第3話
ピリリリとスマホが煩いアラーム音を立てて震えた。
既に何度かアラームを切ったはずなのに、不思議とまたスマホは鳴り出したのだ。
自分でセットしたのだろうアラームに不愉快な気分になりながら、顔を上げてスマホのアラームを止めた。
画面にはスヌーズの文字。ちゃんと切らないから何度も鳴っていたのかと納得した。いつもならアラームが鳴る前に起きていたから、こんなに朝ゆっくりしているのも初めてかもしれない。
「んー……今何時…?」
落ちようとする瞼を擦りながら起き上がり、スマホの画面ロックを解除すると、8時30分の文字が浮かび上がった。
「やば。遅刻確定じゃん」
お弁当を作ったり家のことをやったりと朝は忙しいから、普段はもっと早く目覚めていた。冬華ちゃんに食べてもらうお弁当は手間暇かけて作りたかったからだ。だがもうそれもしないのだし、少しくらい寝坊してもいいやと昨夜夜更かししてみればこの有様。
学校までは歩いて20分程。近いからと自転車を買わなかったのが間違いだったらしい。私の高校は8時35分までに校門を通らないと遅刻になるので、もう絶対に遅刻を回避する未来はないということになる。
「めんどくさいしサボっちゃおうかなぁ」
どうせ遅刻して放課後の罰則掃除に駆り出されるくらいなら、いっそのこと風邪をひいたということにして休んでしまおうか。そう思い立ってからの行動は早かった。
担任の教師に休む旨を連絡すれば、普段から真面目に学校に通っていたかいもあって疑われることなくすんなりと受け入れられた。むしろ私が一人暮らしをしていることを知っている担任は、なにか必要なことはないかと聞いてくれた。ズル休みなので罪悪感が募り、何もいらないとだけ言って連絡を切ってしまった。
生徒にはとことん優しい担任教師が何故30代に突入しても恋人が出来ないと嘆いているのか、不思議に思いながら2度寝を決行した。
ピンポーン
二度寝から覚めて三度寝を敢行していたら、インターホンが鳴り響いた。時計を見れば時刻は既に夕方の18時。態々担任が私の家を訪ねてきたのだと理解して、特に着替えることなく玄関を開けた。
「先生こなくていいって言ったのに……って、冬華ちゃん…?」
はだけたパジャマの隙間からお腹をかきながら開いた玄関の先には、愛しの冬華ちゃんがいた。
「な、なんて格好してんのよ!?」
「うぇ、ごめん。起きたばっかで寝ぼけてたよ」
先生なら別にだらしない格好でいいかと思って適当なまま出てきちゃったけど、冬華ちゃんがいるんならもっと身嗜みを整えてからにしたかった。
「それで、なんの用冬華ちゃん」
「なんの用って…あんたが風邪ひいたって聞いたから。お見舞いに来てあげたんじゃない」
「………まじ?」
サボるための嘘を冬華ちゃんは信じて、態々私の為に看病に来てくれたというのか。これは冬華ちゃんもしかして私の事好きなんじゃ…?なんて妄想をしたところで冬華ちゃんにはカッコイイ彼氏さんがいるのだから、今私に靡いてくれるわけはないのだ。
「まぁ元気そうだし私は帰るわよ。これ食べれそうなら食べなさい」
「えーありがとう。すっごく嬉しい」
冬華ちゃんから押し付けられるように渡された袋の中には、ゼリーとかスポーツドリンクだとかの風邪っぴきが喜びそうな品々が色々と入っていた。
「冬華ちゃんは優しいね」
「べ、別にそんなことないし。綾瀬には普段お弁当作ってもらったりしてたからそのお礼」
腕を組んでそっぽを向きながら早口で冬華ちゃんは捲し立てた。素直じゃないなぁ。
「ところでなんだけど」
「なーに?」
「その………あのメッセージの意味を教えて欲しいんだけど」
「メッセージ?」
チラチラとこちらの様子を伺いながら、冬華ちゃんはスマホの画面を私に見せてきた。
「あー、それか」
「急にお弁当作るの辞めるってどうしたのよ。『私の手作り弁当で冬華ちゃんの身体を作り替えられるとか最高!』って言ってた癖に」
「なにそれー私の声真似?全然似てないよ」
私はそんなに声高くないし、流石にそんな気持ち悪い発言はしていない。……多分していない。
「お弁当はね、なんか疲れちゃって」
「…そう。なら仕方ないわね。むしろ今まで任せちゃってて申し訳なかったわ」
「ううん。私が好きでやってたことだから。冬華ちゃんは気にしないで」
「そういう訳にもいかないでしょう。とりあえず今まで作って貰っていた分の食費くらい出すわ。パ……お父さんに怒られたのよ。半年以上の食費になるとかなりの額になるし、ちゃんと返しなさいって。親御さんはいるかしら?」
冬華ちゃんのお父様はかなり真面目なお方なのだろう。私が無理やり冬華ちゃんのお昼を作らせて貰っていたのに、態々掛かった費用は返してくれるという。そんなの別にいらないのに。
「お金はいいよ」
「そうもいかないわよ。とりあえず綾瀬は寝てなさいよ。体調悪いんでしょ?お金のことは親御さんと話しておくから」
「あー……えっとね、私一人暮らしなんだ」
「あらそうだったの?」
一般的な二階建ての一軒家の我が家は一人暮らしにしては広すぎる。元々父と母と私の家族3人で暮らしていたのだから当然だ。この家で一人暮らしなんて嘘だと思われただろうか。
「うん。だからね、親はいないんだ」
「……そう。悪いことを聞いたかしら」
「そんなことないよ」
冬華ちゃんは察しがいいから、私の言葉に含まれた意味も察したのかもしれない。親がいないという意味が、この家にという意味でないことを。
「お金は本当に大丈夫だから。もうすぐ日も落ちるし、早く帰りなよ。暗くなったら危ないよ」
「…そうね。分かった。お大事にね」
「うん。ありがとね」
夕日も落ち始めて暗くなりつつある街並みに溶け込んで、遠くなる冬華ちゃんの背を見送って、憂鬱な気分に陥る。
だって仮病で休んだ私のお見舞いに来てくれた優しい彼女は、これから帰った後きっと彼氏と会ったり通話したりしてイチャイチャするのだろう。私が見たことの無いような恋する乙女の顔で、私じゃない相手に愛を囁くんだ。それが無性に悔しくて、でも略奪愛は私の趣味じゃないから、先を越された時点で自然に解消してもらえる未来を祈るしかない。
昨夜に出し切ったと思っていた涙がまた溢れてきて、冬華ちゃんの背中がまだ見えるうちにひとりぼっちの家の中に戻った。
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