閑話休題!!!!

裏話『陸戸根の神秘』一



 バイト上がりの夜道を歩く。

 あまり両親には快く思われていない労働だが、これも可愛い従姉妹の為ならばと我が身に鞭を打って働いていた。

 しかし、シフトを増やせば増やすほど増す疲労感の蓄積は免れず、俺――天河空は疲弊した体を引き摺る。

 ただ、社会人になれば現在が可愛く見えるような労苦が待ち構えているのだろうか……職種にも依るけどさ。

 疲れていると嫌な事ばかり考えてしまう。

 駄目だ駄目だ。

 こんなんじゃ、明日にも折れているかもしれない。気張るんだぞ俺!

 それにいつも鬱屈としていた帰途だが、最近は少し趣が変わりつつあるお蔭で幾分かマシになったじゃないか。

 そう、アイツ――。


「あ。やっほー、お疲れ様だ」


「またいるのかよ」


 帰宅途中にあるコンビニの前で缶コーヒーを飲むスタイリッシュな人影が一つ佇んでいる。

 中性的な顔立ちでメッシュ入りの髪、ファッション誌でモデルが着ていそうな服を着こなし、傍から見たらイケメン男子に見えるし、かといって美少女にも見える。

 歳は同じに見えるが、学校の制服を着ている時を見たことがない。

 俺はコイツについて、何も情報が無い。

 名前、性別、年齢、家族構成、生活についてもほとんど無知だ。


 かなり神秘的な生き物だと思う。

 交流が始まってからも詮索する必要性も無かったから今まで訊ねなかったが、その影響で今や自分勝手に育んでしまった彼? 彼女? に対しで感じている神秘性を台無しにするという漠然とした危機感に適度な距離を置いていた。

 もしかして少し踏み込んで聞いたら、とんでもなく下らないやつかもしれないのに。

 我ながら変な期待を他人に抱いてしまっている。……きっと、バイト疲れの自分の日常に少しでも特別な彩りが欲しいからだろうな。


 だから、コイツを内心では仮称『天使』と呼んでいたりするんだ。


「コーヒー飲む?」


「いや、超遠慮する。俺甘くなきゃ飲めねえし」


「ここにココアがあります」


 ふりふり、と天使は手中でココア缶を揺する。

 すっかりこちらの味の好みも把握されているようだ。

 俺はココアを受け取って一口飲んだ。


「働き詰めで大変だね」


「おまえは暇そうで羨ましいよ」


「ボクはこう見えてやってる事はやってるけれどねー。ま、高校一年で貧しいわけでもないのにバイトを掛け持ちしいてる空ほどではないけど」


 天使がスマホ画面を突き出して来た。

 おもっくそプライベートの臭いがしそうで見るのが嫌だったが、仕方なく画面に視線を滑らせる。

 画面上に表示されていたのはメッセージアプリだった。

 トーク欄を見れば、いずれも女性と思しき名前がずらりと並んでいる。

 何か、怪しいマッチングサイトのプロフィール画像みたいなのばかりだ。俺だったら一秒と経たずブラウザバックしてしまう。


「全員と遊んでいるんだよ」


「へー。そりゃ忙しいだろうよ」


 天使、と呼ぶのを辞めようかな。

 女性を手玉に取るというのなら堕天使、悪魔……小悪魔の方が適当だな。


「あ。この子は可愛いからキミにも紹介してあげよっか?」


「要らねえし、相手にする時間も無いから」


 爛れた話になりそうなので即答で断った。

 やや不満げな天使は、コーヒー缶を飲み干してゴミ箱へとノールックで放る。

 こおん、と気味の良い音を鳴らして空き缶は箱の中へ吸い込まれていった。


「お金は貯まりそう?」


「ああ、これで雲雀……従姉妹に修学旅行資金が渡せるぜ」


「頑張ったね。初めてキミを見た時は鬼気迫る感じだったから、これからは落ち着いたところも見られるのかな」


 天使が朗らかな笑みを浮かべる。

 まるで自分のことのように喜んでいた。

 そこまでコイツが嬉しがる理由が不明だが、悪い気はしないので良しとしよう。


「バイト辞めたら会う事も無いだろ」


「それじゃ寂しいじゃないか。今度、一緒に遊ぼうよ」


「おまえと遊ぶ?」


「だって話すようになって結構経つのに遊んだ事ないじゃん」


 すり、と身を寄せてきた。

 思わずドキリとしたのは、触れた肩の部分に何故か鳥肌が立つのが分かったからだ。他人との接触に、それも服越しでそこまで拒絶反応を起こすような体質でもないのに。

 しかも、相手は友だちと断言するのは難しいが、知り合いと表現するのも少し不足感を覚える仲だ。


「おまえと初めて会ったのって」


「キミのバイト先にボクがパスタ食べに行った時かな」


「店内で目立ってたからな。第一印象から絶対に関わりたくないヤツだったわ」


「はは。ひっどー、もっと擦り寄ってやる」


「それやめろ。鳥肌立つから」


「鳥肌?」


「あ。いや別に」


 天使と俺の初めての出会いは、俺がファミレス勤務中に店へと天使が来店した時である。

 異彩を放つその存在感は来ただけでその場の空気を変え、注目を浴びていた。

 席案内した俺も視線に晒されて少し恥ずかしかったのは苦い記憶である。


 そしてパスタを食った後もずっといた上に、そのルックスで店内を騒々しくさせていた迷惑客だ。

 店員まで誘惑しやがって、誰が注文確認に行くかとか会計の催促をしてくるかだとか下らない争いまで起きていた。

 店の秩序を乱す、本当に嫌な客。

 そして不運な事に、そのバイトの日の帰り道で俺は天使と再会してしまった。

 そこから何度か帰宅中の道で遭遇し、ある程度話すようになったのは運命に呪われているとしか言いようが無い。

 天使が俺に積極的に声をかけてきたから、というのがなければ今のようなことにはなっていないだろう。


「でも良いの?」


「あ?」


「お金、折角貯まったのに自分の元に残るのは微々たる物でしょ」


「バっカ。その為に働いたんだから、俺の手元に残る分なんて考えなくて良いの」


 俺は思わず声を荒げて返答した。


 俺の従姉妹――実河雲雀は、幼い頃から面倒を見てきた可愛い妹のような存在だ。

 根は真面目で、大人びているが誰かに甘えたいという心の脆さを抱えている。

 雲雀は、両親がある宗教めいた団体の活動にハマッてしまった所為で最低限の金以外は回って来ず、小学校は修学旅行にすら行けなかった。

 幼少期から苦境に立たされた事で、彼女は時折だがやさぐれたような感じになる時がある。


 そんな雲雀の為に俺ができることを考えた結果がアルバイトである。


 俺の両親には関わること自体を注意されたが、そんな物は知らん。

 雲雀には、もっと味わいのある青春を送って欲しい。

 せめて、中学の修学旅行ぐらいには行かせたい。


「そもそも――」


 俺はちら、と路肩に立つ町の掲示板に貼られた紙を見た。

 そこには『真の教え』と書かれている。


 この連中は、ある意味で隣の超瀬町の名物と同等の有名さがある。

 『超瀬町の美姫』――夜柳雫。

 大人顔負けの美貌と本人の立ち居振る舞いが醸し出す空気には、人を平服させる魔力があるらしい。それはすれ違った赤の他人すら、思わず見惚れるという。

 まだ中学生なのに大人すら惚れ込むとか。

 この隣町――陸戸根町にも名前は轟いている。


 それと並べて語られるのが、『陸戸根町の神秘』こと来栖くるすまことだ。


 ソイツと出会って、話をしただけで人は心の底から信用してしまう。

 どんな経緯があってかは知らないが、来栖真を教祖みたいに祭り上げた宗教団体めいた集まりが出来ているらしい。

 噂では狂信者の集まりだと言われている。

 雲雀の家庭を狂わせた団体。

 警察からも特に怪しい集団では無いと言われているが、雲雀の家庭状況を見るに警察も取り込まれてやしないかと勘繰ってしまう。

 別にお布施だとかを強要もしていないのに、来栖に皆が貢いでしまうんだとか。

 何とも不気味で、迷惑だ。


来栖真コイツさえいなければ」


「……」


「ま、明日の給料日で金が入ればアルバイトとも暫くおさらばだ。来栖への恨みも少しは和らぎそうだぜ」


 天使はふうん、と興味なさげだ。


「空の心の支えって何?」


「何だ急に。キモいぞ」


「辛辣ー。それで、空には無いの?」


 この話題、まだ続くのかよ。


「心の支え……そんなの分かんねえよ。雲雀と家族じゃね?」


 天使の唐突な質問に俺は首を捻るしかない。

 心の支えって、俺は雲雀ほど追い詰められた事が無いから心の支えという物を自覚する力も弱い。

 なんだろうか、家族以外で何かあるのか?


「おい。疲れてんだからそーゆー話はやめてくれ」


「良いじゃん。ちょっとだけなんだから」


 ぶーと天使が頬を膨らませる。

 コイツ、コロコロと表情が変わるな。


「じゃあ、おまえの心の支えは?」


「うーん。そうだねー?」


 天使は暫く考えた後、俺の手からココア缶をするりと優しく奪うと、一口飲む。

 ほう、と薄い唇から吐息をこぼす。

 


「空と二人だけの時間かな」



 妖艶さすらある笑みを浮かべながら言われた内容に、俺はうぇと顔を顰めるしかない。

 ココア缶を奪い返して一気に飲み干す。


「俺のなんだから飲むなよ」


「ボクが買ってあげたのにー」


「へいへい、ご馳走さまでした。じゃ、俺は帰るけどおまえも明るい道を選んで帰れよ」


「あれ? 心配してくれるんだね」


「多少はな。でも、俺からしたらおまえも不審人物だけど」


 最後にそう言っておいて、俺は再びコンビニの前から家に向けて出発した。

 ココアが染みて湧き上がった口の中の幸福感で、少しは疲労も和らいだかもしれない。

 今度、たまにはお礼で天使にも何か奢ってやるかな。









  ※    ※    ※







 バイトから帰宅途中にあった少年の姿を見送って、ボクはスマホを取り出す。

 それから慣れ親しんだ番号に電話をかけた。


「うん。コンビニ前、お迎えよろしく」


 用件だけ伝えて通話を切った。

 やれやれ、この時間の為だけに最近は外出しているような気がする。

 これじゃ、超瀬町のイカレ女と大差無いな。

 でも、ボクが深夜に外を出歩いていても警官や怪しい奴らは簡単にボクの言葉を信じて言う通りにしてしまうから、危険なんて無に等しいんだよね。

 それなのに空ってば、ボクの心配なんかしちゃって。


「ふふ。かわいいね」


 でも、そうか。

 アルバイトが終われば、この時間に彼とも会えなくなるのか。

 ボクも立場があるし、日中は気軽に人と会えないんだけどね。

 普段は顔出ししていないとはいえ、大勢の人と関わってるわけだし。…………少し実河さんたちに


「お。きたきた」


 コンビニの駐車場に車が停まる。

 ボクはそちらへと歩いて、ドアを開けた。


「お迎えに上がりました、真さん」


「ありがとね。じゃあ、家に向けてしゅっぱーつ」







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