四章「これが男の体育祭」

いざ決戦/叩き潰す



「さて、準備は良いな? 野郎ども」


 時は六月中旬。

 あの名前の長い女子校の忌々しい体育祭の記憶が古くなった一週間後の話である。

 俺たちの男子校にも、遂に体育祭の日がやってきた。

 右も左も男子ばかり。

 前も後ろも男子ばかり。

 いないのは上と下だけ。

 憲武がいるのは右だけだ。


 むさ苦しい事この上ないメンバーだが、体育祭とは血躍り肉湧く男の戦だ。

 今日、誰もがこの日の為に練習はしていない。体育祭実行委員の仕事で忙しかった所為もある。

 立候補した時はやる気半々だったが、女子校での出来事を経て満々になった。

 今日はあんな地獄にしない。

 最高の天国みたいな思い出にしてやろうぜ!――という一心で働いた。


「いつでも行けるぜ、大志」


「小野。今日ばかりは俺が目立たせて貰うぞ」


「残念だったな。野郎共の視線を恣にするのはこの僕だぜ、小野」


「なあ、オイラって紅組だっけ? 白組か?」


 皆やる気満々だな。

 開始は一時間後、それまでにクラス内だけでも士気を高めていこうかと思ったが、どうやら要らぬお世話だったようだ。

 後は俺も自分が紅組か白組かを確認して、戦場に臨むとしよう。


「さて、諸君。よく聞け」


「今日の大志、いつも以上にウザいな」


「よく聞け。今回の体育祭は全公開でな。何と関係者以外も立ち入りが許可された」


「危なくねソレ? 不審者とか入って来てたらどうするんだよ」


「そもそも不審者の巣窟みてえな男子校ここの体育祭に誰が来るんだよ」


 そこかしこで疑問の声が上がる。

 そうだな、全体公開はたしかに危うい。

 学校の敷地に外部の人間が自由に出入り可能ともなれば、善からぬ事を考える人間も現れる。

 だが、そんな事は言ってられない!


「だが、コレくらいやらないと女子は入って来ねぇ!! ――と、満場一致で可決された。何なら教師陣営も含めてな。町内会にも許しを得て超瀬町にも一通りビラ配りしたりもしたな」


「教師も飢えてんなぁ。ま、教職って出会い少ないらしいしな」


 そう、体育祭というのは仮の姿。

 その本性はただ女の子に己の勇姿を魅せたい男の独壇場でしかない! 不審者が何人入ろうが、女の子一人の目に留まる事の方が百分の一倍価値がある!

 命懸ける理由になるだろう!

 雫がこれで来なければ、尚の事良し。

 彼女の傍だと、大抵が勘違いしたり呪い殺すレベルで妬んでくるのだ。一体、どこが羨ましいのかは俺にもさっぱりわからないが、見苦しいことこの上ない。

 羨ましくなる要素なんて無いだろうに。

 雫と幼馴染なんて状況は、誰だって簡単に作れる。

 雫の近所に生まれて、仲良くなればいい話なのだ。

 後は適当にしていれば何とかなる。

 なぜ、皆はそうしなかったのだろうか。俺は意図してそうしたワケじゃないが。

 それに俺は幸運ではあるが、絶頂ではないと思っている。

 だって。


「雫以外の可愛い幼馴染がいないしな」


「裁判モノの発言だぞ、それ」


「憲武だって思わないか?」


「何言ってんだ愚か者が! 夜柳さん一人で人生充分だろ普通!! 後は可愛い義妹がいれば文句なんて無ェ!」


 憲武の性癖は歪んでいるな。

 しかも雫一人で充分とか言ってるのに欲をかいて義妹要素を足しやがった。俺なら義姉派なんだけど。

 現実にするには、俺と綺丞を足して三で割ったらそうなるかもしれない。


「今日ばかりは雫も忘れて全力を出すぜ!」


「おまえ全力でやると失敗するんじゃなかったっけ?」


「それはいつもの話だろ? 今日は体育祭っていう特別な日イベントだ。今までと違う」


「そうだな!」


 さあ、開会式はもうすぐだ。

 俺の青春の何ページ目かが、今始まる……!









  ※    ※    ※





「本当にバカね」


 私――夜柳雫は、弁当の準備をしながら独り言つ。

 それは一時間前に意気揚々と学校指定のジャージ姿で外出して行った愚かな幼馴染の事を指した言葉だ。

 おそらく、彼は気付いていない。

 私は今日が男子校の体育祭だと把握している。

 本人は隠しているつもりだろう。

 今日という日まで、一度だって体育祭なんて単語すら口にせず、私に意識させないよう配慮していた。

 てっきり、一日でもう疲れてポロッと吐くとも考えたが、今回は思ったよりも粘り強かった。


「本当にバカ」


 だが、肝心な当日に限って隠す努力が見つからない程に本人は能天気だ。

 そもそも、学校指定のジャージ姿で出ていく段階で察せない者がいるだろうか。加えて、事前に町中でビラ配りしている生徒のボランティアたちも見かけている。

 何処をどう足掻いても気付かないというのが無理な話なのに。

 しかも、昨晩に。


『雫。明日は外出しない方が良いぞ』


『……どうして?』


『俺の大事な日だからだ』


 そんな言葉で人が止まると思うのか。

 概ね私がいなければ、学校を訪れた女性と交流する機会に恵まれるとでもいう浅はかにも程がある楽観的な考え方でもしているのだろう。


『大事な日って?』


『雫には言えない事だ』


『……そういえば大志。体育祭って中旬なのは知ってるけどいつ?』


『えっ、あ? おーん、いつかあるんじゃね?』


『……もしかして、明日?』


『いやいやいや、明日だけは無い。何が何でも明日だけは絶対に無い』


『……そう』


 会話内容も不審である。

 もはや、これも罠ではないかと疑うレベルで挙動不審だった。

 予想外の事態を招くのが大志の常だけど、私を欺けた事は一度もない。むしろ、大志が意図して行った末の結果は、他人どころか彼自身すら想定していない趨勢を辿る。

 ただ、体育祭という今日に固定された行事、それも男子校という開催地まで限定されているのでそこだけは覆らない。

 私が赴いた瞬間に体育祭が終わるなんて事は無いだろう。


 わざわざ他のむしが寄り付く可能性を看過する道理はない。

 必ず摘み取る。

 大志が私の手中を離れるような事態に繋がるなら行かない理由は無い。


『大志、怪我だけはやめて。介抱するのが面倒くさいから』


 それに。



『酷いな。俺は雫が大事だから怪我した時は何があっても助けるぞ』



 あんな事を言われたら、行くしかない。


『……あっそ』


『やれやれ。これがすれ違いってやつか。でも別に良いぞ? 怪我したら他の子に手厚く看病して貰える機会ができるしな!』


『喧嘩売ってるでしょ』


『何処で?』


 ああいう事を言って私の心に火を点けるのだから、私が体育祭に行くのは当然の事となる。

 本当にバカだ。

 わざわざ大志以外の男で埋め尽くされた場所に行くのは嫌気が差す。

 でも、町の動きを見る限りではビラ配りなどの宣伝で注目度が集まっている所為か、訪ねようとする動きがそこかしこで見られた。


 群衆に紛れて、私も大志の魂胆を真正面から叩き潰すことにしよう。


 私以外の女と?

 そんな可能性なんて。



「断じて認めないから」



 準備の完了した弁当の蓋を閉じて、私は先の展開を予想しながら思わず笑った。










  ―おまけ―



 とあるエイプリルフール。

 中学二年生の大志は朝から夜柳家に赴いていた。

 出迎えた両親と挨拶を交わし、彼女の自室へと駆け込む。


「雫!」


「……」


 雫は面倒臭いとばかりに顔を顰めつつ大志を迎えた。


「今日はエイプリルフールだって知ってるか!?」


「それが何?」


「二人で一日面白くて駄目なゲームしようぜ! 交互に何か言い合って、嘘か本当かを見破る」


「……そのゲーム、勝敗とか落とし所はあるの?」


「相手に嘘を信じ込ませたら勝ち!」


「勝者の報酬は?」


「報酬? えー……相手の欲しい物を用意してあげる、とか」


「いいよ」


 思いの外、雫はすぐに勝負に乗る。

 大志は不敵な笑みを浮かべて、雫の参戦を迎えた。

 床に腰を下ろし、正面から向かい合う。


「よし、まず先攻は雫」


「……分かった。それじゃあ」


 雫がすすと床を躄って大志の隣に移動した。

 それから彼の胸に頭を預けるように寄りかかる。



「好き、お願いだから私だけの物でいて」


「ダウト!! ―――げぼぁッ!!!?」


 一発目の回答を聞き、それを嘘と断じた大志の意識は翌朝まで回復する事は無かった。





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