、満足そうに箸を進めている。


「私は綾瀬の作ったものはお弁当でしか知らなかったけど、出来たての方が美味しく感じるわね。もちろん、お弁当もとても美味しかったけど」

「も、もう。そんなにお世辞を言ったって何も出ないよ」

「お世辞のつもりはないのだけど」


 元々綾瀬から押し付けられるような形でお弁当を受け取っていたけど、それを拒まなかった時点で私の胃袋は綾瀬に掴まれていたのだろう。


 餌付けされたペットのように私は綾瀬の手料理を求めていたのかもしれない。だから数日ぶりに綾瀬の作ったものを口にしただけで、自然と涙が込み上げてきてしまうのだ。


「うん。本当に美味しい」

「えへへ。冬華ちゃんが喜んでくれてよかったよ」


 ただ私がありのままの感想を伝えただけで、綾瀬は嬉しそうにはにかんでいる。その姿を見ていると、まるでこの料理は綾瀬が私の為に作ってくれたかのように見えてしまう。そんな訳がないのに。


 この朝食は綾瀬が自分のものを作るついでに私のも用意してくれたに過ぎない。だって、私はもう綾瀬に嫌われてしまったのだから。


 私はずっと綾瀬からの好意を蔑ろにしてきた。告白を断ってきたことに後悔はないけど、それ以外の日常的な接し方すら、私が綾瀬に対してしていたのはあまりに心の篭っていないものだった。


 曲がりなりにも綾瀬は私に想いを寄せてくれていたのに、私はいつも適当にあしらって、唯一の友人すら失ったのだ。


 好意の反対は無関心なんて言うかもしれないが、それは関係を断つことが叶う場合だけの話だ。私達の場合、関係を断ち切りたくとも親同士の決め事で共に暮らすことになってしまった。綾瀬からしたら私なんかと暮らすのは嫌でしょうがないだろう。


 いつもいつも嫌味なことしか言わず、学校だけでなく今や家の中ですら綾瀬に支えてもらっているのに、なにも返すことの出来ない無能な女のことなんて、綾瀬からしたらお荷物でしかない。


 思い返してみても、いつ綾瀬に見限られたのか分からない。綾瀬に嫌われたタイミングすら気がつけないほど、私は綾瀬の事を見ていなかったんだ。


「ねぇ、綾瀬」

「どうしたの?」

「………き、今日一緒に登校しない?」

「えっ、なんで?別々でもいいんだよ?」


 勇気を振り絞って学校までの時間も共にしたいと伝えても、綾瀬が首を縦に振ることはない。以前ならば飛びついてきたはずなのに、これも私達の関係性が以前と変わってしまったことの証左なのだろう。


 私と綾瀬の関係は、綾瀬が私に告白して振られた。ただそれだけの関係。そう綾瀬自身が口にしたのだ。これまでの学校での過ごした時間は、歪ではあっても私達は友人なのだと信じていたのは、全て私の勘違いだったのだ。


「そ、その、ここからの学校までの道のり詳しく分かっていないから、案内して欲しいなって思って…」

「ここと元の冬華ちゃんのお家ってあまり離れてないよね?少し歩けば知ってる道に出るんじゃない?」

「それは、そうなのだけど……」


 今まで散々綾瀬を傷つけてきたというのに、浅ましい私は綾瀬を手放せないでいる。例えまやかしだったとしても、一度手に入れた唯一の身近な人間に捨てられたくないと願ってしまう。だって綾瀬から離れたら、私はまたひとりぼっちに戻ってしまうのだから。


「同じ家から出るのに、態々時間をズラすのも変な話じゃない?だから私が迷子にならないように一緒に行きましょうよ」

「冬華ちゃんがそこまで言うなら…。本当に私でいいの?なんだったら近所に住んでる友達呼ぶよ?」


 綾瀬はどうしても私と登校はしたくないらしい。でも、私は今綾瀬以外の誰かなんていらない。クラスメイトなんて殆どが名前と顔が一致しないし、人となりを知らない。私は綾瀬がいいのだ。


「私は綾瀬と学校まで行きたいの。……駄目?」

「うっ………。涙目の上目遣いは反則じゃないかな」


 家族にすら強請ることなんてしたことなかったから少し泣きそうになって、断られるのが怖くて俯きがちになってしまう。


 今まではベタベタくっついてくる綾瀬が恥ずかしくって、可能な限り冷静でいられるように頑張っていたけど、今は羞恥心に取り繕うこともままならない。こんな姿を見せて、綾瀬に陰気な女だって余計に嫌われたりしたら怖いけど、それ以上に今お前なんかと学校まで一緒に行きたくないって突き放される方が怖くって、顔をあげられない。


「綾瀬…お願い……」

「そ、そこまで言うなら不肖この綾瀬明莉めが学校までの道のりをエスコート致します!」

「…ありがとう」


 やっぱり綾瀬は優しい人だ。嫌いな相手でも、お願いされたら断りきれないらしい。強制させているような申し訳なさもあるけど、それ以上に誰かと学校まで行けることに喜びを覚えるあたり、私は自分勝手な悪いやつらしい。

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