暗黒ガール
髪を短くした夜柳雫の御姿に、男子校が震え上がっていた。
天恵とも呼ばれていたほどに夜柳先輩の髪は美しいと評判だったが、大袈裟だと侮っていた私の価値観を覆すような反応である。
否、そこはさしたる問題ではない。
「そ、そんな隠し玉が……!?」
やられた――と言わざるを得ない。
小野先輩を目当てに来た私たち一同からすれば痛恨の一撃である。
事態は順調に進んでいた筈だった。
最初から小野先輩の周りを包囲し、入る隙を与えずに彼女ではなく他の女子のみを意識させるつもりだった。
今日はほんの初手。
今回は私でなくても構わない。
ただ、夜柳雫から引き剥がすだけの策だ。
それが……あんな事になるなんて。
「可愛いけど。可愛いけどさ!?」
「アンタの頑張り次第で元に戻すって」
「それはそれで勿体無い気が」
「そう? 実は私も案外気に入ってるから、このままにしようかって――」
「伸ばして下さい!」
小野先輩は夜柳雫に翻弄されている。
特に手の込んだ細工はしていない。
単純に――髪を切っただけだ。
これを誰が想像できようか。
美容院で整えたかなとも思ったが、小野先輩の驚きようから切ったのは今日なのは分かるが、時間帯的に美容院を予約したってこの時間に完成させて入場するのは不可能だ。
つまり、自分で今日素早く切ったんだ。
何で自分で見えない
つくづく化け物だ。
スペックも怪物級なんだから、他の男でも狙えば良いのに。彼女なら選り取り見取りだろう。
数ある内で小野先輩を狙わないでよ。
大体、あれは何!?
小野先輩が夜柳雫の長い黒髪を愛している、なんて情報は寝耳に水だ。あまりにもプライベートだし、第一あの性格からそんな拘りがあるなんて気づけない。
「弁当も作ってきたから」
「至れり尽くせりだな。らしくないぞ」
「普段からアンタに献身的なの忘れた? 去年も作ってあげたでしょ」
「でも、飯なんて食ってる余裕あるかよ。俺は雫の髪を取り戻す為にも全力で――」
「全力を発揮できるようパンを作ってきた。どう? 嬉しい?」
「雫って神様か? 毎日それくらい優しくして」
あ、と誰かが声を上げる。
恐らく私の隣――たしか永守梓とかいったか、私と同い年の少女が手に提げたバックを見つめている。
今の反応で何となく察した。
健気にも弁当を用意して来たのだろう。
だが、今は駄目だ。
何をしても小野先輩の眼中に入らない。
「アンタの組、勝ってるんだ?」
「おうよ。こう見えても俺のクラスは帰宅部が強いからな」
「運動部の立つ瀬が無い。聞いた事無いわよ、そんなクラス」
「あ、俺そろそろ仕事だわ。じゃあ、昼休憩の時に学校の何処かで集合な」
「昇降口で待ってる」
意気揚々と走り去っていく小野先輩に手を振って見送った夜柳雫が、ようやくこちらへと振り返った。
「あら。みんなも来てたのね」
ぶちっ、と全員から聞こえた気がした。
余裕綽々とした夜柳雫の姿に、誰もが怒りを覚えた事だろう。
最初から気づいているくせに、自分も端から眼中にありませんでしたと演出している。敵ではないと言外に伝える物言いが温厚な人物でさえも一気に沸点まで持ち上げた。
永守梓なんてうーっ、と顔を真っ赤にして唸って……小動物みたいで迫力は無いが、かなりご立腹のようだ。
「相変わらずですね。夜柳さん」
「如月さんも。今日は誰の応援?」
「勿論、小野先輩ですけど」
「そう。久しぶりに会えて嬉しいわ、良かったら一緒にお昼でもどう?」
夜柳雫の提案に顔が引き攣りかけた。
どこまでも余裕だ。
昼食に同席しても、自身の優位が揺らがない確固たる自信だからこそ見せられる笑みだ。その鷹揚な振る舞いが却って不気味である。
どこまでも人を
「夜柳さん」
「ん?」
「私、まだ諦めてませんので」
「へえ。叶うといいね」
応援している口だが、声色から興味が全くない事が伝わる。
中学時代はそこまででも無かったが……これが本性か。
矢村先輩から聞いていた通り、いつも幼馴染であり常に生活に寄り添う立場として優位を誇り、勝ったように振る舞いながらもその実余裕は無く、手段は選ばない。
この人に執着されている小野先輩は、ハッキリ言って……可哀想だ。
いや、あの人の性格を考えれば夜柳雫も被害者なのだろうけど。
それでも。
あの人は、
「ええ、頑張りますよ」
私は精一杯の敵意を示すように、彼女を睨んだ。
宣戦布告する私にも軽く手をするだけで、彼女は私たちの中の一人――実河雲雀さんの方へと歩む。
二人は気安い様子で示し合わせたように互いに手を出して叩く。
「やるじゃん。そんな秘策あったんだ?」
「少し前にね。私も意外だった……大志が私の長い黒髪が好きなんて」
「あの入れ込み様だと、長い黒髪じゃなくて夜柳の長い黒髪って意味か」
実河さんがこちらを見て苦笑する。
夜柳先輩の協力者なのかな。
おそらく、態度から察するに小野先輩に対しては私たちと同様の感情を持ち合わせていない。
そんな彼女からしても私たちは不憫に映っているようだ。憐れむほどに、夜柳先輩の優位が揺らがないと。
「矢村くんも、この前はどうも」
「相変わらずだな」
「如月さんを連れてきたのは矢村くん?」
「偶然だ。会場に入る前に遭遇して昔の付き合いでそのまま流れるように同行してただけだ」
「ふうん……。扇さん、家で寂しくしてないといいけど」
「……」
「そんな怖い顔しなくても、今回は偶然なんだから疚しい事は無いんでしょう? ……そういう事にしておいてあげるから」
冷たい目で視線を交わす二人に私は背筋がぞくりと震える。
あの矢村先輩が珍しく感情的だ。
この二人にも因縁があったんだ……。
「それにしても、少し可哀想な事したかも」
ふと思い出したように、夜柳先輩が微笑みながら呟く。
「もう応援しなくても、大志の目にみんなは映らなくなっちゃったみたいだし」
そう言いながら、実河さんと一緒に歩いていく夜柳先輩の後ろ姿に一人が崩れ落ちる。
振り返ると、永守梓が弁当箱を抱えながら俯いていた。
そうだよね。
私も中学の卒業式の日の出来事を経験していなかったら、心を折られて膝を屈していただろう。
でも、夜柳先輩。
貴女がそうであるように、私たちだって執念はあるんです。
「負けてられない」
―おまけ―
俺――小野大志は休日にテレビを見ていた。
何やら、最近開かれたミスコンという名の日本一の美女を決める大会で優勝した女性が番組に呼ばれたらしい。
紹介された女性は、たしかに美しい。
千年に一人の美女という紹介文が付けられているのも納得である。
「日本一、か」
「何? その女が気になるの?」
「いや、俺だったら何をしたらこの子を超えて日本一の美女に選ばれるかなって考えてたんだよ」
「何してもアンタは男だから不可能でしょ」
ブツリとテレビが切られた。
あぁ! とか雄々しい声を上げると、雫に深いため息をつかれた。
「それにしても、こういうの多いわよね」
「何が?」
「千年に一人とか仰々しい枕詞で飾るけど、同じ時代には百年に一人の美女だって存在するんだから、後で比較したりしないのかって思うのよね」
「雫って面倒臭いんだな」
「あ?」
全く、分かってないぜ。
俺や雫みたいな年代に限らず、いつになったって人には抗えない性があるじゃないか。
「雫よ。何だって『称号』を付けたくなるのが人ってもんじゃねえかよ! 俺だって呼ばれてみたいぜ、一秒に一人のーとかって」
「そんな刹那的な異名取ってどうすんのよ」
「一瞬を生きたって、何かカッコよくない?」
「二秒経ったら無価値」
「三分に一人の完成された男」
「量産型すぎるから不名誉でしょ。カップ麺と同価値じゃないの」
「美味しいから良いだろ。それにしても普段から『超瀬町の美姫』とか呼ばれてる人間は違うな。これがネームドの余裕ってやつか」
「その憧れの眼差しやめて。不快」
人の憧れを不快の一言で切って捨てるなんて薄情者め。
「じゃあ、雫が何か俺に付けてくれよ」
「千年に一人の素敵な幼馴染を持った男」
おっと、これは一本取られた。
たしかに雫という超人を幼馴染に持って生まれた俺は、その称号が相応しい男である。
この短い時間でもう名付けに関する人の心の機微を理解しやがった……流石だぜ!
ただ詰めが甘い。
「ふ、それじゃあ正確じゃあない」
「……なに?」
「雫はな。『人生に一人しかいない完璧美少女幼馴染を持った男』だぞ」
「っ……大志……」
「まあ、十年後にはアラフォーになってるから美少女ではなくなるんだよな」
「……………………」
「時間の流れって儚いぜ。雫くらいなら十年後は美少女やめるどころか新世界の神になっアデッ!?」
後頭部にティッシュ箱が激突した。
どうやら雫が投げたらしい。
全く、物は大切に扱えって小学校の道徳で習わなかったのか? そんなことだから人の心が無いとか俺だけに言われるんだぞ。
「良いよな、称号持ちって」
「私には昔から絶対的な称号があるから。それ以外なんて要らない」
「えっ? なになに? 何があんの?」
「『大志の生涯でたった一人の女』、って」
「ひ、人の心が無いとか思ってたけど、まさか将来的に人類から自分以外の女性を始末する気か……!? の、憲武だけにしとけよ危ないから」
「そう。アンタがそこまで朴念仁だと本当にそうしないと駄目かもね」
何か神話が始まりそうな事を言い出した。
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