まずは恋をしよう!/好きになって




 アンガレスさん主催のバーベキューに招かれた俺は、たらふく焼いた野菜を食べてご満悦の夜を過ごしていた。

 トラブルが立て続いた忙しい一日だったが、後日思い出として知り合いに語るならば七十五点というこれ以上無い点数を付けられる内容。

 始終キャンプ場の妖精こと恋ちゃんとは距離を感じるが、俺と彼女の間に漂う儚い雰囲気をアンガレスさんが必死に中和してくれていた。

 やはり、頼れる大人は素敵である。

 年上の男性も守備範囲として見直すべきだな。

 でも、アンガレスさんは必要以上にお節介な部分もある。

 それは。


「あの、お客さん……お、お水」


「おっ。ありがとー」


 青褪めた顔のまま震える手で俺にコップ一杯の水を差し出す恋ちゃん。

 かつて、これほど飲みづらい水があっただろうか。

 中学の時に俺の陰口を叩いていた女子を雫が注意しようとしたら、六割くらい内容に共感した彼女を見てしまった夜に飲んだブラックコーヒー並みに飲みづらい。

 きっと、アンガレスさんが恋ちゃんの恐怖症を治す手懸りとして俺を有効活用したいのだろうが、多少露骨すぎる部分があって俺ですらため息が出てしまう。


「それにしても、ここは星がよく見えるな」


「ま、街灯りも遠いし……そう、なのかも」


「最近は人に囲まれすぎて騒がしかったから、今日は少し良い息抜きになったかもな。それに、親切な人たちに会えて余計に人との繋がりが大切だと思い知らされた」


「余計って……い、言い方ひどいね……?」


「え? そう?」


「……お、お客さんって、友だち多そうですよね 」


「最近は割と真面目に友だち百人いるんじゃないかってメッセージアプリの連絡先登録欄を見返すと四十七しかいないんだよな」


「ぼ、僕なんて家族しか……ヴっ」


 どうやら友だち関係でも何かトラウマを刺激してしまうらしい。

 恐怖症、か。

 俺にとって恐ろしい物なんて、高校一年の雫には秘密で友達の家に外泊しようとした時、友だちから送られてきた家の住所を地図アプリに入力してナビを頼んだのにどうやっても迂回して雫の家に導かれるというスリリングな体験……かな。

 結局、雫にケータイの不調を話した上で外泊の件も一緒に許可を取ろうとしたがいつの間にか居間に大の字で朝まで倒れていた……何故か顎が痛かった。

 しかし、こんな俺の恐怖体験も生易しい事が恋ちゃんにはあったんだろう。

 無闇に刺激するまい。

 友だち関係の話題は避けよう。


「俺も小学生までそんな感じだったよ。中学なんて幼馴染の女の子を除いたら三人しかいなかったし。……その内の一人とは色々あって少し疎遠になっちゃったしなぁ」


「…………もしかして、れ、恋愛関係のトラブル?」


「うーん、当たらずも遠からず……九十二点!」


「だ、大正解なのに……」


「今日はその子ともキャンプする予定で、久々に仲良く何か出来る! ……って思ってた矢先にこれだぜ。神様の試練ってのは残酷だよ全く」


「……よく、もう一度仲良くしようって……思えるよね。僕、なんて……」


「まあ、前に別れた時は相手も結構傷ついた感じで罵られたりもしたし、嫌われたかもだけど。俺はその子の事が俺なりに好きだったしさ」


「嫌われたのに……好き?」


「そうだよ。俺なんて昔から毒虫が嫌いだけど、アイツら俺を見かける度に追いかけてきては刺すからね……嫌われてるの分からないのかって言いたくなるくらいに愛されてる」


 話している内に恋ちゃんの視線が呆れの色を深くしている気がする。

 よし、俺への恐怖は和らいでいるようだ。


「まあ、自分の気持ちは自分だけの物だから。相手からの好悪なんて関係ないって感じなんだよな、凄い迷惑だとしても」


「っ…………ぼ、僕は」


「ん?」


「僕はッ! その所為であんな事されて……!」


 今日の「近寄らないで」よりも大きな声量で、恋ちゃんは血を吐くような声で叫ぶ。


「恋ちゃん、もしかして嫌いな男子にメチャクチャ好かれた?」


「ッ…………」


 恋ちゃんが弱々しく首を縦に振る。

 話している内容も、様子からしてトラウマ関連だろう。

 自分を好いた男子からの迷惑な好意、そこに関係する恐怖症……。


「駄目だ。分からん!」


「え?」


「この世には好きな人を虐めたいとか、守りたいと思ってストーカーしたりとか、滲み出た好意を原動力にして動くと自覚無しで犯罪になるヤツも多い世の中だしなぁ」


「…………」


「恋ちゃんを好きになったヤツって、無自覚系の男だった?」


「……じ、自覚、あって、やって、た」


 それだけ言うと、更に思い出したのか恋ちゃんはその場で頭を抱えながら小さく蹲った。


「ぼ、僕に好きだって人気者の男の子が告白してきて……でも、れ、恋愛とか考えられない、から断ったら……」


「断ったら?」


「次の日から、みんなに疎外されて……嫌がらせもされて……か、彼が必死に僕を励ましてくれたし、謝ってたけど……じ、実は裏でぼ、僕を、僕を孤立、させる為に……動いてた」


「おわぁ……」


 好きな女の子を、恋ちゃんを手に入れる為に人気を利用してクラスの人間を操り、孤立させて傷心に付け入る。……なんて狡猾で褒められない方法だろうか。

 まるで女子校体育祭での雫の立ち回りを思い出す。

 カノジョ作りを本命に来た俺を好きな人という偽情報を衆人環視の最中で喧伝、人気者の雫を慕うからこそ恋を応援する派閥や嫉妬する派閥で校内が染め上げられて計画が頓挫してしまったのだ。

 あれも自覚ありの策略……外道!鬼畜!悪魔!幼馴染じゃなかったら三日間許してやらなかった。


「お、お客さんは分からないよね。……だって、こ、告白して傷付けて、嫌われても好きな人……だもんね……でも、僕らからしたら、それは迷惑で……!」


「え、違う違う。俺が告白してもらった方だよ?」


「え?」


「え?」


「え?」


「え?」


 …………。

 追い詰められたように捲し立てていた恋ちゃんの口が止まる。

 心底から驚いたような顔がこちらを向いた。

 その瞬間は、恐怖も何も吹き飛んでしまったのか、初めて怯えを一切含まない表情を見た気がする。

 しかし、それも束の間の事。

 みるみる恋ちゃんは悪い顔色を取り戻していく。


「ご、ごめんなさっ……勘違いした上に、や、八つ当たりとか……!」


「まあまあ。俺なんて明日には居なくなる人間なんだしさ、サンドバッグだと思ってぶつけてくれよ、誰にも話さないし。鬱憤なんて溜めてばかりじゃ体に悪いだろ?」


「…………」


「長時間溜めて、放つ……必殺技みたいでカッコよくね!?」


「…………何それ」


 やや不満げにこちらを睨んで、恋ちゃんが長いため息をつく。……いや、繰り返しているのを見ると深呼吸だな。


「ひ、人前でこんなに息が苦しくないの、いつぶり……かな」


「そうなの?」


「な、何かお客さんに身構えるの、馬鹿馬鹿しくやっちゃった……ていうか、何か、力抜けてきちゃうな」


「まあ、今日一日でお互い醜態晒した中だしな」


「……お客さんって口悪いね……」


「ふ、でも甘いね恋ちゃん。寝坊遅刻した挙げ句に独断行動で仲間と逸れた上に心配させ、しかも違う駅で降りて勝手に違うキャンプ場にて気付かないまま受付を済ませ、さらには気遣われて晩ごはんをご馳走になった俺にゲロ数発程度で勝てると思うなよッッ!!?」


「そ、それは流石に反省した方がいいと思う……本当に」


「うん。まあ、それくらいやらかしてる俺に何晒したって、今更俺以上に酷くなる事はないから心配せず何でも吐き出してぶつけちゃってよ」


「…………」


 恋ちゃんが一瞬だけきょとんとして、少し後にかすかに微笑む。


「な、何か……お客さんが告白されたっていうの、わ、分かるかも」


「そう? あの頃の俺は恋愛とか積極的じゃなかったし、何なら友だち片手で数えられるぐらいしかいなかったけど」


「でも、な、何だか自然と肩の力が抜けて、安心する……僕は嫌だけど」


「人それぞれさ。それに、その評価も今だけ……俺も幼馴染に、俺を好きになる人なんて七十億分の一とか言われたが、これからもっと魅力的な男になってこの母数を増やしていくさ」


「し、子数を増やすんじゃ……?」


 やめてくれ。

 数学は分かるが、算数は難しいので言われても理解ができない。


「むしろ、恋ちゃんの方が俺よりも好きになってくれる人は多いだろ。恋ちゃんを好きになったヤツにそういう最低野郎がいたかもしれないけど、世界にはそれだけじゃない人も沢山いると思うぞ?」


「……わかってる、わかってる、けど……!」


 恋ちゃんは呻くような声を吐きながら、自分の片腕を強く握っている。

 そもそも、恋愛にいい印象が無い子なのだから、いくら人間は多様だと説いても信じられないよな。

 それこそ、人を好きになる、恋とはそれだけではないと、夢のような光景を見せなくてはその考えも払拭できない。


「うーん…………あ。恋ちゃんって人を好きになった事ある?」


 俺の質問に恋ちゃんが眉根を寄せる。


「あるわけ、ない。……今、人を好きになれる精神でもないって……自覚、してる」


「だよな。俺も恋した事ない!」


「は、はあ」


「じゃあ、恋ちゃんには俺が好きになった女の子と素敵な恋をして、それを見せる事にしよう」


「え?」


「それなら、人を好きになる事、好かれる事が悪い事じゃないって証明できて、恋ちゃんも安心できそうじゃん!」


「……で、でも、こういうのって自分が頑張ってこ、克服するんじゃ」


「恋ちゃん、キャンプ場でお手伝いして、話す必要もない苦しい思い出も知らない他人に頑張って話そうとしたりとか……これ以上無いくらい頑張ってるよ?」


 俺の思ったままの考えを伝えれば、恋ちゃんは益々ぽかんとするばかり。


「それに、やる気出るぞ。俺が頑張って恋を実らせたら、恋ちゃんの恐怖も和らげられるんだからな」


「……アンガレス伯父さんみたいに、ありがた迷惑……」


「そか。でも、俺は恋ちゃんに感謝してるからな」


「へ?」


「いや、今年から俺ってある目的の為に恋人を作ろうって行動してきたんだけど、今までの俺って恋愛した事が無いからどうも空回りでさ。よくよく思い返したら計画的にもどこか明確に定まってない部分があったなって。それが失敗の一因にもなってるような気がして」


「…………」


「でも、恋ちゃんのお蔭で気付けたし、逆に俄然やる気が湧いてきた!」


 そう。

 俺はそもそも人を好きになった事がない。

 友好的な意味なら沢山あるが、恋愛的な感情については驚く事に皆無なのである。

 だから、恋愛から発展する関係――恋人という物に対して、どうにも理解が及ばず、努力か届かない。

 そう、まず俺は恋人を作る前に恋のできる心と体を作るべきだったのだ。

 それが恋人作りの為に必要なこと。

 恋ちゃん、アンタってやつぁ大切な事を気づかせてくれた……!


「よし。まずは恋愛しよう!」


「……凄いね。お客さんは、前向きで」


「前方不注意でよく物にぶつかるから、後ろ向きながら歩くなって幼馴染と友だちによく言われる」


「どういう状況……?」


「ふはは、俺もアイツらが何言ってるのか時々分からん」


「…………ねえ、お客さん」


 恋ちゃんが俺を見る。

 決意の光を宿した瞳は、その色もあって頭上で瞬く星のように綺麗である。


「今日、会ったばかりのお客さんが、真剣に、僕の為に頑張ってくれてるって思ったら……ぼ、僕も頑張ろうって……ち、ちょっとだけ思えた」


「恋ちゃん……」


「お、お願いがあるんだけど」


「恋ちゃん?」


「僕の、この、恐怖って……やっぱり、自分を好きになる男が怖いって、り、理由に起因してると思う」


「恋ちゃん……?」


「そ、それさえ克服できたら、ぼ、僕は立ち直れる。だから、お客さん――」


 恋ちゃんが、少しだけ震えながら俺に手を伸ばす。

 揺れる指先が、ちょんっと俺の胸に触れた。



「僕のこと、好きに……なってくれない?」



 こ、恋ちゃん…………!!!?












―――――――――――――――


新連載『忌み鬼は生まれて後悔したけど幸せです』始めました。

ようやく予定が空いていたので、頻度も上がっていくと思います。





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