夢は活き……てなかったぜ!
およそ十七年近く生きてきて、俺は初めてのキャンプを一人でしなくてはならなくなった。
最近やけに女の子と仲良くなれるイベントが多いので、運が良かった分を取り返す程の不幸に見舞われようとしているかもしれない。
神様もここで採算を合わせようという魂胆だ。
食料無し、雫不在、キャンプ初心者。
三大悪条件がここまで揃う状況は、奇跡以外の言葉で形容するなら最悪という他にない。
まるで神罰。
一体、俺が何をしたというのだ。
ただ、今日は少し遅刻して勝手に電車を降りて間違ったキャンプ場に来ただけだというのに。
「ご飯が無いかー……うちは結構山奥だし、駅に戻ればコンビニはあるけど飲食店も少ないしねぇ」
「因みに所持金は三十四円」
普段から俺は財布を二つ使い分けている。
主に紙幣やカードを入れた一号、そして今所持している小銭だけの二号。前者があればよかったのだが、夏休みはゲーム購入を禁じられた上に忘れ物をすると大変だからと重要な一号は雫が預かっているのだ。
その結果、残り滓のような財力しか蓄えていない二号のみ。
「帰りの電車賃はどうするんだい?」
「幼馴染が持っているもう一つの俺の財布で余裕です。土砂崩れでそれどころじゃないけど!」
「そうか……」
この所持金で食事は不可能。
今日は無飲無食で乗り切るしかないな。
アンガレスさんの調べによれば、一晩で線路は回復できるそうなので、流石に明日は雫たちの方から迎えに来てもらうくらいは出来るだろう。
「まあ、一晩くらいの死ぬほど空腹でも何とかなりますよ」
「んー……そんな子供を知ったからには放置するなんて大人としてはねぇ」
日頃から人に対して親切なのだろうアンガレスさんは、俺が一晩空腹で苦しむ事を看過できないようだ。
なんて心優しいのだろう。
そんな人は、俺の知り合いでも憲武以外全員しか知らない。
「それなら、大志くん。よければ今晩は私たちと一緒に食べるかい?」
「え、ホントですか?」
アンガレスさんの提案に俺は驚いた。
人が少ないキャンプ場に来た貴重な客とはいえ、ここまで尽くすように対応してくれるところから接客以外でも普段からの他人との接し方まで窺い知れる。
きっと、奥さんがいたら幸せ者だろうな。
俺が女性だったら即惚れていただろうし、俺が男性だったらプロポーズしていただろう。
「結婚してください」
「私は嫁一筋でねぇ。ごめんね」
「一途! ポイント高すぎる!!」
さて、冗談三割のプロポーズはさておいてだ。
食料無しで一晩明かそうと決意した直後だが、食事を振る舞ってくれるという提案は中々に魅力的だ。
意思の緩い人間だと自覚して一瞬だけ情けないと感じる。
「受付所の二階が私生活に使っている、実質我が家だから。そこで食べるか、それとも外に道具を持ち出してバーベキューでもするかい?」
あまりにも至れり尽くせりだ。
だからこそ、罪悪感だけが膨らむ。……俺も人間なのだ。
ただでさえ、遅刻した上に無断で別行動を取って逸れた挙げ句、違うキャンプ場で呑気に過ごし、一緒にキャンプをする予定だった友人たちは俺を心配しているのに彼らを放置して一人満喫するのはどうかと思う。
自重すべきなのだ、今回ばかりは。
「じゃあ、バーベキューで!」
俺は慎ましく管理人さんたちと全力でキャンプを楽しむ事にした。
食事は世話になるとしても、せめて折角キャンプ場にいるのでキャンプをしようと俺は設営を開始した。
スマホは充電中、一応父さんが俺といつかキャンプをした時に失敗せず父の威厳を見せたいからと道具一式と一緒にあったメモ用紙を読みながら手探りでテントを組み立てる。
作業は順調、完成したテントは見本とは少し異なるが完成した。
気付けば夕方、もう日は山の向こう側に沈んで空は暗くなりつつある。
「……あの」
掠れていて、少し低い声だった。
漣恋が俺の後ろに立っていた。声はかけてきたが、俯いていて目は足元を見ている。片手で上腕辺りを強く掴んで何かに耐えているように見えた。
これは……。
「君は、漣恋こと妖精さん……! どうかした?」
「……アンガレス伯父さんが、準備できたって言ってます」
「おっけー。俺も準備完了したから、そっちに行くぜ」
「…………案内、します」
「え、大丈夫? 俺が怖いのに一緒で良いの?」
「っ……え、な、何で」
「いや、見るからに怯えてるじゃん。昔、幼稚園で誤って蛙を踏み潰した時に、その日以降俺を見てた女の子がそういう反応してたからな……最初は俺の後ろに女子しか見えない背後霊でもいるのかと思ってワクワクしてたのに」
漣恋は目を見開き、数歩後退りする。
何だろう、余計に怯えられている気がする。
この話をすると、雫が少し嬉しそうにするから女の子に好評なお話なのではないかと思ったのだが。
「嫌な思いさせたくないし、場所を教えてくれれば一人でも大丈夫だぞ」
「……違うキャンプ場に来たのに……?」
「…………」
「あっ…………ご、ごめんなさい」
漣恋が口を手で覆うが、手遅れだ。
痛恨の一撃として入ったその言葉に、心が痛む俺は上唇を噛んで耐える。
「な、何で変顔?」
「気にしないで。まだHPゲージは危険ゾーン手前のオレンジ色表示だから……!」
「オレ……危険ゾーン……?」
「まあ、ともかく場所さえ教えてくれれば一人で行けるから心配しなくて大丈夫だぞ」
「……受付所の裏で、バーベキュー道具揃えてるから」
俺が頷くと、漣恋はそそくさと立ち去った。
雫以外には見た事がないレベルの可愛い子だが、初対面の俺に怯える様子は絶対に尋常ならざる事情があるに違いない。……あるいは、夕薙姉妹の時と同様に俺が忘れているだけで、彼女に苦手意識を植え付ける出来事があったかもしれない。
しかし、よっちゃんは毎度俺が紙袋を被っていて顔を見た事が無かったからだが、こんなに可愛い子なら少しは記憶に残っていない方が不思議である。
やはり、初対面なのだろうか。
「あのさー」
「っ、何」
「俺と君って何処かで会った事ある?」
去ろうとした背中を呼び止めて質問をした瞬間、漣恋が目を見開いてがくりと崩れ落ちる。
びちゃびちゃと溢れた物が地面を打つ水音と異臭に、俺は彼女が嘔吐したのだと気付く。
この臭い……昨日のご飯は冷やし中華かなッ!?
「だ、大丈夫か冷やし中……恋ちゃん!」
「近寄らないで!!」
「急停止!!」
近づいて背中を擦ろうとした俺に対して今日一番の声量で漣恋に制止された。
ようやく息絶え絶えで上げられた顔は、とても怯えていた。
口元を拭い、後退りしながら俺と距離を取る。
「ご、ごめんなさい。み、見苦しい所を」
「全然。それより悪いな、夕飯前に食道に負担かけちまって」
「え? い、いえ……?」
俺の対応に戸惑っている様子の漣恋だが、俺だって正直に言えば困惑中だ。
「……うーん、やっぱり会った事無さそうだよなぁ」
「……な、なら何であんな質問を」
「いや、凄く怖がられてるからさ。もしかして、俺が過去に何かとんでもない事を君に仕出かして心に傷を負ったんじゃないかと」
「そ、それは無いです……初対面です、本当に」
漣恋から初対面だと言われ、夕薙姉妹と同じ事案かもしれないという疑惑が晴れた。
「だよな! こんな可愛い子に会ってたら流石に覚えてるよな!」
「ヴっ……!」
「おお、何を言っても不興を買ってしまう」
また吐きそうになっている漣恋に沁沁してしまう。
俺を強く拒絶する人はこれまで何人もいた気がするが、嘔吐される程の拒絶反応は初めてである。
雫や憲武達のように良くしてくれる人ばかりに囲まれているからこそ、初対面で俺を嫌がる人間は貴重だと思える。
「ごめ、なさい。僕、男が……その、怖くて……話しかけるだけでも、結構、つら、くて」
「なるほど。アンガレスさんは知ってるのか?」
「……アンガレス伯父さん、は僕がそれを克服できるようにって、両親から頼まれて、接客……やらせたりしてくる……療養でここにいるのに……」
漣恋が明かした内容で彼女のこれまでの反応に納得した。
俺が連絡したいが為に、アンガレスさんがケータイを借りようとした時に拒絶したのも、男である俺の手に自分の私物を渡されるから嫌がったのだ。
声をかける時に目を合わせなかったり、何かに堪えているような様子も、男との会話という苦痛に苛まれていたからだ。
しかし、『療養』とは何だろうか。
「ぼ、僕は何話してんだろ……ただのお客さんに……伯父さんに頼まれて伝えに来ただけなのに……」
「男性恐怖症か……それなのに俺を呼びに来てくれるなんていい子すぎないか?」
「……え?」
「俺は男の人がそんなに怖いって状態になった事が無いから想像でしか言えないけど、たとえ伯父さんからの頼みでも俺だったら全力で断るぞ」
「……伯父さんは、いい人だから……面倒も見てもらってるのに、断るのも、気まずいし……」
「えー、超優しいじゃん。めっちゃ頑張ったな!」
「……何か、お客さんって……今まで会った男の人の中でも、何か……男って感じが薄いっていうか……だから、いつもよりちょっとだけ話せる、のかも。……何でだろう」
体を震わせながらゆっくり呼吸しようとしている漣恋を見ると、しっかり恐怖されているのは一目瞭然だ。
しかし、今の言葉から察するに他の男性だとは会話すら難しいのだろう。
俺は男として意識しにくい、か……。
はっ、まさかっ!!
「ふ、そうかそうか。やはり、あれは無駄じゃなかったって事か」
「何ていうか、お客さんって……」
俺は早くも自身の成長を感じて、思わず恍惚とした気分になる。
俺は男として意識され難い、というのはきっと朝に見た夢による女性疑似体験の成果だ。
そうに違いない。
「恋ちゃん。俺って実は」
「――犬、みたいですよね……」
「――女の子になった事があるんだぜ?」
「え?」
「え?」
成長は関係無かった。
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