元気になれよ、雫!



 今日ほど高校に行きたくないと思った日は無い。

 それは別に、一晩中憲武から呪いの込められたメッセージを送られ続けたからとか、深夜に事の次第を彼から聞いたクラスメイトが明日は教室に処刑台を用意すると一斉に死刑宣告してきたからとか、そんな些末な話ではない。

 殺したければ殺せばいい。

 そうしたって、来世も雫の刑罰からは逃れられないのだ。禁錮千年にまで膨れ上がった罪から逃げるのは諦めた。……罪状は何だっけ、ほとんど似たような物だったと思うが忘れた。


「大志。ごめん」


「謝らせてごめんな。雫」


「何その謝罪。初めて聞いたんだけど」


 夜柳家の二階東側の部屋――つまり雫の部屋に俺はいた。

 既に登校時間は過ぎている。

 そんな俺が学校にも行かずにしているのは、風邪になってしまった雫に対し、雫が作った御粥を食べさせている事だ。

 久しく見る雫の衰弱した姿が心配で、学校どころではないのだ。

 あーちゃんのデートの件も気になるが、今はそれよりも夜柳雫復活が優先事項である。


「雫が風邪なんて珍しいな。お父さんもお母さんも会社休むって言ってたけど」


「一人でも大丈夫。……アンタも学校に行っていいよ」


「この前、風邪になった時に看病して貰ったからな。倍でお返ししないと」


「好き。…………倍?」


「具体的に、風邪になる前よりも雫の筋肉量を二倍になるまでのサポートだ」


「……大志は、筋肉隆々とした女って好き?」


「かっこいいと思うぞ。雫がそうなったら世界滅ぼせると思うし」


 スプーンで掬った御粥を雫の口に運ぶ。

 綺麗な薄桃色の唇が開き、俺の差し出した一口分をゆっくりと食べる。スプーンから離れていく唇の些細な動作に、俺はなぜか落ち着かない気分になって鼻がむずむずする……風邪が感染ったかな。


「美味いか?」


「うん。……私が作ったのだけど」


「俺も飯が作れたら良かったんだけど、雫に禁止されてるからな」


 今朝は雫が家に来なかったので、俺は夜柳家を訪ねた。

 そうしたら大慌ての夜柳夫妻が俺を迎えて、二人を追い出すように会社へと行かせる疲弊した雫の姿を目の当たりにした。

 荒れた夜柳家など中々見れないのでもう少し眺めようかと考えたが、咳き込む雫に遊んでいる場合ではないと悟って夜柳夫妻には俺が看病をすると申し出た。……あの汚物を見るような信頼の眼差しに応えて、俺がしっかり雫を支えると決意したぜ。


 まあ、基本的に何もできていないわけだがな。


 基本的に雫は風邪になっても自分の事を大抵やり遂げてしまう。

 これで洗濯物を洗濯してベランダに干し、御粥まで作ってしまったのだから俺がいる意味も分からなくなる。

 でも、少しは頼って貰えたぞ。

 それは、雫の学校への連絡だ。


『もしもし。小野大志ですが』


『は、はあ。どちら様で?』


『夜柳雫の家からかけてます。実は雫が体調を崩してまして、自分で連絡するのが辛いそうなので俺が代行してます。夜柳雫のクラス担任にお伝えして頂けたら超ハッピーです』


『そうですか。夜柳さんにはお大事にとお伝え下さい』


『雫の事は任せて下さい。何か分からないけど、これが将来のハンリョ? がすべき事らしいので』


『はァ? 寝言は寝て言え』


 雫が用意してくれたメモを読み上げながら連絡したのだが、読み方が拙かったのか寝言として聞き取られたらしい。

 もっとハキハキと喋らないとな。


「学校に連絡する事と、御粥をあーんで食べさせる事……他に何かして欲しいことあるか?」


「一生傍にいて」


「風邪が治ったら離れていい?」


「許すわけないでしょ。寝言は寝て言え」


「みんな俺が寝てると思うの何で?」


 御粥を食べ終わった雫がほうと細く息を吐く。

 額から汗が垂れてので、俺はそれをタオルで拭ってやった。


「しっかし、懐かしいな。雫が風邪を引いたのって小学生以来だよな」


「……あの時も大志が色々してくれた」


「雫に元気になって欲しいからな。必死にお経を憶えて唱え続けた甲斐があったぜ」


「ただただ騒音だったけど」


 くすりと雫が笑う。

 その珍しく穏やかな笑顔を見てお尻の下が痒くなった。……俺も風邪が感染ったかな。

 小学生の時より、今の俺はできることが増えた。

 だから、何かしてやれると思ったけどやれる事が全く無い。

 でも、雫は傍にいてくれるだけで元気になれると言っていたので、俺って実は成長してかなり有能になったのかもしれない。


「大志。朝ご飯は?」


「カップ麺食べたよ。今回はカレー麺」


「湯を沸かす時に火傷しなかった?」


「しなかったよ。火傷したのは舌」


 雫がいなければ、料理を禁止された俺に可能な食事なんて点滴かカップ麺だけである。


「雫。早く元気になれよ」


「そうね。アンタ、私がいないと家事も何もできないから……病み上がりでも頑張らないと」


「いや。一緒にご飯食べたいから元気になれって話だぞ。やっぱり、次の国語科目のテスト危ないんじゃね?」


「……嬉しい」


「赤点が?」


「黙れ。そうじゃない」


 嬉しいと言った次の瞬間には真顔で黙れと鋭く言い放つ雫の情緒の不安定さに俺はため息しか出ない。

 風邪で弱っている証拠だ。

 再びベッドの上に寝転がった雫の頭を撫でると、髪の上を滑る俺の手に雫の手が重ねられた。


「大志って、他の子にもこういう事するの?」


「ん? んー、頭撫でるのは梓ちゃんにしたかな。他には……多分誰もやってない」


「ちっ。私以外にもいたんだ」


 撫でるくらいは犬猫にだってするだろう。

 そんなレベルで何を競っているんだろうか。その飽くなき向上心と些細な勝負にすらハングリーさを見せる幼馴染には敬服してしまう。


「……大志」


「ん?」


「私ね、大志に撫でられるようないい子じゃない。本当は、大志を盗られたくなくて手段を選んでない人間なの」


 俺を盗られたくない?

 誰から守っているんだろうか。

 やはり、憲武とクラスメイトかな。女子からデートに誘われただけで容易く友情を裏切って死刑を執行しようとする危険人物の集まりから雫は守ろうとしているのか。

 まあ、何にせよ雫らしくない発言だ。

 風邪で弱っている影響だろう。


「よく分からないけど、雫が悪い子だったとしても風邪の時くらいいいだろ」


「…………」


「昔、風邪の時に雫が撫でてくれたからな。こうすると気分が良くなるって知ってるからやってる」


 俺にできる最善は、雫のつらい気分が少しでも和らぐように動く事だ。

 正直、倫理的か法的か生物的か物理的かは知らないけど、雫が悪い子か否かは俺にとって途轍もなくどうでもいい話だ。


「雫の看病したら、次は俺に感染って風邪になると思うから。その時は看病よろしく」


「……いっぱい撫でる」


「それよりは御粥とかうどんを作って欲しい」


「やっぱりお腹空いてるでしょ」


「カップ麺一つはなぁ」


 雫とそんな会話をしていたら、スマホが幾つものメッセージで凄まじいバイブレーションをしていた。

 手に取って確認すると、憲武やクラスメイトからだった。


『恐れをなしたか!』


『出てこいゴミカス野郎』


『用意したギロチンを教師に押収されて生徒指導室で説教くらったじゃねえかボケ』


『事情を話したら先生もおまえの処刑に賛成だったぞ。覚悟しとけよ』


 うん、学校に行かなかった事でますます俺への殺意が膨らんでいるようだ。

 困ったなぁ。


「風邪かどうかはともかく、明日は学校に行かない事にするよ」


「女にも会わない?」


「流石にあーちゃんが俺をデートに誘った理由を知りたいから、あーちゃんには会うと思うぞ」


「気分が最悪になった」


 雫が俺の手を握ったまま目を閉じて寝る態勢に入った。


「早く元気になって、阻止してやる」


「もうちょっと風邪でもいいぞ」


 えっくし……くしゃみ出た。

 うん、風邪は感染ったな。







 ―――――――――――――――


 本作を読んで頂き、誠に有難うございます。

 今日か明日には新作ラブコメを投稿します。頭の中にある内に出したい……。


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