紙袋の天災2



 小野大志とは、スタジオを借りると必ずと言っていいほど遭遇する。

 依然として紙袋を被り、一度として素顔を見せない。本人は特に顔を隠す意図で付けているわけではないので、私が少し気になって頼むと容易く紙袋を外そうとする。

 しかし、運命の悪戯かのごとく肝心な時に限って邪魔が入る。

 店長の呼び出し、突然の電話、理不尽に時を選ばない便意尿意……もう私に彼の素顔は見るべからずと神が告げているようだった。

 結局、私と彼のライブを間近に控える時期まで見れる事は無かった。

 ただ、別にそれでも良かったのだ。

 友だちでもないし、偶然スタジオで顔を合わせる知り合い程度の関係の他人。

 だから。


「ぐぉーっ……んがっ……」


「うわ」


 ギターを抱いて壁際で寝ている少年を見つけ、同時に膝上に置かれた紙袋を発見してぎょっとした。

 あれだけ運命にも秘匿されていた素顔を晒して、小野大志は爆睡していた。

 隣ではそんな彼にブランケットをかけようとして、途中で私に気付いた矢村綺丞が唇の前に人差し指を立てる。

 静かにするように、と。

 私は黙って頷いて、でもじっと小野大志を見ていた。


「何で寝てんの?」


「ギターと一心同体になる為に、まず抱きしめてギターに意識を集中……とかよく分からない理論で瞑想し始めて、数分で寝落ちした」


「紛うことなきアホじゃん」


 私と矢村でため息を一つ。

 ギターの腕前以外は何も感動させてくれないのが小野大志だ。この一ヶ月にも満たない期間で、もう私が舌を巻く技量に成長していた。

 素直に一ギタリストとして評価している。

 ところが、少しだけ何故か上手くなっていく小野大志を歓迎できない部分があった。感じたことのない感情なため、明確に言語化できない。

 一体、何なのだろうか。


「んぉ? ……眩し」


 んー、と呻きながら起きたであろう小野大志は、紙袋を手で探して掴み取るや無造作に被った。

 こきこきと肩を鳴らし、ギターを構える。


「ん、人の気配がする」


「私と矢村ならいるけど。スタジオで寝るとか店長に失礼だからやめな……休憩所じゃないんだよ」


「えっ。やだ、俺の顔見た?」


「あー、ごめん。寝顔ジロジロ見ちゃって」


「瞑想してたのに寝てたのバレちったー……最後の言い訳もできないじゃん」


 私が無言で軽く蹴ると、紙袋の下で「いやんっ」と色めいた声で叫んだ。


「いやー。ライブ近いといよいよ総仕上げって感じで気合入るよな」


「アンタもライブするんだってね」


「まあ、ボーカルもいないし綺丞と二人で人気曲とか弾いて騒いで帰る感じだけどな。まだ何弾くか決めてないんだよ」


「無計画にも程があるでしょ。何の練習してんの今まで……?」


「俺と綺丞、即興でも合うからな。弾き方さえ知ってれば、その日の気分でも合わせられるぜ」


 ちら、と隣の矢村を見ると。


「非常に不本意な上に自分でも理解できないが、大志の無茶振りだと他人のそれとは段違いで自分の反応速度と精度が上がる……波長も、何故か合う」


 無表情なのに声だけが苦しげだ。

 器用なやつ。

 どうやら、矢村も難儀な性質の持ち主だ。

 小野大志とタッグを組む為に生まれたような才能だと言ったら、いつも崩れない澄まし顔も少しは歪むだろうか。


「綺丞と学校でリバーシやって、放課後はライブハウスって……何か異世界来てる気分だよな!」


「夜柳は何か言ってないのか?」


「何か『また矢村くん?』って毎夜聞かれてうん、って言うと許されるぞ。信頼されてるんだな、綺丞!」


「フゥ――……卒業日までに消されるかもな」


 天井近くの虚空を遠い目で見る矢村の反応が気になるけど、その疑問を掻き消すように小野大志のギターが唸る。

 その演奏は、もう練習を始めて一ヶ月未満なんて信じられない音の鋭さだ。

 やっぱり、聞いていると胸の中がジクジク痛む。

 少しして、小野大志が突然音楽を止めた。


「そういや、君のバンドってどんな曲弾いてんの?」


「え、気になる?」


「それは勿論……あ、てか俺って君の名前と顔も知らないな」


「…………」


 そういえば、確かに。

 それを聞いた瞬間に、胸の中を蝕んでいた不快感がスッと消えた。同時に湧いたのは、周囲に腕を褒められた時と同じ優越感である。

 どうしてかは分からない。

 ただ、私だけが一方的に小野大志について知っていて、彼は私の情報を何も握っていない状況がどこか力関係のように感じた。


 それとは別に、小野大志を気に入らない点で言語化できる物もある。

 私は親に反対され、教師にだって良い目をされていない苦境でも私は頑張っていたのだ。

 何の苦労も無く、不真面目に音楽を嗜んでいるのが腹立たしい。


「ふん。私はまだアンタを認めてないから……スタジオで居眠りまでしてた不真面目なやつと私は違うの」


「たしかに。いつも練習頑張ってるもんな」


「……ライブ」


「ん?」


「ライブで私を納得させられたら教えてあげる」


「そっか、任せろ。……んで、曲聴かせて♪」


「ふん」


 私はスマホにコードを接続し、イヤホンを彼の手に握らせる……ついでにもう片方を矢村にも。小野大志が紙袋の内側でそれを耳に装着したのを見てから、録音した曲を再生した。

 二人は黙って聴いていた。

 しかし、曲が終わった瞬間に小野大志が矢村の肩を拳で小突く。


「綺丞」


「……まさか」


「おうよ!」


 私には察せない意思のやり取りを二人で行っている。

 よく分からないが、私たちの演奏レベルを聞いた上で、さっき提示した『私を納得させる』という条件をクリアする難しさを実感して貰えただろう。……なのに。


「綺丞、俺ドラムも練習しようかな?」


「おまえにマルチタスクは無理だ。ギターに専念しろ。……ハーモニカなら俺ができる」


「カスタネットなら余裕あるぞ」


「やめなさい」


 不穏な会議をしているが、気にしない。

 私も練習するだけだ。

 当日、彼らのやる気をへし折れるだけの実力を披露してやるんだ。






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