見てろよ、雫!/密かな期待
夜柳雫の黒髪は、俺にとって掛け替えの無い価値が無い。
別に髪が特別な訳ではないのだ。
ただ、彼女の髪が蔑ろに扱われているのは腹の虫の居心地が良い。
具体的に言うと、長さがあると安心する。
その髪が長いだけ、この世に多く『夜柳雫』が存在している証明になるからだ。
昔から、俺にとって夜柳雫は特別だった。
よく分からない嘘で人を翻弄し、空っぽな笑顔で老若男女問わず魅了し、化け物みたいな武力で気に入らない物は潰す。
俺の身近に存在するファンタジー。
当時の俺には未知の存在だった。
どうして、コイツは嘘をつくのか。
どうして、コイツは強いのか。
どうして、コイツは寂しそうなのか。
今では腐れ縁でかれこれ何年目かちょっと覚えてないけど長い月日を共にしている。
だから、いつしか夜柳雫が宝物のように思えていた。
雫が髪を伸ばせば、それだけ俺の宝が増える。
何でそう思ったかは俺にも分からず、隣のお婆さんに訊ねたら「それは愛だよ」と的外れな真理を示されたので、答えは迷宮入りだ。
とにかく、夜柳雫を減らしてはならない。
「だ、誰か……誰かあのバケモノを止めろ!」
「助けてぇ!!」
「嫌だ、俺の体育祭を終わらせないでぇ!!」
そんな風に思考している間に、周囲が騒がしくなっている事に気付いた。
いつの間にか、俺は騎馬戦の真っ最中にあった。
いつもより目線の高さが違う。
下を見れば、俺を支える仲間の頭が三つ並んでいる。俺の手には夥しい量の鉢巻が握られていたが、赤や白と入り乱れた色から見ると敵味方の見境なく奪っていたようだ。
今まで意識を失っていたかのように記憶が途切れている。
可怪しいな。
もう午後の騎馬戦まで事が進んでいたなんて。
昼食時に雫からパンを貰った辺りから何も覚えていない。
午前の学年対抗ではなく、今度は紅白対抗なので前回よりもかなりチームとして重要な戦いだ。……なのに記憶がない?
「大志、おまえは凄ェよ!」
「ああ、全くだ!」
「このまま全滅させてやろうぜ!」
足元で仲間が何か喚いている。
今俺は起きたばかりのような状態なので敵味方が全く分からない。
観戦席にいる観衆たちも、何やら敵の全滅を俺一人に期待するような眼差しを送ってくる。
「憲武!」
「何だ!」
「敵はどいつだ!?」
「今さら敵なんて考えるな! とにかく、目についたヤツから全部奪ってやれ!」
「そんな外道な真似ができるかよ!」
「おまえは自分の手に何が握られてるか、分かんねぇのか!?」
俺の左側を支える憲武が叱咤する。
言われた通り、手中の鉢巻たちを見た。
「もうオレたちの手は、汚れちまってるんだよ!」
「う、嘘だ……!」
「オレたちが途中で何度呼びかけても、おまえは向かってくる敵だけでなく、逃げ惑う仲間から容赦なく奪っていった! もう俺たちは戻れねえところまで来ちまったんだ!」
「く……」
「腹を括れ! 全員殺ればいいんだよ!」
憲武が必死な顔で訴えかけている。
悲痛な叫びにも似た声に、俺は鉢巻を強く握り締める。
そうか、意識が無いなんて言い訳に過ぎない。
もう仲間にまで手を出してしまったのなら、俺は罪人である。……後戻りは出来ない。
「覚悟を決めたぜ、憲武」
「ああ!」
「さて、どいつからやる!?」
「まずは、あそこにいるやつだ!」
「あいつは強いのか!?」
「オレの合コンで勝手に恋人ゲットした野郎だ、気に食わない!」
「取るのは鉢巻か!? 恋人か!?」
「何でも良い! とにかく殺れ!!」
「おっしゃあ!!」
俺たちの騎馬は狂気にでも駆られたように、取り敢えず憲武の指示する男前な少年に向かって猛進する。
こちらを見て、明らかに相手は怯えた顔で逃げていた。
逃げる事ないだろ、仲間じゃんか!!
その少年を追いかける途中で三つの騎馬を戦闘不能にして、最終的に捕まえられず終了のホイッスルが鳴った。
俺たちは悔しくて拳を握る。
整列した時、仲間からも冷たい視線を向けられた。小声で俺を罵る声も聞こえたが、もしかして憲武と俺を間違えてはいないだろうか。
「く……悪い、憲武……!」
「いいや、大志はよく頑張った」
「そうだよ。見たかよ、アイツの怯えきった顔を。同じクラスの隣席だけど、体育祭明けから仲良く出来そうだぜ!」
「俺たち最高だな!!」
四人で肩を組んで称え合う。
何て素晴らしい関係だろうか。
因みに、反則負けにはならなかったけど、俺が敵や仲間から奪った数がほとんど均衡だったので、他のみんなの競争で得られた僅かなポイントのみとなった。
ううむ、これでは駄目だ。
夜柳雫を取り戻す為には、頑張ったという結果を示す事――目に見えて分かる好成績が必要である。
この後のリレーに、全てを懸けるしかない!
「見てろよ、雫……!」
※ ※ ※
「夜柳さん、失敗したんじゃないですか?」
私――いろはの声に、夜柳雫は答えない。
夜柳雫の髪を取り戻そうと奮闘している大志先輩だけど、何故か途中から努力が誤った方向に働いている。
この結果を見て、果たして夜柳雫は自らの勝利と言えるのだろうか。
果たして、私が盗み見た横顔は――まだ余裕の笑みを湛えていた。
「普段のアホさに拍車が掛かっているのは、確かに失敗かもしれないわね」
「…………」
「でも、あの暴れ様も偏に私の為みたいだし。軽い説教だけにしとく。……あれだけ醜態を晒せば女も寄り付かないだろうし」
嬉しそうなのが腹立たしい。
今に見ていろ、夜柳雫。
あの小野大志を今は制御下に置いたような態度だが、彼はいつだって誰の手にも余る奇想天外な男だ。
いずれは、夜柳雫が望んだ形とは違う結果を齎すに違いない。勿論、それが私やその他の大志先輩を慕う者にとっての願望を叶える結果とも限らない。
でも、今は良しとしよう。
ただ夜柳雫の気に食わない態度さえ崩れてくれればいい。
私はひっそりと、胸前で手を握りしめて大志先輩に向けて念を込めるように祈った。
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