紙袋の天災9
新武器――いや原点回帰なのか。
違う楽器に換装した小野大志に、でも私としてはその判断を愚策としか評価しない。意外性はあるだろうが、よっちゃんのバンドの曲との相性はあまり良くない。
血迷ったか。
何でも人を驚かせれば良いという見え透いた浅い思考が読み取れて失笑してしまう。
未だ己の失策に気付かず脱げかけの紙袋姿で不敵に笑う小野大志の表情が殊更に滑稽だった。
なのに、私の腹の底では不安が蠢く。
自ら迷走しようとしている小野大志に勝利へ近づいた事を感じ取るべき場面で、全く反対の暗い感情に戸惑っていた。
何より、そんな彼の行動をバンド経験からも理性的に止めようとするだろうよっちゃんの信頼の眼差しと、静かに構えるトナカイと犯罪者っぽい覆面。
戸惑う私たちの前で、イントロ無しのよっちゃんの歌い出しで曲が始まった。
え、何これ……この曲、知らない。
「まさか、新曲?」
ちらっと見れば、ステージ最前列に構えているよっちゃんの元バンドメンバーの顔が皆一様に口を開けたまま固まっていた。
まさか、この一ヶ月も無い練習期間でそんな物まで用意した……?
否、人に見せるのならしっかりと練習を積み、完成度を高めて披露する事がモットーの付け焼き刃大嫌いなよっちゃんがそんな判断に及ぶとは思えない。
そもそも、このバンドメンバー自体が付け焼き刃ではあるのだが。
「う、も、盛り上がってる……何で?」
「それは、あの三人の力よ」
「誰!?」
振り返ると、私たちの傍の壁に腕を組んで凭れながらドヤ顔をしている男性が立っていた。
うん……どちら様!?
若干だがオネエ様の雰囲気を感じ取り、どう接するべきか困って後退りする沙耶香の隣で店長が笑った。
「店長、あの人は?」
「二年前、大志くんをこのライブハウスに紹介してくれた僕の元バンドメンバーだよ」
「諸悪の根源!」
「ふふ。功労者と呼んでくれないかしら」
妖艶に笑う彼、いや彼女は腰を振る奇妙な歩き方で私たちの隣に移動すると、うっとりとした顔でステージの上にいる四人を見つめる。
コイツが小野大志たちの中学の音楽教師で店長の元バンドメンバー、私たちの運命を狂わせた張本人……だけどどんな文句を言っても響かなそうな包容力というかオトナの雰囲気を感じる。
「……そ、それで。ここにいる経緯などはさておいて、何で付け焼き刃の曲でこんな盛り上がりが……」
「大志くんと綺丞ちゃんの連携力は凄まじいの。しかも二人とも意外とサポート向き……彼らは支援する対象の理想を体現するよう自然と立ち回れる才能があるのよ」
「理想を、体現……?」
「二人の高い演奏技術と以心伝心の友情で成せるコンビネーションの力で、よっちゃんのモチベーションが上がって更に良い歌声を引き出してくれるのよ。そしてよっちゃんのボルテージが上がれば、二人もそれに合わせてより音を最適化していく」
「っ……!? ひ、平沢憲武は!?」
「ふふ。あの子誰? 何であんなキーボード達人みたいな子がいつの間に増えてるのかしら」
アンタも知らないのかい……。
しかし、今の話にピンとくるものがあった。
それは、よっちゃんが二年前に話していた事である。
家出をして駆け込んだ夜のライブハウスのスタジオで、ライブ前日の最後の練習に勤しむ小野大志と矢村綺丞に遭遇した時の話だ。
彼らが日頃からよっちゃんの曲を練習していたというのもあるが、ストレス発散で暴走気味に歌うよっちゃんに対して完璧に合わせて演奏しきったという。
相手の理想に合わせて、それを実現するようサポートを完璧に行う能力……。
「あの二人だけでも一級品だけど、二人がサポートに集中すれば、どんなバンドだって輝かせられるわ」
「………! ひ、平沢憲武は!?」
「ふふ。何あの子誰? 裏から三人を支えてるわ怖いわ」
新曲。
短い練習期間。
大胆な楽器の変更。
およそ三つ重ねれば実行するのも躊躇うほどの大失敗を招きかねない作戦だがステージ上の楽しそうな四人の雰囲気に何も言えなくなってしまう。
唖然とする私たちの前で、遂に最後の三曲目が終わる。
拍手喝采を浴び、メイド服のよっちゃんが艶かしく汗で濡れて額に貼り付いた前髪を搔き上げて満足気に笑う。しゅき。
「杏音。これは……」
「っ…………」
認めざるを得なかった。
一度ゼロにされたライブハウスの熱量を、私たちが育んだ物以上へと自力のみで作り上げてみせた四人の演出にはぐうの音も出ない。
決定的なのは、観客の最前列で涙を流しながら拍手しているよっちゃんの元バンドメンバーの反応だ。
認めざるを得ない。
「ほんと、ふざけんな小野大志……」
ポツリと愚痴をこぼして、私も拍手を送った。
よっちゃんだけでなく、私まで。
まるで天災みたいなやつだ。
確かな手応えに笑顔のよっちゃんを先頭にして、全員がステージから下りた。
私はそんな四人を前に何を言ったらいいか分からなかった。
「お。あーちゃん、俺たちのライブはどうだった?」
「……し、新曲って」
「ああ、それ? よっちゃんがバンド辞めた後も燻ってて作詞作曲したらしいけどそのままお蔵入りしちゃったやつを弾かせて頂きましたァ!」
「ちょ、大志プライバシぃいい!?」
小野大志の口を慌ててよっちゃんが塞ぐ。
でも、既に放たれた言葉は戻らない。
実際に私はそれを聞いてよっちゃん以上に動揺してしまった。
自信を失ってバンドマンを諦めてバンドまで解散してしまい、私はそのかつての輝いていたよっちゃんが戻るように怨敵の小野大志に勝負を仕掛けた。
でも、よっちゃんはまだ諦めきれないでいた?
私がよっちゃんを見れば、よく似た顔が照れ臭そうに笑う。
「えっと、さ。あーちゃんがそこまでバンドしてる私のこと好きだったなんて知らなくてさ」
「え?」
「たしかに、大志のライブで自信を失って挫けて、それでバンド仲間とも不仲で解散する羽目になったけど……バンドは好きなままだったよ」
「よっちゃん……」
「本当は皆を説得したかったけど、一番最初に折れた私から言い出す勇気が無くて。でも今回、私の大好きなあーちゃんが好きでいてくれて、私の音楽を世界一好きだって言ってくれる大志もいるのを知れて、勝負なんだけど楽しかった」
戸惑う私をそっとよっちゃんが抱きしめた。
全力のライブで火照った熱が私にまで伝わる。
それがじんわりと目に染みた。
「またバンドやろうと思う」
「うん……ゔん!」
「あーちゃん。私の為に怒ってくれて……本当にありがとう。大好き」
耳元で震えるよっちゃんの声に、私は堪えていた色々な物が決壊した。
涙と、情けない声、見なかった事にして欲しいぐちゃぐちゃな顔。
隠す余裕も無いまま、私はよっちゃんの腕の中でわんわん泣き続けた。
「ティッシュ三枚要る?」
黙れ小野大志。
※ ※ ※ ※
俺――小野大志は、ライブを終えたその夜に家で大好きな唐揚げを頬張っていた。
噎せてしまうくらい溢れ出す肉汁とシャキシャキした衣の食感に食べた分だけエネルギーになっていそうなモチモチな鶏肉という贅沢な三つの味わいに身が震える。
「いやー。よく頑張ったな俺とよっちゃんと綺丞! 憲武もな」
「そうね。始まる前はどうなるかと思ったけど」
「きっと雫が応援してくれてたからだな。お礼言おうか?」
「素直に言え」
「承った。ありがとう、雫!」
美味しく唐揚げを頂く俺の前に座り、机に頬杖を突きながらこちらを見つめるだけの雫に感謝を伝えた。
相変わらず飯を食う俺を見るという謎の癖は治らないようだ。
じろじろと食事しているところを観察されるのは恥ずかしいが、悪い気はしないので後でやめて欲しいと注意しよう。
「それにしても、ライブ後が凄かったわね」
「そうだな。俺サインとか書いたの初めてだったぞ。ちゃんと学校名と学年クラス出席番号と電話番号も書いたぜ」
「は?」
サイン会は壮絶だった。
俺と綺丞はペーパーギターとダークホーンという以前から広がっていた悪名もあって、事前に人から聞いていた以上のファンがいたので大変だった。
よっちゃんも可愛いメイド服の女の子でありながら、ストイックに歌う姿とのギャップで観客のハートを掴んでしまったらしく、握手会まで起きていた。
憲武は何故か警戒されて誰も寄り付かなかったが。
それと。
『小野大志』
『ん、よっちゃんの元バンドメンバー!』
『……ありがとう。私たちの曲が好きって、凄い伝わってきた』
『おう。冗談を抜いて足してまた引いて世界一愛してるぞ』
『うん。……ねえ、もしもまたライブやったら観に来てくれる?』
『そりゃ勿論。万難を排してでも行く』
『そっか』
ライフ後によっちゃんのバンドメンバーとも和解できた。
しっかりと念願のサインまで貰い、無事にメンバー四人分を揃える事が出来たのだ。
そして、彼女らに認められたというのも効果として大きいのだろうが、肝心の勝敗としてはあーちゃんが敗北を認める形で俺達の勝利となった。
歓喜した俺たちだったが、何故か後日再び俺と二人きりで話したいとあーちゃんに言われたので、また一悶着ありそうな予感がしている。
「待って、大志。……サインに電話番号も書いたの?」
「うん。流石に人数が多くて手首が疲れたぜ……」
「そんなに個人情報を安売りしてたのね」
「そんな事無いだろ。ところで関係ない話だけどさ、さっきから知らない番号から凄い電話がかかってくるんだけど何て名前の現象?」
「無関係なわけないでしょ」
「これで関係ありだったら、一生雫以外の女の子と触れ合わないって誓ってもいいぜ」
「待って。今ボイスレコーダー持ってくるから、後でもう一度言って」
慌ただしくボイスレコーダーを取りにしすが二階へと向かっていく。
取りに行くのは構わないが、俺の家に雫のボイスレコーダーってあるのか?
少し不安で彼女が戻るまで待ったが、しっかりとその手に目的物を握っていたので安心し、約束通りさっきの言葉を録音した。
「改めて、ライブお疲れ様」
「おうよ」
雫からの労いで、改めて忙しかった一ヶ月の終わりを実感した。
体育祭終了直後の憲武とあーちゃんのデート、明かされる二年前の因縁、テストとその合間で練習、そして今回のライブ。
息つく暇もなかった。
「今回みたいな事になる可能性もあるんだから、もう大志は今後ギターを握るのは禁止」
「おう」
「……やけに素直ね。逆に不気味」
「俺は元々雫に聴かせたくて頑張った結果、何か知らないけど二人の人生を変えてしまっていただけだし。特に雫以外に披露する理由は無いからなぁ」
「もう一回言って。録音するから」
「今夜は雫が面倒くさい」
「は? 間違って録音しちゃったじゃない。面倒くさいのは余計な事をして私が作った檻から勝手に出ていこうとするアンタでしょ? それなら今回みたいな事が無いようにアンタは見境無く他人に尻尾振るのやめてくれない? この一ヶ月ずっと放置された私の気も知らないで、紙袋被ってステージでエンジョイし始めた時は何度アンタがやめてって言うまで爪を剥がす想像したか分かってる? 呑気な顔してないで私の方を向いて一生離れないって言いなよ」
堰を切ったように口が止まらなくなった雫を見て、たしかに一ヶ月もバンド練習に勤しむ俺にテスト勉強を教えたりパンを焼いたりしているのに見返りが無いのは可哀想だと思った。
「そうだな。色々と落ち着いたし、改めて予定してた夏休みの旅行について考えよう」
「そうね。これ以上、他の女との思い出で夏が褪せる前にさっさと満喫するわよ」
前のめりになって念を押すような雫の言葉に頷く。
そうだな、ここで終わりじゃない。
ライブが終わったって、夏はまだ始まったばかりなのだ。
さあ、秋まで全力で駆け抜けてやるぜ!
「あ、この番号は知ってる。よっちゃんからだ」
「また一匹増えた……」
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