紙袋の天災4



 当日、ライブは恙無く始まった。

 私もバンドメンバーと最後の円陣なんかを組んだりして士気を高めていた。

 昨日の煩悶は、小癪な気遣いのお蔭で綺麗さっぱり無くなっている。

 小野大志と矢村も控室にいる。

 相変わらず紙袋を被っており、ちらちらと人の視線を集めているが気にする様子がない。……気にしていないというより、気付いていなさそうだ。

 矢村に右から話しかけられて左を向く姿に、こいつは本当にライブを上手くやれるのかと不安にさせられる。

 まあ、昨日の演奏レベルなら大丈夫だろう。

 あの時だって、ほとんど何も見えないどころか通常より厚紙の袋の所為で呼吸すら難しかったようだし。

 それにしても、初対面の時からちゃらんぽらんではあるが、昨日のように誰かに対して真摯に向き合える性格だったとは知らなかった。

 あの矢村を友だちとして連れ回せているので、気難しい人間からも慕われる一定の人徳があるのかもしれない。


「あ、次だ」


 小野大志の奇妙な人柄について考えている内に、私のバンドの番になってスタッフに呼ばれた。

 メンバーに続こうとした私は、後ろから肩を叩かれる。

 振り返ると、矢村と小野大志が立っていた。


「……頑張れよ」


「応援してるぜ。紙袋で見えてないけど、聴いてるからな!」


「素直に受け取れない応援やめろ」


 最後まで力の抜ける小野大志に苦笑しつつ、私もステージの方へ向かった。

 手を振る紙袋の姿に、何故だか勇気が貰える。


 その日の演奏は、いつも以上に力強くできた。

 いつも以上に気持ちを乗せて歌えた。


 ステージから退場する時、私たちはいつも以上の手応えに喜んで燥いでいた。

 以前からのファンは勿論、私たちを知らず他のバンドを目当てにしていた客からの反応も良かった。周りからも今日の演奏が進化していた、なんて褒められたり。

 有頂天になって控室に戻ってきた時、楽器を携えた紙袋とリアルな鹿マスクが待ち構えていた。……正確には小野大志と矢村だ。

 え、今日ってハロウィンだっけ。

 服装も正面に口を開けた大きなラクダのロゴが入ったTシャツ。

 演奏に集中できない格好だな……。


「矢村」


「訊くな」


「……矢村」


「訊くな」


 派手な仮装は、人目は引くだろうが好印象に繋がるかどうかは分からない。

 私たちが盛り上げた分、逆に醒めてしまう人もいるかもしれない。

 二人を推薦した学校の先生も報われる立ち回りをして欲しいが……。

 休憩してから観客側の立つステージへ移動し観に行こうと思っていたが、今は別の不安で足が重くなってそちらに向かいたくなくなる。


「ほ、本気?」


「見ててくれ」


「目も当てられない事になりそうだけど」


「秘密の練習の成果――サプライズってやつさ。」


 自信満々でステージへと小野大志が向かっていく。その後ろを諦め気味な鹿頭の矢村が追従した。

 唖然とする私の隣で店長が苦笑する。


「だ、大丈夫かなアレ」


「いつもスタジオで聴いていた限りでは心配ないと思うよ」


「まあ……昨日は私に付いて行けたくらいだし」


「…………」


「店長?」


「いや、何でもない」


 店長の神妙な顔に疑問を覚える。

 やはり、それだけ小野大志たちの現状を不安視しているのかもしれない。ここで失敗すれば、店長どころか店や勧めてくれた先生の顔にも泥を塗ることになる。

 昨日の態度からも、本気で人を困らせる事はしない性格なのは分かるから一応は信じているんだけど……。


「っえ!?」


 小野大志たちが控室を去って少しして、急に歓声が響き渡る。

 慌ててステージ前の観客席へ駆けると、両手を挙げて盛り上がる観客たちの波が見えた。

 あまりの熱気に圧されて唖然としていると、彼らの頭越しに全力演奏をしている小野大志と矢村の姿が見え隠れする。

 凄まじい、の一言に尽きる。

 私と昨日スタジオで弾いたときより、格段に演奏レベルが上がって……否。

 昨日の演奏は、

 しかも、弾いているのは。



「私たちの、曲……?」



 小野大志たちが弾いているのは私たちの曲だ。私のバンドに合わせるなら、キーボードとドラムが足りないが、小野大志が披露するアドリブ演奏と矢村のハーモニカが見事にマッチして不足感が無い。

 それどころか、私たちより……。

 ふと、あの会話を思い出す。

 初めて私の曲を聴かせた時の反応――


『綺丞』


『……まさか』


『おうよ! 綺丞、俺ドラムも練習しようかな?』


『おまえにマルチタスクは無理だ。ギターに専念しろ。……ハーモニカなら俺ができる』


『カスタネットなら余裕あるぞ』


『やめなさい』


 あれは、私たちの曲を聴いて決めたんだ。

 これを弾く、と。



。これ好き!って』


 あの言葉も。

 私たちの曲を、私が嫉妬するレベルで……。

 ぶわ、と胸の内に不快感が湧き上がる。

 小野大志の上達を見て、じりじりと胸の内を蝕んでいったあの感覚が蘇った。

 ようやく分かった。

 素直に小野大志の成長を喜んだり、評価できなかった理由。

 あれは――嫉妬だ。

 私は周りに持て囃されて、自分に才能があるけど、それ以上の何かを小野大志に対して直感的に見出していたんだ。


「……そっか」


 店長が小野大志のライブ前に見せた顔は不安ではない。

 私の反応を想定していたから故の表情だ。

 熱狂に一人だけついて行けずに立ち尽くしている私の肩に店長が手を置く。


「店長」


「これ以上、父さん母さんがうるさいと思うなら、高校に行って黙らせない。その後でバンドをまた全力でやればいい」


「……」


「バンドは続けていいが、少しでいいからそちらにも力を割ければいいんだ」


 私は何も言えなかった。

 いつもなら、自信を持って私は自分の音楽を……と言えた。

 でも、私以上に私たちの曲を弾く小野大志たちを前に、掻き消されるどころか声すら出なかった。




 ライブが終わった後で控室に戻った小野大志と矢村に、彼らと入れ替わりでステージ入りしたバンド以外の全員が集まった。

 その肩を叩き、名前を訊いて勧誘したりと忙しない。


「キミ、凄いじゃないか!」


「アーハイ……」


「名前は? 良かったらウチ来ない?」


「ンェアーハイ」


 輪に入りにくいが、私は言ってしまった。

 納得したら名前を教える、って約束がある。それすら守らなかったら、私は何も残らない。


「ねえ。小野大志」


「ェア、ハイ」


「私の名前……夕薙吉能だから。約束通り教えたんだから、忘れないでよ!」


「ンォハイ」


 何故か小野大志の反応が上の空だ。

 ふらふらしている彼を隣でそれとなく矢村が支えている。……あれはもしかして、昨日みたいに酸欠気味になっているのではないだろうか。

 まあ、流石に何を言われたかは分かるよね。


「すみません。大志ですが、これ以上は本人が無理だと思うので家に帰しても良いでしょうか」


「ああ、勿論。お疲れ様。最高だったと後で大志くんに伝えてくれ」


 店長と言葉を交わした後、矢村は小野と二人分の荷物を手にしてライブハウスを出て行った。

 私はまたそこでも素直に別れの挨拶もできず、ただ黙って見送る事しか出来なかった。



 それから数日が経っても、二人の事を聞く人間がちょくちょくライブハウスを訪れる。

 私は反発していた両親ともまた話し、ずっと味方だった店長にも窘められて流石に逃げ場が無くなったのもあって勉強にも力を入れ始めた。

 幸い、成績は今まで中の上だったし、優秀な双子の姉妹のあーちゃんが教えてくれた。バンドもメンバーの先輩たちは受験の苦しさを知っているから、頑張ってと快く応援してくれた。

 本当に、周りが見えていなかった。

 このままでは、危うくこのバンドメンバーにまで迷惑をかける事になっていたし、あーちゃんなんかは私が喧嘩で家出する度に親から庇ってくれていたそうだ。

 受け入れなくてはならない。

 わがままばかりは言っていられない。


 ただ、習慣的にライブハウスへギターは弾きに行く。

 その程度の息抜きなら、許されるだろう。


 そう思って訪ねた日だった。

 入ろうとして開けた扉の隙間から楽しげな声がした。


「店長。ギター貸してくれてありがとうございました!」


「良いけど、何に使ったんだい?」


「練習の集大成を幼馴染に見せつけてきました。……でも今後は自分以外に人がいる所では弾くな、って言われたので」


「そ、そうか。よく分からんが、喜んで貰えたか?」


「そりゃもう。感激のあまり俺に抱き着いて……いや、あれは首絞めにきてたのか?」


 小野大志だ。

 あいつもここにいるんだ。

 ぶわり、と嫉妬心で胸中がささくれ立つ。ライブの後、私のバンドのファンではない人間たちからも応援のメッセージを貰ったが、いずれも小野大志と矢村が弾いていたから、という理由でメンバーも苦笑していた。

 何だか、私たちのライブを台無しにされた気分でもある。――と。


「ん? こんにちは」


「あっ……と」


 扉前にいたせいで、ライブハウスから出てきた小野大志とばったり会う形になってしまった。

 動揺で変な声しか出なかった。


「君もライブハウスに用か?」


「う、うん」


「そか。じゃ、俺は今リバーシ……とついでに受験勉強で忙しいから!」


 小野大志は颯爽とその場を去っていった。

 ライブ以来だし、名前だって教えてやったのに反応が随分と薄かったな。

 そう思いつつ、また会うだろうと思って私はライブハウスへと入った。



 だが、これ以降私と小野大志が会うことは無かった。

 本当に受験勉強が忙しかったのか、それとも本当にリバーシに熱が入って音楽にすっかり興味を失くしたかは定かではない。

 でも、次に会ったらライブぐらいには誘ってやろうと思っていた。

 勿論、私のライブを台無しにした文句も一つか二つ言わせて貰った後に、と。



 また会う日――忘れられていたと知るまでは!


「ごめん。誰だ?」


 絶対に、許さない。







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