圧倒的絶望/圧倒的勝利
圧倒的――やる気欠乏症に陥っていた。
原因なんて一つしかない。
いや、経緯を考えればどんな俺レベルのバカだって薄々理解するだろう。
目的だった女子へのアピールをする前に、俺の周囲では既にデートしてくれる女の子がいて、頑張れば更に一人とデートが出来る上に他の女子に好印象が与えられる。
最悪、手を抜いても一人は確定している。
それも、とびきり可愛い後輩とのデート。
そんな状況下でやる気が起きるか?
答えは――起きない、だ。
「駄目だ、もうリレー走る気無い」
「大志。曲がりなりにもオマエはクラスで三番目に速い男なんだぞ。クラス内から四人出場のクラス対抗リレーで欠員になるって事はどうなるか分かるか?」
怠惰な事を口にしていたら、憲武が厳しい面持ちで俺に話しかけてきた。
随分と彼らしくない面構えだ。
真面目なんて三文字が似合わない人相をしているのに、俺に向けられた表情は明らかに真剣さを帯びている。
貴様……本当に憲武か?
「……俺の代わりに他の人が走る?」
「すると?」
「俺は出なくていい?」
「違う。クラスで五番目に速い俺が走らなくてはならなくなる……俺も出たくない!」
俺と同じだった。
流石は憲武、顔は一流だが中身は三流以下だ。
そんな理由で俺が焚き付けられると思っているのか。
本気にさせたいのなら雫のパンか、それとも誰でも一人を恋人に出来る権利ぐらいの破格の待遇がなくては動かないぞ。
「でもさあ、憲武」
「いや、気持ちは分かるぞ。俺も一緒だからな」
「え?」
まさか、憲武も既にデートの可能な女子一人を確定させたのか。
「幾ら頑張ろうと、ここは陸上部の独壇場。俺や大志みたいな帰宅部だけで構成されたこのクラスに勝ち目は無い」
「……………」
「負け戦に何を見出すんだって話だ」
「いや、俺はもう頑張らなくても女の子とデート出来るからやる気ないだけだぞ」
「死ッッ……んんっ!危ない、思わず感情のままにおまえを「死ねぶっ殺すぞカス」と言ってしまうところだった」
憲武の言う通りだ。
俺のクラスは――陸上部に所属する生徒がいない。
その上、何故か運動部などを差し置いて帰宅部である俺や憲武、その他三名が体育における短距離走のタイム上位者なのだ。
内一人なんかは、明らかに肥満体形なのにサッカー部のエースを追い抜く俊敏さを備えている。
これが世の不条理だ。
リレー出場者にタイムの速い走者が選ばれるのは定石。
あらゆる文句を飲み込み、クラスは俺たちを選んだ。
ただ、幾ら速くとも上には上がいる。
実際に他クラスには、化け物じみた速度で走行する生徒もいるのだ。
特に、今年インターハイ地区予選の一回戦で敗けた陸上部の部長は物凄く手強い。
「最初から勝機が無いんだ」
「確かにな」
「大志。オマエが本気を出せば、勝てるかもしれないが」
「言っただろ。本気を出すと必ず失敗する癖があるんだ」
「意味分かんねえよ直せカス」
「口悪っ」
女子とのデートが羨ましいんだろう。
先刻から人を癒せる眼力で俺を見つめている。
最初から勝てる戦ではない。
騎馬戦だって、まだデートが確定していなかったのでやる気に満ちていた。
だからこそ、複数のハチマキを奪い取る戦果を手にできている。
だが――今の俺にはそれが無い。
走る事に消極的な憲武や俺、今朝からやや下痢気味な肥満体型の内田くん、今日は星座占いが七位だった竹本くん、そして女子が見ているから無理だという上がり症の根山くん。
字面だけで敗北者感が漂っている。
この面子でどうやって勝ちに行けと?
「午後のリレー、無理そうだな」
「昼休憩で俺に告ってくる女の子とかいないかな。或いは夜柳様から応援のエールとか貰えたらリレー全力出せるのに」
「雫が来ると困る。駄目だ」
雫が来れば恋人作りなど出来ない。
おバカな俺でも一応は学習能力がややある。
これまで何回も、彼女によって妨害されてきた気がする。いや、その内の八割は自分の失敗だったと思ったが気の所為にしておこう。
理由は不明だが、雫は俺の恋人作りに反対している。
そんな彼女が体育祭に来れば、風前の業火である俺のやる気は遂に消えてしまうだろう。
「はーっ、何か無いか? 素敵イベント!」
自棄気味に憲武が叫ぶ。
これまで幾人も己が企画した己の為の合コンでキューピットを演じた男が愛を求めている。
きっと叶わないだろうな。
…………と思っていた時だった。
『『『『『夜柳様がご降臨されたぞーーーー!!』』』』
複数人の男子の叫び声が会場に響き渡る。
次いで、その声すら掻き消す程の歓声が上がった。
今一瞬だが、『夜柳』と聞こえた気がした。
まさかとは思うが、俺の幼馴染じゃないだろうな?
嫌な予感に、全身の血が滾る。
そんな俺の隣で、憲武が半狂乱で叫んでいた。
いやいや、そんなまさか。
いやいやいやいや。
もしかしたら、別人かもしれないし。
同じ夜柳でも雫の両親か祖父母の方かもしれない。
安心感を得る為に、俺は校門の方へと駆けた。
その途中で、あれほど会場に轟いていた歓声がピタリと止んだ事に気づく。
雫の来訪に歓喜していた人たちが鎮まった。
やはり!
人違いで熱狂から醒めたのかもしれない。
校門が近付くにつれて胸の内で膨らむ安堵と期待に足を急がせていると、誰かに腕を掴まれた。
振り返ると、どうやら俺を捕まえたのは花ちゃんだったようだ。
「おお、花ちゃん? どうした?」
「――行っちゃダメ」
「何で」
「ダメなの、本当に」
花ちゃんが必死で訴えてかけてくる。
青白い顔に切迫した表情は、明らかに尋常な事態では無い事を語っている。
え、まさか校門に来たのは雫ではなくバケモノだった的なオチ?
俺の身を案じている風の花ちゃんの忠告に足を止めて、校門まで行くか悩んだ。
こんな状態の花ちゃんを置き去りにするのもどうかと思うしなぁ。
「何で行ったら駄目なんだ?」
「だって、大志くんがそれ以外に見えなくなっちゃうから!!」
「え、目が見えなくなるって事?」
「良いから行かないで! お願い!」
「お、おう」
凄まじい形相で頼み込まれては否やは無い。
一体、何が学校に来たというのだろうか。
「―――――大志、来たよ」
聞き慣れた声を耳にする。
俺の背筋に鳥肌が立ち、声の主へと振り返る事を体が全力で拒否している。
この感覚は知っている。
昔、公園で女の子と夫婦ごっこをしているところを見た雫が全力で走って来る瞬間に感じた恐怖―――それと全く同じだ。
振り返ってはならない。………ならない、んだけど、同時に振り返らなければどうなるかも分からない。
怒って走って来る雫から逃げた後、人の見ていないところで死ぬ寸前までおやつ抜きをされた事があったからだ。
声の主は分かる。
雫だ。
昨日なら不安だったが、今朝聞いたばかりだから確信できる。
どうしよう、体育祭の事を黙っていた俺の嘘をどうやって弁明しようか。
素直に謝れば許してくれるかな。
「大志」
「お、おう。雫か、何しにここへ……………………………………………………え?」
謝罪文を必死に脳内で考えながら、俺は背後の雫へと振り返った。
そして、思考が停止する。
「体育祭、応援に来たけど……何してるの?」
そこに――確かに雫はいた。
だが、今朝とは明らかに様子が異なる。
いつも彼女と一緒だった俺には、彼女の身に起きている異変がすぐに理解できた。
だって。
だって。
あの雫のシンボルとでも言えた長く美しい黒髪が――――今、その毛先を肩の上で揺らしていたからだ。
「し、しず、雫……か、髪、髪が」
上手く喋れない。
俺が痙攣しているのかと疑う程に震える手で指差すと、雫はその髪を指に絡めるように弄る。
「切った。………それが何?」
その一言で、俺はその場に突っ伏した。
計り知れない絶望に、視界が真っ暗になった。
※ ※ ※
目の前で地面にくずおれる大志を見て、私は勝利を確信した。
――作戦、成功だ。
短くなった髪が大志に壮絶な衝撃を与えている。
これは私が切れる最高のカード。
どれだけ女子が群がろうと、大志の意識が私へと傾く最大効果を発揮する。
現に、ただ髪を短くしただけで大志はこの有様。
ちら、と視線を向ければ悔しそうにしている瀬良さん。
当然だ。
今回も大志を囲う策でも用意していたのだろう。
実行前か、途中か、それとも完了後か。
いずれにしても、私のこの行動で全てが無に帰す。
大志は以前、私が髪を切る――そう告げただけで酷く動揺していた。
同時に、全力で阻止しようとしていた。
彼の口から、『私の長い髪が好きである』という事は聞いている。
これで彼はかつてない程に絶望しているだろう。
さあ、ここからが本番だ。
「大志、どうしたの?」
我ながら白々しいが、尋ねる。
「俺、もう生きてける気がしない」
「どうして?」
「雫の髪が、短くなってる。……何で切ったんだよ……」
「夏には暑いし、気分転換も兼ねてよ」
「そっか…………………」
「そんなに、私が髪を切ったのが嫌?」
「……………」
大志が地面から顔を上げる。
じっと私を見ているが、その瞳は普段の彼とは思えない程に死人のように濁りきっていた。
「短い髪の雫も可愛いけど……はぁ」
「長い髪の方が好き?」
「はい」
即答だった。
ほら、やっぱりね。
なら、やることはもう決まっている。
「そっか……………じゃあ」
私は少しだけ間を空けて、大志にだけ聞こえるように囁いた。
「大志が私の為だけに頑張るなら、また髪を伸ばそうかな?」
その一言を聞いた瞬間、大志の瞳に光が宿ったのを私は見逃さなかった。
跳ね起きるように立ち上がると、彼は私の両肩を掴む。
「本当か! 本当に!?」
「うん」
「いつもの嘘じゃないよな!?」
「いつも嘘ついてない」
「絶対だぞ! 約束だぞ!?」
「勿論。でも……もし、大志がこの私との約束以外に違う誰かと何かしていたら、話は無し」
「なっ!? わ、分かった! じゃあ、女の子とデートできる約束とか止める! 雫の為に頑張るから、髪伸ばす方向で頼む!!」
「それなら、良いけど」
笑いを噛み殺して、私は約束を取り付けた。
たとえ何処の馬の骨が、どう足掻こうとも今の大志は私以上に大切な物は無い。
取り乱す程に私の髪を重要視し、無意識に好いている彼はこれで私以外を見れなくなる。
「大志、頑張ってね」
私の声援に、彼は首を何度も縦に振る。
ほら、私の勝ち。
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