やっと気付いた。気づいてくれた



 私――夕薙吉能は、久し振りにライブハウスを訪れていた。

 雰囲気の変わらない店構えは、反抗期だった頃の自分からすれば避難所であり、下手をすれば家よりも落ち着ける場所だったから故郷に帰ってきた気分になる。

 店長と会っていなかった間の積もる話をゆっくりしてみたいけど、隣の男がそうさせてくれるとは思えない。



「懐かしいぜ、この感覚。……何も見えないッ!」



 こちらもまた久しく見る紙袋怪人。

 あの日、ライブハウスで伝説を作った時と同じ格好の小野大志を伴って私は店内へと入る。

 でも、改めて紙袋を被った小野大志と並んで立つ事で変化も具に感じ取れた。

 背はあの頃よりも凄く伸びている。

 制服だって中学とデザインが違うし、袖に腕を通して二年目ともあれば着られている感が無くて、ちょっとカッコイイ。

 言わずもがな、紙袋さえ無ければの話だ。


「ああ、吉能いらっしゃ……その仮装は!」


 少し痩せた店長が私達を迎えてくれた。

 私に朗らかな笑顔で挨拶しようとした彼だったが、私の隣を見るや否や目を見開いて後退る。

 店長の仰々しい反応に、ステージ近くで駄弁っていたバンド四人組……私の知らない顔だ……もまた、小野大志を見てぎょっとする。


「コイツは!――見た目のインパクトで観客の記憶から前座のライブを消し飛ばし、後座の連中すら霞むパフォーマンスだけして颯爽と名前も告げずに去ったあの……!」


「穴もなく、手元も見えていないのに繊細且つトリッキーな演奏、まるでギターそのものと同化したかのような立ち回りと見た目の凄まじさで観客を熱狂させたあの……!」


 次々と店内の人間が口を開く。

 出てくる言葉は、いずれもあの日の小野大志について語られた逸話だ。

 すみませんね、私はどうせ記憶から吹き飛ばされた前座のバンドですよ!


 そう、小野大志は未だに有名だ。


 勿論、名前も明かしていないし、インスト且つステージの繋ぎ役だったからバンド名すら無かった。

 だが、強烈な印象を与えた彼と矢村に皆が注目し、観客もあの日のステージが忘れられなくて二人について未だに尋ねる者がいる。

 とあるサイトでは、幻のウンタラカンタラとか言われてたっけ……記憶が曖昧なのは、当時の私が悔しすぎて憶えたくもなかったからだ。

 そんな彼に付けられた異名は――。



「「「――『ペーパーギター』!」」」



 ほとんど示し合わせたかのように皆の声が揃う。

 対する小野大志の反応は……。

 ちらりと隣を見ると、彼はストレッチを始めめていた。


「ペーパーギター……どんな楽器だ? 面白そうだから、今回はソレ弾こう」


「アンタの事を言ってんの」


「俺? たしかに打てばいい音で響くほど頭の中身が空っぽとは言われるけど、楽器って褒めるほどじゃないだろ」


 ゲラゲラと笑いながら、小野大志は店長の方へと進んで行く。

 音も聞こえにくい上に何も見えていないのに、どうして迷わず店長の方向に歩けるのか意味が不明だ。


「お久しぶりです、店長! 今回もお邪魔します!」


「楽しみだよ。勿論、矢村くんも来るんだね?」


「はい。連絡したら『もう鹿はやらない』と言っていたので、今度はトナカイの覆面を用意しました」


「あはは。流石だね」


「あと、今回はメンバー増えますよ。俺がエレキギターとカスタネット。綺丞は今回ドラムですね。そして、クラスメイトの憲武ってキーボードと、よっちゃんがベースです」


「吉能が出る!?」


「遺憾ながら」


 店長が瞠目してこちらへ振り返る。

 私はため息交じりに肯定した。

 本当は出たくないけれど、小野大志の熱意はどうしてか無視できない。あのライブの前日の気遣いといい、何だかつい意識してしまって断った後もその事をずるずると引き摺りそうな予感がしたからだ。

 それに……。


「何か、私の所為であーちゃんが暴走しているみたいなので。止めてあげないと」


「暴走ってカッコイイけどな。突っ走ってる感があってさ」


「黙れ諸悪の根源」


「それもカッコイイ」


 やはり、頭の中身が空っぽなのだろう。

 どれだけ批難してもノーダメージでカラカラと笑うのだ。

 相手にするだけ無駄だと分かっているのに、常に状況が無視を許さない……コイツにはそんな不思議な力がある。


「じゃあ、吉能がボーカルかな?」


「そうですね。小野は何故か一つの事以外が出来ないらしいので」


「弾きながらだって歌えるぞ。音程がズレるだけだ」


「それを歌えてないって言うんだよ!」


 本当にイライラする!

 早く来い、矢村綺丞……オマエに全部丸投げしてやる。ついでに平沢憲武も管理して欲しい。


「店長。練習用にギター借りても?」


「いいよ。……どんな形であれ、また戻って来てくれて嬉しいよ」


「…………」


 私は無言で店内に展示されている楽器を手に取る。

 ライブハウス内の装飾の一部として置かれてはいるが、店長が常に手入れをしているからいつでも使えるし、二年前だって小野大志もこれを借りて練習していたのだ。

 私はスタジオまで移動して、エレキギターを小野大志に渡す。

 受け取った彼は、さわさわと手でギターの全体を撫でる。


「この感触……ああ、蘇る」


「はいはい。……で、弾けそう?」


「無理そう」


「今のはいける流れでしょ! さっきアンタの中で蘇ってたのは何!?」


「感覚派の俺に言語化しろだと? さてはよっちゃん、俺を侮っているな」


 小野大志がストラップを外し、ギターを弾き始める。

 弾き出された音に、私はああと項垂れた。

 何だ、やっぱり弾けるじゃないか。

 あの日のライブで聴いた時よりも格段に上がっている演奏の技量を目の当たりにして私は何もいう気になれなかった。

 弾き終わった小野大志が深く息を吐く。


「ちっ、全然駄目だ!」


「何でよ」


「違うんだよー。俺が弾きたいのはこういう音じゃなくて、ライブハウスで仲良くしてくれた女の子みたいに弾きたいんだよ!」


 え、ライブハウスで仲良くしてくれた女の子って。


「仲良くしてくれた女の子?」


「ああ。俺、その子のバンドの曲が好きでさ。ライブではリスペクト込めて演奏したんだよ……歌はあのレベル無理だからインストだったけど」


 リスペクト?

 私はその一語に失笑を禁じ得なかった。

 オリジナルの私たちより凄い演奏をしておいて、何を言っているんだ。

 呆れる私の前で小野大志は陽気に話し続ける。


「でも俺、あの子に認めて貰えなかったんだよなー! ライブで成功したら、名前を教えてやるって約束してたのに、結局教えて貰えなかったし」


「え?」


 何を言っているんだ?

 私はあの日、歯噛みしながら教えたじゃないか。


「折角だから、その子がいたらボーカル頼もうと思ってたのに」


「……何でその子がいいの?」


 私より優れているくせに。

 私より、観客を盛り上がらせたくせに。

 私より、私より、私より……!

 ドロドロと胸の中で煮え滾る感情のマグマがその熱量を最高潮に高め、いつかの日のように罵倒の言葉が口から出る。

 その直前。



「だって、ビビッと来たんだ。この音、好きだ!――って」



 小野大志が紙袋の下で呑気に笑いながら言った言葉に固まる。

 それもまた、いつか彼が言った言葉だ。

 まるで、あの日の焼き直しである。

 さっきまで胸の内を焦がしていた熱が、心地よい温もりになって全身を巡り始めた。何だか、目頭が熱くなって頬を撫でるように涙が伝う。

 色んな物が溢れそうになるに連れて、段々と私の心臓が早鐘を打ち始めた。

 

「そんなに好きなの? ……大して凄くもないのに」


「凄いだろ。何千何万ってある歌の中で、俺が唯一ハマった歌なんだからさ」


「……その曲、本人より凄いクオリティで弾ける人がいるのに?」


「この人のだから良いんじゃん。俺、ライブで弾いた時は内心でこれじゃないんだよなーって思ってたからさ!」


「反抗期のガキがギャーギャー騒いでるだけの音楽だよ?」


「ああ、たしかに家出してたな。でも好きだから何でもオッケー!」


 私は紙袋をじっと見つめる。

 駄目だ、もうあふれる物が止まらない。


「この曲、好き?」


「おう! 世界一好きだぞ!」


 小野大志は迷う事無く即答した。

 その瞬間、私は床を蹴って正面から彼に抱きついた。無意識だったから、自分の行動に驚きはしたが、それでも小野大志を放さなかった。

 放したくなかった。


「世界一好きとか……嬉しいこと言ってくれるじゃん、バカのくせに」


「え、何でよっちゃんが喜んでるの? もしかしてあの子の親戚?」


 戸惑う小野大志の前で、私は可笑しくなって大きな声で笑ってしまう。

 そして、一頻り笑った後にベースギターであの日を思い出しながら音を爪弾き、久しぶりに歌う。

 すると、紙袋がわなわなと震え始めた。


「ま、まさかよっちゃん……貴様……!」


「そうだよ。やっと思い出した? 遅いっつーの……バーカ」


 やっと気付いて貰えたことに、呆れるより先に嬉しさがこみ上げる。

 今なら、もう一回抱き着きたいくらいに。


「よっちゃんの音が好きだーーー!!」


「ばばばばバカ! だから、そういうのを軽々しく言うなぁー!?」









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