マーキングすればいいじゃん!



 よっちゃん達との練習は充実している。

 俺もギターに触れていると、ライブをした時の感覚が取り戻されていくのを実感していた。これだと思って弾くと、たまに違う音が出るので完成度としては一〇%といったところで、まずまずの出来だ。

 これならば、ライブ二週間前までには以前のレベルに持ち直せるだろう。

 さて、ここ最近の俺のスケジュールは多忙の一語に尽きる。

 家に帰って勉強、学校で睡眠、放課後はバンド練習。

 正直に白状するとつらい。

 今までは興味の向くまま、趣味として活動してきた結果がバンドやリバーシ等である。

 だが、今の俺のブームは恋人作り。

 今いち現状を本気で楽しめない節がある


 だが、負ければ一生よっちゃんの小間使いになり、さらには雫の髪が戻らないリスクを引き換えにした沙耶香とのデートなんて物も課せられている。

 前者はそれなりに受け容れられるが、後者なんて真っ平だ。

 沙耶香はある意味で、最も罰ゲームらしい罰ゲームを考案したと言える……デートは最高だけど。


「よっ。待った?」


「いや、未来から来たところ」


「何その夢のある文句」


 ライブハウス前で待っていた俺に雲雀が声を掛ける。

 練習が始まってからは、実質的に二人で帰る事が習慣となっている。

 帰り道は油断していなくても俺が怪我をするので、丁度よくバイト上がりの時間帯が同じである雲雀に雫が帰り道が同じ場所まで送って欲しいと依頼したそうだ。

 最高のお節介だぜ、ったくよォ。


「いつも悪いな。俺より疲れてるのに」


「別に。友だちと帰れるっていうのアタシの中では貴重だからさ」


「友だちいないの? 雫と俺以外に?」


「遊ぶ暇も無いし、学校では何か怖がられてるしさー。……それに沢山作っても消えた時が怖いし」


「そっか。安心しろよ雲雀、俺は消える事なんて無いか――ぐわぁッッ!?」


「曲がり角を曲がりきれず怪我するようなやつの言葉に信憑性があるとでも??」


 く、いつも通っている道なのに。

 話に夢中になって、曲がり角に肩をぶつけてしまった。

 あの角度、要注意だな。


「次こそは曲がって見せる……!」


「まさか車道側から遠ざけても危ないとか、あんた外出にとことん向いてないね」


「雫には注意力を代償に私からの愛を獲得して生まれてきたのかもとか変な事を言ってた。俺を馬鹿にしやがって」


「実際そのとおりだから救いようが無いんだよなぁ」


 苦笑する雲雀は、曲がり角の時に俺を自分の方へ引き寄せて俺の方と角の熱烈な衝突を未然に防いでくれる。

 俺の周りって、イケメンが多いよな。

 綺丞といい、憲武といい、雲雀といい、雫といい、他には……イケメンしかいないな。


「あれ、雫?」


「やっと来た」


 おや。

 雲雀と別れる地点までまだ着いていないというのに、エプロン姿の雫が立っていた。片手には――フライパン、足元には――正座したいい年のおっさん三人。

 何これ。

 四人で俺を迎えに来てくれたのかよ。

 イケメンだな、四人とも!


「え、これどした?」


「大志に早く会いたんん゛っ……心配だから迎えに来たけど、隣町から来た酔っ払いの大人三人に執拗なナンパをされて撃退したところ」


「流石は夜柳。息をするように伝説を作る」


「雫、怪我してないか?」


 大人三人は、確かに雫なら楽勝だ。

 しかし、フライパンなんて凶器を振り回していたら、仮に目撃者がいたとしておっさん三人相手に調理器具で無双する姿は誤解を生むかもしれない。


「大志が私の心配? 人の心配なんてしてる余裕ないでしょ。雲雀に送ってもらってる身で」


 ふ、と俺の心配を冷笑しながら雫は俺にすり寄ってきた。

 ああ、もしかしたら怖かったのかもしれない。

 三人の大人相手に戦った自身への恐怖。

 いつも無敵級に強い雫だから、おっさん三人よりも強大な自分に戦慄する事だってあるだろうに。


「雫。今日は鏡を見るなよ、そしたら怖くなくなる」


「……何の話?」


「恐怖の話」


「それより、ここ最近は異様に女の臭いがするんだけど。今日だって背中から右半身にべったり……」


「べったり? まあ、よっちゃんが後ろから抱き着いてきて耳を噛んだりとか色々してたなぁ」


 あーちゃん曰く、よっちゃんは親しい人間との距離感がバグっているんだそうだ。

 言い換えれば、一度懐を許すとよっちゃんと自分は家族だったのかと錯覚するほどに馴れ馴れしく大胆なスキンシップが増えるという。

 俺だって、練習中に後ろから肩に腕を回されて紙袋越しに後頭部で彼女の吐息を感じながら談志したりする事が多かった。

 正面でなく敢えて後頭部で話すのは、俺の脳に直接語りかけるテレパシーでも身につける特訓の意図があるんだとも思ったよ。

 昔の雫もそれをやっていたし。

 何なら、現在は一方通行で俺の思考だけ読み取られてしまう。


『よっちゃん。肩が重い』


『うっさいなー。バンドは家族みたいなもんでしょ……嫌なら離れるけど』


『嫌ではないぞ。この距離だと紙袋でも聞き取りやすいし。ただ重い』


『はー? 女子に重い重いって言うな。そんなヤツにはお仕置きが必要だな?』


『ん? あっ、紙袋外さないでぃん!?』


 わざわざ紙袋を外して耳を噛んできた辺りで綺丞が俺を助けてくれた。

 雫が吸ったりするのもそうだが、実は俺って舐めたり噛んだりすると美味しい味でもするのかもしれない。

 決めたぜ!

 来来来来世は、俺がフォアグラに代わる世界三大珍味になってやる!!


「マーキング……? 虫除けじゃ不足していた?」


「雫? 顔色が悪いぞ。もしかして来る途中で曲がり角にぶつかったか?」


「それはアンタ」


 慄然とした雫の表情に、俺も雲雀も首を傾げる。

 マーキングって、犬が自分の縄張りだったり、自分の物だと主張する為に糞尿を色々な場所に撒く行為じゃなかっただろうか。

 俺はよっちゃんにそんな芳醇で下品な香りは付けられていない筈だが。

 それに、よっちゃんが俺の物だと示す理由が分からない。俺が誰かに手を出される事を拒んでいる?


「大志。今日は一緒に寝てもいい?」


「いいぞ。じゃあ、雫が上で俺は下な」


「アンタのは二段ベッドじゃないでしょ」


 いや、二段ではなく雫が俺の上で寝れば良いという提案なのだが、上手く伝わらないな。

 やはり国語って大事。


「そういえば、雫はマーキングとかされてないのか?」


「無い。あるわけないでしょ」


「ああ。だからおっさんにナンパされたのか」


 雫の足元に正座した色気のある哀愁を漂わせるおっさん三人衆は誰の物でもないなら自分が夜柳雫を、と思ったんだろう。

 雫くらいの美人なら独占したいんだな。

 俺には分からない感覚の話だ。

 でも、当の雫はかなり嫌がっている……はっ!


「雫。良いこと思いついたぞ」


「何?」


「ちょっと、じっとしてろよ」


 俺は先に動きを止めているよう注意して、雫を後ろから抱きしめた。

 腕の中に収まった華奢な肩が何故か強張るのを感じながら、さっきの雫のように臭いを付けるために体を擦り寄せる。

 しばらくそれをやってから離れると、雫がその場に崩れ落ちた。


「雫、どした?」


「別に何でもない。ただ足に力が入らないだけ」


「そんな臭かったか?」


「刺激がちょっとね」


 雫の反応が意味不明で困惑していると、呆れ顔の雲雀が俺の肩を叩いた。

 うん、だから何?

 おっさんに狙われないよう応急処置として俺の匂いでマーキングをしたのだが、あまりの刺激で足が脱力してしまったらしい。


「夜柳。アンタ……」


「大丈夫。それ以上は何も言わないで。大志がアホな内はまだ誤魔化せる」


 残念な物を見る目の雲雀に対し、雫はとても穏やかな笑顔で俺を罵っていた。

 もしかして、マーキングという行為自体が人としては有り得ない行動……それこそ獣だけがやるという認識を持っている雫の中で、俺とよっちゃんは人ではなく獣と同じと見做されたのではないだろうか。

 釈然としないが、元から雫に人権を握られている俺は雫の扱いによってはいつでもペットのような存在である。


「雫。マーキングどう?」


「最高」


 俺を睨みつけながら、雫が真逆の感想を言った。

 もしかして、今は雫がアホなのでは?
















 

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