謝ってくれよ!



 本性を顕にしたあーちゃんから勝負を挑まれたが、現在の俺にはそれを受けられない理由が四つある。

 一つ、期末試験だ!

 夏休み前にヤツが立ち塞がっており、雫と点数勝負をして今度こそ夏休みを取り戻さなくてはならない。

 だから、勉強でそれどころではない。

 次に二つ目、雫の髪だ。

 俺の宝物である雫の黒髪は、女の子とデートの約束をするとその都度切られてしまうという悪魔の罠が待ち受けている。

 苦しいが、恋人作りはそれまで無理だ。

 さらに三つ目、ギターである。

 赤依沙耶香との合コンでも思い出したが、今の俺はギターが弾けない。

 単純に弾き方を忘れた。紙袋を被りながら感覚で練習を進めていたから、手に持てば思い出せるかもしれないが……。

 それに、雫には自分以外の前で弾くなと言われてしまったから無理なのである。

 そして最後に四つ目。

 四つ目は……数え間違えた。

 三つで以上!


「――これらの理由で、俺はギターが弾けない。よって、あーちゃんからの勝負は受けられないんだ」


「ふーん……逃げるんだ?」


「ん?」


 あーちゃんがにやにやと笑う。

 逃げる、とは。


「まあ、逃げられるものなら逃げたいぞ(テストから)」


「キミは私に負けるのが怖いんだ?」


「いやそれは別に。あーちゃんがどれくらいできるか知らないからなぁ(テストがね)」


「へえ……随分と舐めてくれるじゃん」


「あーちゃんこそ慢心していると痛い目見るぞ(テストでな)」


「っ安い挑発だね!」


「んん?」


 お互いに学生なのだからテストの難易度を危険視するのは普通の事だ。

 今の何処に挑発要素があっただろうか。

 もしや、この子も俺と点数勝負をして俺の夏休みのスケジュールを総取りしようって魂胆じゃあるまいな!?


「だから、ライブには行けない。悪いけど店長には出れないって伝えてくれ」


「ふん。数日前に私はもう矢村綺丞に接触して、『どうせ巻き込まれるし、大志がやるなら』って了承は得てる。矢村もその気なのに、逃げるの?」


「綺丞も乗り気なのかー。でもなぁ」


 あーちゃん曰く、綺丞もかなり勝負に乗り気なようだが、たしかにイベントになると何だかんだで文句を言いながら俺と全力で共闘してくれる。

 久しぶりに疼いたのかな、魂が。

 でも、テストがあるんだよな。


「それになぁ……あーちゃんに勝っちゃうと俺に恋人ができて、雫の髪が戻らないし」


「なっ、勝てると思ってるの!? 前回ライブが好評だったからって、いい気にならないでよね!」


 俺に旨味が無い、と話しているのに何故かあーちゃんの不興を買うばかりだ。

 会話が噛み合わない。

 さては、あーちゃん……国語科目が苦手だな?

 ほら見ろ、ライブどころではない。

 あーちゃんだって勉強を頑張らないと足下を掬われるぞ。


「どうやら、お互いライブどころじゃないみたいだな」


「何それ。見てもないのに私の実力を疑って練習しろって話? ……たしかに、よっちゃんの方がもっと凄い。けど、キミにだけは言われたくない!」


「国語って大事だなぁ」


 話が通じない。

 もうこの状況だと、果たして原因が俺の国語力なのかあーちゃんの国語力なのか判然としない。

 ここは第三者を呼んで話を客観的に整理して貰うべきだ。

 人気のない裏路地……ふむ、無理だな。

 俺はスマホを取り出し、仲裁してくれそうな人材を探す。……うん、また花ちゃんと梓ちゃんの連絡先が消えている。


「仕方無い。手近な憲武で間に合わせるか」


「平沢くん? 何で」


「二人じゃ話が進まないからだぜ」


「もういいよ。平沢くんはキミに近付く為にデートの申込みを受け入れたから。今はもう関係無いし、どうでもいい」


「……どうでもいい?」


 あーちゃんの台詞に手が止まる。

 ナンパに成功し、恋人ができるとウハウハ下品な顔で喜んでいた憲武を……どうでもいいだって?

 たしかに、町でも噂になる変態の憲武だ。

 女子とデートが出来るという時点で怪奇現象だと思っていたが、この世には完璧超人かと思いきや俺の世話を趣味と言うちょっとアレな夜柳雫だっているのだ。憲武とデートがしたい人間がいたって可怪しくはあっても可能性が皆無とは言わない。

 俺も憲武のデートを経験値稼ぎの為の物として捉えてはいた。

 でも、一人の友人として……憲武の願いが成就する事を応援する心もあった。


 憲武が、どうでもいい?

 俺に近付く為以外は、どうでもいい?


「あーちゃん。受けるよ」


「ん? 何が?」


「勝負の話だよ」


 俺は後ろに振り返って、あーちゃんを見る。

 あーちゃんがびくりとしたのは、きっと俺が視線をきつくして睨んだからだろう。


「理由は分からないけど、きちんとよっちゃんに土下座しよう」


「……ふふ。そう来ないと」


「ただし。俺はあくまでテストや他の事で忙しい。その俺に勝負を受けて欲しいってんなら――条件がある」


「…………え?」


「君みたいに男の純情を弄ぶ子が素直に謝るとは考えられないからな……俺と勝負したかったら、まず憲武に謝罪しろ!!」


 俺が要求を伝えると、あーちゃんは暫く呆けた顔だったが、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。

 流石に国語力が危険でも伝わったようだ。


「随分と上から目線だね」


「そうでもしないと、俺は受けない」


「怒ってるんだ……へえ。私がここで大人しく退いたら、平沢くんには謝罪しないよ?」


「構わない。そうしたら、あーちゃんが俺に興味が移ったと現在進行形で勘違いしている憲武にこれから処刑されるだけだしな」


「何が構わないの??」


 憲武への謝罪が条件だ。

 そうでないのなら、俺はあーちゃんと同じ土俵に立つ事なんて絶対にしない。


「いいよ。後で謝罪する」


「そうか」


「でも、私と付き合いたくないってなるとキミが勝負に勝った場合はどうするの?」


「俺が勝ったら? ……俺が勝ったら、そうだな」


 あーちゃんとのデート……は駄目だな。

 雫の髪も戻らないし、憲武を弄んだ相手となんてしたくもない。


「まあ、それはあーちゃんが憲武に謝ってから考えるよ」


「…………」


「それと――別に勝負しなくても、よっちゃんには俺も謝るから、あーちゃんも別の勝った時の報酬考えといてくれよ」


「えっ?」


「俺に土下座させたい理由って、多分だけどあーちゃんが言うには俺がよっちゃんを忘れてる事だろ?」


 それくらい分かるぜ。

 前回の現代文のテストでは学年首席だったんだからな。首席って一位か二位のどちらかだから、凄い事なんだろ?


「だから、よっちゃんに対しでは個人的にちゃんと謝る。勝負とは関係無く」


「……そう」


「でも、本当に思い出せないんだよなー。あのライブハウスに行く時も出る時も紙袋を被っていたし、ライブの日だって酸欠状態で綺丞に運ばれたまま帰った事すら憶えてなかったから」


「……酸欠?」


「そうそう。呼吸ができなくて――あん?」


 唐突な通知音がして俺はスマホに視線を落とす。

 画面には、憲武からのメッセージが表示されていた。


『堂々と俺の前で夕薙さんと逢引か。明日こそ俺の包丁・エクスナーギノツルギが唸るぜ』


 包丁……ああ、教室で研いでいたやつだな。

 素晴らしい鋭さだったのは覚えている。

 あまりに綺麗な処置が施された刃は、取り上げた先生が少しだけ眺め回し、うっとりとした顔をしていたほどだ。

 ふ、遂にあの名刀が血に濡れるのか。


「んー。取り敢えず、あーちゃんは今日中に電話でも何でも良いから憲武に誤っておいてくれ」


「何で?」


「やらないと俺の人生は明日、エクスナーギノツルギで終わる」


「真面目な話? あと草薙の剣なの? エクスカリバーなの?」


 ああ、命の話だ。

 それと。


「勝負を受ける条件、もう一つある」


「…………何?」


「ここ何処か分からないから、表通りまで案内して」


 三十分後、雫が迎えに来てくれた。

 場所は教えていないのに、どうして分かったんだろう。






 


 ――おまけ――




 ライブを終えた次の週、俺――矢村綺丞と小野大志は音楽の教師に呼び出された。

 おそらく、ライブについて聞きたいのだろう。どうだったかを聞かれても、鹿の被り物の所為でほとんど手元しか見えてなかったから説明に困る。


 俺と大志が音楽室に入ると、鎧のような筋肉を服の下からも盛り上がらせた偉容を持つ先生がぱっと顔を輝かせた。


「矢村ちゃん! 小野ちゃん! ライブ良かったわよ〜!」


 岩の塊のような巨体が俺達に飛びつく。

 普段から怪我をしやすい大志だと些細な衝撃すら致命傷になりかねないので、俺は大志を抱き寄せながら迫る先生の胸に手を当てて押し止める。


「先生、ライブ観に来てたんですか?」


「あら? 手も振ったのよ、アタシ」


「紙袋してたからなー。自分が何してるかも正直分からなかったし」


「まさか、エレキギターに転身してあのレベルまで仕上げるなんて。さすがは小野ちゃん、危険なレベルで一つに専念すると成功する極端な才能マンよね!」


「そんな。褒めたって俺が喜ぶだけですよ!」


 先生の目が俺の方へ向く。

 く、鹿の被り物の件で何か言われるだろうか。

 やめて欲しい。

 本番直前で大志に押し付けられて、仕方なく装備しただけなのだ。観客が見えなかったから軽減されたものの、恥辱の時間には変わりない。


「矢村ちゃんも普段からは想像できないくらいはっちゃけてて可愛かったわ! ……皮を剥いで食べちゃいたい」


「やめて下さい」


 よく教師になれたな、この人。


「小野ちゃんも矢村ちゃんも、このまま音楽を続けていって欲しいケド……」


 ちらりと先生が大志を見た。

 ああ、彼の考えている事が分かる。


「いや、もうリバーシの方に全力注いでるんで。実は来月、区の大会に出場するんですよね!」


「流石は小野ちゃん……止まらない子。惜しい才能だわ」


「いやー、自分でもここまでハマったのは意外ですよ。まさか――」


 俺と先生は、その先の言葉が容易に想像できてふと笑ってしまう。



「実は雫を驚かせてやろうって授業内で練習を超頑張ってただけなのにさ!」



 俺と先生は、ため息を一つ。

 もう、付き合えよ――――。






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