紙袋の天災3
小野大志はやりたい事が決まったのか、それから真面目に練習に打ち込んだ……らしい。
らしい、というのは私があの会話以降に一切スタジオで鉢合わせしなくなったからだ。店長曰く、私へのサプライズの為にと私が来ない時間帯や日を選んで練習に励んでいるという。
居たら居たで苛々させられるが、逆に避けられても納得がいかない。
第一、私のバンドの演奏レベルを知っても折れず練習に打ち込むって部分も気に入らない。
いくら上達が早くたって素人だ。
私たちみたいに、私みたいに弾ける筈がない。
そんな風に小野大志と顔を合わせる機会がめっきり減って、久しぶりに会えたのはライブ前日である。
親に受験等の事でバンド活動について言及されてはいたが、とうとう家族会議にまで発展し、そこでも喧嘩になって衝動的に喧嘩をしてしまった。
こんな事があると、私は大抵ライブハウスに逃げ込む。
その日も店長は黙って入れてくれた。
毎度私と両親の板挟みにされてしまう彼にはいつも迷惑をかけていて申し訳なく思っているんだけど、つい甘えてしまう。
だから、今日もスタジオを借りて弾いて気分を紛らわせよう――と考えていた時だった。
午後九時。
まだスタジオに光が灯っていた。
店長が何か言おうとしたが、それよりも先に私は歩き出して扉を開ける。
「ん? 人の気配がするな」
そこに紙袋覆面の小野大志がいた。
相変わらず視界を塞いだ状態で練習しているようだ。
矢村綺丞も壁際にいる。
ああ、人がいるのか……。
親との喧嘩後で最悪の気分な私は、一人になれると思ってスタジオに来たのに。
いつもは鬱憤の矛先を音楽で解放し、発散できる環境だったのに、人がいるとそちらに当たりたくなってしまう。
小野大志は何も悪くない。
なけなしの理性で感情を押し込める。
「何で居るの?」
「秘密の練習をしてるところだぞ」
「たしか私にバレないよう練習してたんだっけ。なら私が来たんだし、帰れば?」
「……俺達が先に居たんだ。店長にも許可を貰ってやっている。そんな理不尽な事を言われる筋合いは無い」
「買えれば……店長……筋……肉の話?」
矢村綺丞と私は睨み合う。
こいつ、分かっている。
ただイライラして他人にぶつかっている事を。
短い付き合いだが、矢村綺丞の性格が友人には何だかんだ甘く、他人にはどこまでも淡白な男だと知っている。
ふん、ここでも私は嫌なヤツか。
家でも、学校でも、唯一の逃げ場のここでも……。
「二人とも何の話? 今日はいつも使ってる紙袋よりも厚めのやつだから、聞こえにくいんだよ。ゆっくり喋ってくれ」
紙袋の中で小首を傾げる小野大志に、イラッとさせられる。
抑えていた物が込み上げてきた。
「ほんとムカつく。私は好きな事やっても身近な家族にも反対されたり、色んなモノ抱え込んで、それでも好きだしそんな自分を出しても誰かが感動してくれる……だから音楽が好きで真剣に打ち込んでるの! アンタみたいな遊びとは違う!」
わざと聞こえるようにゆっくり、そして大きな声で小野大志に有りっ丈の怒り叩きつける。
我ながら思い返すと理不尽でしか無い。
彼らは所詮音楽の授業の延長線でライブハウスに招かれただけの人間だ。私みたいな事情があるわけでもなし、真剣さが劣っていたって何らおかしくない。悪くない。
それでも今の私のブレーキは脆かった。
だから、スタジオに入った後の一回だけが限界で、この怒りを抑える力は失われていた。
「アンタはいいよね? 学校の先生に勧められて、だっけ。私なんか全然良い顔されないよ。その様子だと、家の人だって帰りが遅くても何も言わないんでしょ。身近な人間が背中押してくれる環境で羨ましいよ!」
「おい、おまえ」
「真逆なアンタに、私の話なんか聞けたって理解できないでしょうね!」
呼吸を忘れていたらしい。
言い切った後に、胸が凄く苦しくなった。
私は肩で息をしながら、空気を取り込んですっと苦しさが和らいでいくと同時に、さっきまで見えていなかった自分の状況が少しだけ理解できるくらいには冷静さを取り戻した。
あ、やばい。
人に当たっちゃった。
止まった私を、二人は黙って見詰めるだけ。
矢村は依然として厳しい眼差しだ。
小野大志は……まず紙袋の所為で、こっちを本当に見ているか分からない。
やばい、どうしよう。
この怒りの矛先を人に向けた事なんて初めてだった。
人並みに良識はあるので、これがいけない事だって悟っている。
どうしよう。
初めてだから、謝り方も分からない。
混乱で硬直した私に、ギターを持ったまま小野大志が近付いて来る。
そして、一歩前まで来た彼の片手が振り上げられた。
ひ、叩かれる!?
咄嗟に腕を掲げて身構えた――が。
「ゆっくり喋ってくれてありがとうな。あ、声は早くて聞き取れなかっただけで、声量的には聞こえてるから普通でいいぜ。ライブ前に喉痛めるのはやめとけって」
ぽん、と頭の上に手が乗る。ついで、ん?と小野大志が声を上げた。
「あれ、肩じゃない……これ頭か?」
「大志。何してる」
「怒ってるみたいだから、これ以上喉痛める前に止めようと思ってさ。前に曲聴かせてくれた時、この子ボーカルしてたの知ってるからさ」
相変わらず小野大志は呑気だった。
理不尽な悪意を向けられたとは思えないほど、いつもの調子で喋っている。
「まあ、言われたとおり俺は君がどれだけ苦しいかは分かんないぞ。顔も見た事なくていつも声と爪先で判別してるし、名前だってまだ知らないしな!」
「…………」
「でも、聴かせてくれた曲からはスッゲー真剣だってのは伝わってきてる。あれは君の音だから出せる迫力と、君だから作り出せるアレがあった……アレ、アレだよ。ほら、分かんない綺丞?」
「雰囲気?」
「ちょっと違う」
「……世界観?」
「そう! それそれ!」
紙袋の下で小野大志が楽しげに笑っているのが分かる声だった。
「聞いた時にピンときた、これ好き!ってさ」
「…………」
「真逆な俺も感動させるなんてスゲーよ! だから喉を大切にしようぜ。明日は俺も君の音が聞きたくて楽しみにしてんだからさ。何で怒ってるかの理由はともかくとして、その感情は明日ライブでぶつけてくれよ」
「ライブ、で……」
「それでも収まらないってんなら……綺丞」
「それムカつくからやめろ」
唖然とする私を前に、小野大志が指を鳴らすと文句を言いながら矢村がベースギターを持ってきた。
矢村は無言で私にそれを半ば押し付けるように渡す。
受け取った私の前に、次は小野大志がマイクをセットしたマイクスタンドを設置した。……近すぎて顔面にマイク刺さってんだけど。
私がそのまま何も出来ず固まっている間に、矢村がドラムスティックを手にドラムの下へ。
そして私の隣に小野大志がギターを構えて立った。
「……何これ」
「何って、仮想ライブ的な?」
「は?」
「君が落ち着くまで発散しようってやつ。君は歌って弾くだけで良いぞ。俺はギター合わせるぜ」
「……私の曲、一曲しか知らないでしょ」
「店長に頼んで全部聴かせて貰ったぞ。君のバンドほど上手くはないけど、一応弾けるぜ」
なるほどね。
どうやら、歌って弾いてストレス発散させようって魂胆か。
呆れてしまうが、ようやく手にできた楽器の感触に少しだけ落ち着く。
「……矢村はベースでしょ。ドラムできないくせに、なに構えてんの?」
「俺は元々ドラムだ。音楽の授業でドラムだったのに、大志がベースをやれと言って聞かないから練習してた」
はあ?
私は思わず小野大志を見る。
すると、彼は頭の後ろで手を組んで嬉しそうにしていた。
「綺丞って本当に良いヤツだよな! 俺は人類が嫌いになっても綺丞だけは嫌いにならないと思う! あと雫。あ、あと家族と、あと……うん、人類が嫌いは無理だな。とにかく綺丞大好き」
私の事情だとか怒りだとかをぶつけられた後だというのに和やかな二人の姿を見せつけられて、何だか肩の力が抜ける。
私は一度手元に視線を落として。
「……勝手に弾く。ついてこれなくても知らないから」
「どうぞ! 無理だったら諦めて観客になるぜ!」
もう知らない。
小野大志に背中を押されて、私は今日の鬱憤を音に乗せて夜のライブハウスに放った。
他人を気にしない自分だけのペース。
ライブハウスに逃げ込んだ時と同じだ。
でも、いつもより心地がいい。
立て続けに二曲演奏していく過程で、その理由に気付いた。……小野大志と矢村が、私に完璧に合わせていた。
何でできるの?
店長に聴かせて貰ったって言っていたけど、それだけで弾けるの? もしかして密かに練習してたって、これ?
色んな疑問が一瞬だけ頭を過るが、それも無視して音を叩き出す。
「――え……!?」
そして、三曲目の終盤で――急にギターの音が消えた。
隣を見ると、小野大志が大の字で倒れていた。
私も矢村も手を止めて彼に駆け寄る。
「ちょ、どうしたの!?」
「だ、体力保たなくて……しかも……いつもより厚紙だから……呼吸……ムズい」
てっきり危険な事態かと思ってヒヤヒヤしていた私は、がっくりと項垂れる。
「そういう無茶するならキツいと思った時点でやめなよ」
「ふーっ、息が整ってきた……いや、俺も楽しくていけるとこまで行こうって思ってさ。まあ、そしたら川の向こう側で『早く帰らないと殺す』って言ってる雫が見えてきたけど」
彼岸の景色でも見えたのだろうか。
それにしても、川の向こう側は随分と殺意が高いんだな……。
私と矢村も倒れる小野大志の横に座る。
全力でやっていたから凄く汗もかいたし、疲れた。……でも、何だか余計な物がごっそり落とされて生まれ変わったような気分だった。
「ありがと」
自然に出た言葉だった。
恒例の親と喧嘩した胸糞悪い夜に出たとは思えない感情を凝縮した感謝の一言。
「え? ごめん。その声量は聞こえないから少し大きめでもう一回頼む」
でも、小野大志には届かなかった。
いつもならキレていたけど、それすら今はおかしくて笑ってしまう。
「やだ。もう言わない」
「そっか。でも次からは聴こえるように頼むぞ」
「はいはい。……二人も明日は頑張りなよ」
「あ、そうじゃん……やべ、明日の体力もう無いよ。どうしよ、綺丞」
「知らん」
堪えきれず大爆笑する私と、泣き言を言い始める小野大志、それの相手をする綺丞の声は、店長がスタジオを閉めると言うまで止まらなかった。
――おまけ――
最近、大志が私――夜柳雫にも内緒にして打ち込んでいる事があるらしい。
それが何なのか尋ねてみるけど頑として教えてくれない。
そして、大志がいないからなのか親がいつも以上に絡んでくる。
「大志」
「ん?」
「……私、寂しいから早く帰って来て欲しい」
「ふ。そう言うと思ってな」
大志がにやりと笑う。
え、通じた?
早く帰って来て欲しいと思って言った半分嘘な言葉が……。
「――俺が居なくて寂しいだろうから、早く帰って来て雫を慰めてくれって雫の両親に頼んでおいたぜ!」
私はアンタに居て欲しいの……!!
ぐっと衝動的に放とうとした右拳を左拳で相殺し、湧き上がる感情には歯を食いしばって耐える。
でも、殺してやりたい気分だ。
大志が可哀想だからと強硬策に出るのは控えようと思っていたけど、この調子なら手加減無用。
一体、どうやって吐かせてやろうか……
「へへ。今は教えられねーけど、終わったら雫の為だけのとっておきを見せるからな!」
好き。
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