動き出す煩悩
「えー。迷惑かけないよう全力で頑張って下さい」
校長の気の抜けた台詞によって、此度の体育祭の幕が上がった。
紅白の二つに分かれた生徒の代表ニ名が行った宣誓だが、どちらも予て用意し、示し合わせていた内容を忘れてしまったので目も当てられない程にグタグダした始まりである。
既に町中からの観戦者が会場に集っている。
この醜態が超瀬町の規模の衆目に晒されてしまったも同然だ。
明日は有名人だな。
グラウンドに集合していた生徒たちが一旦解散し、種目別の出場に向けて準備に入る。
ちらほらと見える女子の面前とあってか、その凍てついた闘志が気温に影響していると錯覚するレベルで張り切っていた。
他人事みたいに言ってはいるが、斯くいう俺もその熱気を作り出している一因だ。
女子校では雫にさんざ邪魔をされたが、ここで頑張れば彼女達から小野大志への悪印象を払拭しつつ、効果的なアピールが望めるかもしれない。
この日の為にランニングもして体力を程々に付けた。
鍛え上げた怠惰な俺の筋肉よ。
ここで女子を魅了すべく真価を発揮するのだ!
………とはいえ。
懸念が無いわけではない。
家で雫には上手く誤魔化したが、あくまで時間稼ぎ程度にしかならないと思っている。
どうせ、何処からか聞きつけて遅れてでも観戦に来るのだろう。
そうなれば、先日の女子校にて誤って伝播した『雫の恋人』なる設定を想起し、同じ地獄の再演となる可能性大だ。
何より、既にその設定を信じ切っている女子相手には俺の努力も通じない。
この体育祭では、まだ俺を知らない純情な乙女をターゲットにしていく。
さあ、始めようか!!
「いた、大志くーん!」
……今、早速不吉な声がした気がする。
俺の周囲を掻き乱して混乱だけ残していった女子の声がした気がする。
「ははーん。無視は良くないぞー」
「無視してないし? ちょっと聞こえないフリしただけだし?」
「それを無視というんだゾ」
「良い勉強になった」
声の主の女子は、ニヤニヤと笑いながら俺が無視できないよう肩を組んでくる。
俺としては良い思い出が無い相手なので会話を控えたいのだが、捕まってしまっては仕方がない。
合コンの件といい、女子校に潜入した時といい、ほとんど頓挫した原因はこの女の子――相森梅雨さんのせいだ。
今回も初っ端から彼女に遭遇したとなると幸先悪く思えてくる。
「そんな警戒しないでよー」
「してない。身構えてるだけ」
「それを警戒という。テスト出るぞー」
「勉強になった」
根はいい人なのだろう。
だが、やはり前科という物がある。
人と人との信頼は築きにくいが、崩れ去る時は途轍もなく呆気ない。
初対面からずっと散々な目に遭わせてくれた相森さんには、もはや欠片も信頼が無いと言っても過言だ。
「そんなに冷たくされるとショックだなー」
「ご、ごめん」
「大志くんの為に、今日は色々とセッティングしてきたのにさー」
「せってぃんぐ?」
「そう――出会いの場を、ね!」
出会いの場……。
それはまた、体育祭の最中に合コンを開催するという話か?
生憎だが体育祭は体力で女子にアピールするのでコミュ力重視の合コンとは趣旨が違うし、集中できないと思うんだが。
胡散臭い相森さんがちら、と視線を横に投げる。
そちらにせってぃんぐとやらがあるのだろう。
俺もその視線の先を目で追った。
「あー、やっと会えたね!」
「よっすー。クソ暑いねここ」
「おはよう、大志くん」
絶句。
相森さんが見るように促した方向に、見知った女子たちがいた。
まず赤依沙耶香。
合コン以来、連絡先を雫伝てに交換する話で終わって一切の交流が無くなっていたが、つい最近ようやく連絡先が本人の手で届けられて連絡を取るようになった女子だ。
次に雲雀。
まるで部屋着のようなラフな格好で、こちらにゆるゆると手を振っている。
そして最後に――花ちゃん。
久しく見なかった雫の
う、ううん。
赤依さんは長らく連絡先を渡さなかった時点で俺にそんな興味が無い事が割れてるしな。
雲雀はマジで友だちって感じだし。
花ちゃんは最近の出来事で気まずい。
やはり相森梅雨は俺を困らせたいだけに、意図的にこの面子を招集したのだろうか。
「なになに、ご不満?」
「不満って事は無いけど、何でこの三人?」
「ほら、私が余計な事しちゃったせいで赤依ちゃんや瀬良ちゃんとも気まずくなったでしょ」
「なるほど。確かに」
「そんな素直に納得しないでよ」
具体的に沙耶香の件は分かるが、花ちゃんのケースでは相森さんが関与していたかどうかわからないので、正直理解も納得もしていない。
しかし、この三人か。
「大志くん」
「何でしょう」
「もし体育祭で頑張って良い成績を残したら、この三人のいずれかとデートができる権利を与えます」
「今一テンション上がらないな」
「失礼すぎ」
でも、悪くない提案だ。
体育祭で頑張ってアピールすれば、この三人以外にも女子に好印象を与えられるし、加えて三人の誰かとデートの約束を結べる。
俺にデメリットが無い好条件だ。
「つまり、女の子とデートする為に体育祭に集中して頑張れば、この三人の誰かとデートできる上に他の女子にもアピールできるんだな」
「思っても口に出さない方が良いヤツだね」
「よし、俺頑張るぜ!」
取り敢えず、第一種目出場者の案内をしなくてはならないので、まずは仕事をしに行く。
こうなったら、実行委員の仕事も全力で遂行し、全てにおいて女子にカッコよく映えるようにしてやる!
その後ろ姿を見つめながら、三人の女子は胸中で静かに闘志を燃やしていた。
「髪切って、前にも増して明るく見えるね大志くん」
「雲雀さんは知ってた?」
「まーね(相森がまた企んでるから雫の為に一応参加したけど帰りてー)」
赤依沙耶香はそっと拳を握る。
合コン以来、校内で見かけた夜柳雫に話しかけて体調不良で途中退席した大志の連絡先を入手しようと努力した。
だが、何度やっても聞き出せない。
最初は夜柳雫に「忙しいから後で」と適当な理由で断られた。
そして、その後はまるで用意されたかのように友だちや先生からの頼まれごとなどの用事が増えたりして聞き出す暇も無かった。
そこで夜柳雫と交流ある相森梅雨に相談したところ、彼女が大志に気のある女性がいると、周囲を利用して遠ざける事が多いと聞いた。
大志は合コンで出会い、好印象を抱いただけの男子。
間が抜けていて、不思議な性格。
それだけだったが、夜柳雫が執着するとだけあって興味も湧いた。
そして――。
「遠ざけられたら、逆にやる気になっちゃうじゃん」
赤依沙耶香は遠ざかる背中にそう囁いた。
一方で。
その意気込みを挫こうと画策する者が一人いた。
机に立てられた鏡の前に布を敷いており、その上には艶のある黒髪が散乱していた。甘い香りの立つ髪の一房を白い手が掬う。
「これでアイツは私以外に集中できなくなる」
確信めいた言葉を呟いて、嬉しそうに微笑む。
その脳裏に思い描く人間が、自分の姿を見て狼狽える様子が確定した未来だと断定できるのは、長く隣にいた事で彼の習性を理解しているからだった。
これから向かう場所に『敵』は沢山いる。
だが、この行動によってすべてが排除できるのだ。
「さて」
鏡や布などを片付ける。
やや乱れた髪などを丁寧に直し、改めて身嗜みを整えてから準備していた荷物を手にする。
これは何日も前から計画していた事で、今頃は彼に接触する女子たちが躍起になっている頃だろう。
それを――後から全て無意味にする。
「少し楽しくなってきたわね」
妖艶な笑みを浮かべて、彼女は家を出た。
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