裏話『陸戸根の神秘』二



 俺――天河空は早朝の新聞配達を終えて学校に向かっていた。

 まだ登校するには早い時間の道は、人気も少なく響く足音はランニング趣味の人間と俺だけだ。

 大通りへ合流すれば車も通るだろうが、ほぼ無休の脳と耳には刺激が強すぎる。

 明日の『約束』の為にも、午後は予定を入れずしっかり睡眠を取るための時間を確保した。

 後は今日の授業を乗り切るだけ!



「あれー? 超奇遇だね」



 そんな俺の出鼻を挫くようにヤツ――天使が現れた。

 陽気な笑顔で手を振り、前方から歩いて来る。

 やめろ、会話も今は厳しいんだよ。


「あれれ、凄い疲れた顔してる。……まさか、またバイト?」


「うるせ。眠いしキツいから朝にまで絡んで来るなよ」


「はは、酷い言いようだ」


 俺に歩調を揃えて隣を歩き始める。

 コイツ、さっきまで俺に向かって歩いてきていたって事は目的地は逆方向じゃないのか?

 とにかく絡まないで欲しい。

 夜まで続く飲食店で働く時しか遭遇しないこの『天使』とは、あそこのバイトを辞める時点で会わなくなると思っていた。


 だが――あの来栖真のせいで予定が狂った。


 修学旅行資金は渡せたが、持ち物を揃えたりする金を余分に、それも多く渡していたのに両親が取り上げやがったのだ。

 あなたの周囲で怪しい動きをしている者がいる、みたいな予言をしたとか何とか。

 は?

 何だよソレ。

 お蔭で雲雀の金は取り上げられた。


 学校関連の事を自己責任とか言われて、振り込み作業とかを普段から一任されていたのもあり……というか雲雀にも難しいからその時は俺が代わりにやっているんだが、幸いにも取り上げられる前に修学旅行金は振り込めた。

 だが、俺はまた働かざるを得なくなった。

 申し訳無さそうにする雲雀を慰めて、俺は再び労働という火にこの体を投じることになったのだ。


 そんなワケで、あの飲食店のバイトも再開した。

 チクショー、すぐに帰ってきた俺のことを人のいい店長は許して迎え入れてくれたが、やはり怪しまれた。

 そして、例のごとくコイツともまた交流する機会が出来てしまっている。


「おまえは学校じゃないのかよ?」


「サボり」


「どんな事情があるか知らんけど、それで後悔はすんなよ?」


「人間何やったって、どれだけうまくいったって時間が経過すれば『あの時もっとできただろうけど』とか、『これもしときたかったな』とか欲張って考えるから。そういうのは考えるだけ不毛だよ」


「……おまえ、斜に構えて人間見てるやつの顔してないぞ」


 ニコニコしながら語る天使は、その口から出るとは予想だにしない人間への批判を繰り出す。

 たまにこういう発言をポロッと出しては俺の背筋を凍らせる。本当に朝から話していて気分が悪いな。


「まあ、どうせ何事も大なり小なり後悔はする。だから僕は今イチバンやりたい事をやってるだけ。その時満足できれば、それで良し」


「あっそう」


 どっかで破滅しちまえ。

 そう思える理論を俺は鼻で笑った。

 まあでも、生きやすいっちゃ生きやすいのかもしれん。


「そんで、おまえは何する為にこんな早くから?」


「ボクのプライベートでも気になるの?」


「並んで歩かれたらそりゃ気になるだろ」


「今はね、気分が乗ってるからキミの高校を見に行こうと思ってる」


「おい止めろ。人が少ない時間帯だから良いけど、知り合いに見られたら面倒になる」


「どーして?」


「どうしてって、おまえ――」


 めっちゃ目立つじゃん。

 そんな声が出かかり、口を噤む。

 そのメッシュ入りの髪とか際立つルックスの人間と校門前まで同じだったら、目立つに決まってるだろう。

 どうしたものか。

 学校の前に着くまでには解散したいから適当な理由を作ろうと考えていたら、天使は辞に詰まっていると感じてニヤニヤと笑い始めた。


「もしかして、ボクが恋人に見えるから恥ずかしいとか?」


「いや、俺が不審者に付きまとわれてるって心配されるだろ」


「ちょ、そんな真顔で……え、本気でそう思ってる??」


 それ以外の何があるんだよ。

 あと恋人とか誤解されるのは嫌だ。これから校内で甘い青春とか過ごしたいのに、そんな事で未来の可能性を摘みたくない。

 俺だって健全な男子高校生だ。

 モテたいし、デートとかもしたい。

 バイト先にそういう可愛くて純粋に好きになれる人でもいたら、少しは労働にも光を見出だせるんだけどなぁ。


「それは、それで何か癪だなー」


 性別不詳だと恋人って誤解されてもどう説明したら良いか分からないし。

 というか、絶対にあり得ない。


「でもキミ、疲れた顔とは裏腹に何だか気分が良さそう」


「慧眼だな。よくぞ見破った」


「何か当てた事を喜べない反応。……この先、楽しい予定でもあるの?」


「ああ、雲雀と月一の食事会だ」


 そう、それが『約束』。

 雲雀の無事を確認できる為に設けた時間だ。

 これを始めたのは去年からだ。

 外出もしにくい彼女を呼び出す苦労も多かったが、呼び出してみれば細くなった彼女に俺は思わず毎月の食事を提案した。


「あー雲雀ぃ! また痩せてなきゃ良いけど……!」


「心配なんだね、凄く」


「そりゃもう! 世界一心配だ!」


「じゃあさ、もしその雲雀ちゃんが死んじゃったらキミの心の支えは無くなるってことかな」


「もし次にその話したら今後口利かないからな」


 思わず怒気を込めて告げる。

 冗談でもキツいとか、笑えない冗談だとか、もしもの話でもやめろなんて言えなかった。

 現実になりそうな話で、咄嗟にそんな否定すら口にできない辺りが破滅的だ。

 もし事が起きたら、俺は何を仕出かすか分からない。


 キレ気味に返した俺の言葉に、一瞬きょとんとした顔をした天使は、すぐに戯けたように笑った。



「いつもキレ気味だけど、そんな風に本気で怒ることもあるんだねっ」



 予想外な反応に顔が引き攣るのが分かった。


「は?」


「ちょっとレアな顔見れて得した気分」


「……何だコイツ」


 何かしてやられた気分だ。

 コイツの掌の上で転がされている気分である。

 逆に自分が未熟なように感じだ。


「じゃあ、ゆっくり楽しんできなよ」


 俺の肩を叩いて、とことこと天使は逆方向へと歩き始めた。


「お、おい! 学校見るんじゃなかったのか?」


「いや、キミと話せて満足したから目的地に向かうとするよ」


「え、ええ…………?」


 呑気に軽いスキップみたいな歩調で歩き去っていく天使の後ろ姿を俺は呆然と見送った。

 期せずして学校到着前に別れる事ができたのは良かったが、始終振り回されて気付いたら重いため息が出ていた。

 本当に掴み所が無いヤツだな。

 いや、本気で相手するだけ損だなあのタイプは。

 …………それより、何か叩かれた肩が少し痛い。

 やけに力強く叩いていきやがったなアイツ。







 翌日。

 俺は雲雀とレストランに来ていた。


 定期的に一緒に食事を取る。

 俺と雲雀が会えるのはそういう機会だ。

 本来ならもう少し高価な物を食べさせてやりたいが、高校生ニ年の財布ではそう毎月の頻度では叶えてやれない。

 雲雀が欲張らないから助かっているが。

 いや、きっと遠慮しているのだ。

 この子は何かと察しが良い。

 良くも悪くも、相手の顔色を窺っている。

 両親のせいでもあるのだろう。

 こういう時くらい、何の束縛も感じてほしくないのだがな。


「雲雀。最近はどうだ?」


「問題ないよ」


「そ、そうじゃないって。学校とか、楽しい? 中学三年で修学旅行も終わったから、そろそろ大変な時期じゃないか?」


「友だちは、相変わらずいないけど」


 やべ、話題ミスったか。

 食事も突くだけであまり食べようとしない。

 本人で選んだ料理なのだが、却って遠慮して食べ難くさせてしまったか。

 昔なら気兼ねなく接してやれていたのに、お互いに思春期に突入したせいで歳下相手にも変な偏見を持ってしまっているのか必要時に強引にもなれないし、過剰に消極的になってしまう。


 どうしたものか。


 昔はどうだったかな。

 もっと普通の兄妹みたいな……『普通』って何だよ。

 それこそ偏見じゃねえか。

 雲雀だってもう成長しているんだ。

 いつまでも昔通りじゃない。


「今日は安い店だけど、来月はあっち側に回転寿司が開くらしいから、一緒に行こうぜ」


「……あたしと一緒で良いの?」


「ん? 何で」


「ほら、空兄にも友だちとか彼女がいるでしょ」


「ふ。彼女はいないけど、友だちは皆部活で忙しいから俺もバイトくらいしかやることないんだよ。それに雲雀と一緒にいたくてやってることだ、気にすんなよ」


「……空兄、人が良すぎていつか後悔するよ絶対」


「俺は優しくする人間を選んでるって」


「何それ」


 ふ、と雲雀が笑う。

 それは嘲るのではなく、凝り固まっていた物が解けたような柔らかさがある。

 良かった、少しは緊張が消えたようだ。


 それから雲雀は少しずつ話してくれた。

 校内での生活や、校外や家ではどうしているか。

 雲雀にも話を聞いてくれる先生が一人だけいるらしい。筋肉モリモリの少しオネエの入った人だそうだ。……話を聞く限りでは良い人、のはず。

 勉強についても話してくれたが、雲雀は学費が安い公立で且つ近く偏差値の高い学校に行くつもりで成績は常に上位になるように勉強に勤しんでいるという。

 模試の結果も上々、狙っている高校は間違いなく合格らしい。

 受験費についてや入学費は要相談らしい。


 日々、あの家を出られるように。

 その目的に全力を消尽しているようだった。


「……雲雀は何が好きなんだ?」


「え?うーん……映画、とか」


「映画?」


「うん。親が『集会』に出て留守番してる時にテレビで観たんだけど、フィクション物が面白かった」


「フィクション物?」


「……ああいうのって、基本的に現実感が無いから自分を重ねたりしないで忘れて見れるし」


「……そう、か」


 俯きがちに雲雀が口にした言葉に一瞬だけ固まる。


 普段から何もしてやれてない。


 ほら、やっぱり。

 雲雀はまだ現実を楽しめていない。

 結局、辛いみたいじゃないか。好きな物を好きになった理由が、虚構に逃げていないとやってられない、だなんて……そんなの『好き』じゃなくて誤魔化しじゃないか。


 俺は思わず机の下で拳を握る。

 やめろ。

 表情に出すな、悟らせるな。

 堪えろ、今だけでも雲雀が『現実』を楽しめるように俺が笑っていないと駄目だ。

 


「じゃあ、今度は一緒に観に行こうな」



 堪えて、飲み込んで、俺は笑って言った。

 すると雲雀も嬉しそうに相好を崩す。

 そうだよ、この笑顔を守るために身を削るって決めたじゃないか。いつか絶対にこの子の中で映画を本物の余興に意味合いを堕とし込んでみせる。


 でも、俺は無力だ。


 それは俺が子供だからって理由だけじゃない。

 そもそも、雲雀の為になっているのか?

 基本的に頼まれたわけでもなく、俺の独り善がりで押し付けがましい善意みたいな物だ。

 本当は雲雀もありがた迷惑に思っているかもしれない。

 本当、俺って……無力だ。


「あの。その、空兄」


「え、あっ、何だ?」


 気付いたら無言になっていた。

 こちらを不安げな眼差しで見る雲雀の顔にしまったと思う。

 またやった――自戒しておきながら、表情に出ていたかもしれない。


「実はずっと、言いたいことあってさ」


「ん?」


 雲雀は小さく口を開いて、しかしまた閉じた。

 何かに堪えるように唇を噛んでいる。

 その表情がとても辛そうで、俺は思わず『辛いことなら言わなくてもいい』と反射的に口を出す。


 ――――その寸前で。




「修学旅行、楽しかった」




 たった一言。

 沈黙に堪えた緊張感を吹き払ったそれに、俺は硬直した。

 出かかった言葉が喉で押し留められる。


「ずっと、言いたくて」


「ぇ……?」


「あたし、今までも空兄に色々して貰って、言いたかったけど……嬉しかったけど、もしお礼言ったらどんどん甘えちゃいそうだし、優しいから空兄も無理しそうだしさ」


「……」


「ごめん、今まで言えなかったこと……あたし、ホントに辛くて」


「い、いいよ。いいよ、そんな」


「空兄、ホントにありがとう」


 やめて。

 そんなこと言われる資格も無いのに。

 目元が熱くなるのを感じて、咄嗟に自分用のコップを満たす水をぐいと飲み干した。

 落ち着け、見せるな。


 俺の力が届いてたなら、良かった。

 嬉しい、泣きそうなくらい。

 でも、今だけ笑え。

 雲雀が喜べるように。


「そっか。なら俺もすげー嬉しい」


「うん」


「でも、ごめんは要らないぞ。雲雀が笑ってるの見たくて、俺が勝手にやってる事だ。さっき言ってくれたありがとうの方が何倍も嬉しい」


「……空兄、ほんとにお人好しだね」


「言ったろ。俺は友だちと家族と、それから雲雀にだけ優しくしてるだけだ」


「……ありがとう」


 雲雀が笑ってくれた。

 それだけで全てが報われる。

 この従姉妹が、せめてあと少し大きくなって独り立ちして、自分で幸せを掴めるまでは手助けする。

 自分を蔑ろにすると雲雀の枷になるから、俺も自分自身に配慮しつつ、判断は慎重を期さないと。


 そうだ。

 これからだ。


 それにしても、フィクション映画……か。

 映画でも通い続けると金が入用だよな。

 手元でいつでも出来る娯楽は他に、読書とか、後は……あ!


「じゃあ、今度は映画とか行こうな。高校生になれたら、ご褒美に良いものプレゼントするぞ」


「え、何それ気になる」


「楽しみにしてろって」


 それからしばらく、俺たちは『昔のように』楽しく話せた。

 別れ際に次に会う約束の日も決めて。

 俺はこれから、あの子と楽しい時間が始められると思っていた。

 


















「へえ、愛されてるんだ雲雀ちゃん。――本当に妬ましい」



 悪魔に、目をつけられていたとまだ気づかない内は。








 ――おまけ――





「大志。隣町にはなるべく行かないで」


 俺――小野大志はそんな忠告を幼馴染の夜柳雫から受けた。

 でも、隣町の中古店は以外とゲームで掘り出し物があって中々に捨て難い。


「何で行ったら駄目なんだ? 天気予報では晴れって言ってたぞ」


「危ない人がいるから」


「どんなヤツ?」


「人の不幸でしか人生を愉しめなくて、そのためだけに他人を陥れる性格の人。最悪な性格をしているくせに人に慕われるから力も強くて質が悪い」


「どことなく雫と同じ匂いがするな」


「は?」


「ん? ああ、シャンプーとか香水の話じゃないぞ。ホラ、何か似た者同士ってこ――」


 顔の横すれすれをシャーペンが擦過した。

 髪がはらりと何本か肩に落ちる。

 惜しいな、意外と雫も小物を正確に投げ放つ技能は高くないらしい。それとも、俺の顔を見て当てるのを戸惑ったか? 何て優しい幼馴染だ、こんな子が悪い子なわけがない!


「じゃあ雫と一緒なら大丈夫だろ? この前も俺のお尻撫でに来た可愛いお姉さんを張り手で吹っ飛ばしてたし」


「……私でもそう近付きたくはないの」


「その悪者がいるからか?」


「消すのは簡単だけど、残党の処理が厄介なの」


「へー」


 ちょっと何言ってるのか分からない。

 ゲームの話かな?

 でも大抵はボスエネミーを倒したら、それ以外の雑魚も自動消滅してくれると思うのだが。

 それに、どちらかと言うと、雫の方が強大なボスエネミーに思える。


「だから、最低限は隣町に行かないこと」


 念を押すように雫が注意する。

 そんなに心配してくれるなんて、やはりいい子なんだな雫は。


「そうだな。……ところで雫」


「なに」


「これから一人で隣町のゲーセンで遊ぶ予定なんだけど、雫もよかったら――」


 さっきとは逆側の頬を消しゴムが掠める。

 髪が何本か切れて肩の上に落ちた。

 すげー、投げ方によって消しゴムも鋭利なシャーペンと同様の威力を発揮できるのか。

 すまなかった、技量が低いとか言って。

 やっぱりすごいよ、雫。









―――――――――

裏話はここまで

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る