いろはにほへと6
「いやあ、大爆笑だったなっ」
放課後の教室でゲラゲラと大笑する声が響く。
騒々しい事この上ないが、笑っている原因が私にあるのもあって恥ずかしい。
そんなに笑わなくても良いのに。
「忘れて下さい」
「聞けよ、綺丞。いろはってば、黒板消し見て『見た事無い生き物がいりゅ!?』って驚いて腰抜けてたんだぞ」
「うああああああああ!!」
私は思わず机に顔を伏せて羞恥に悶絶する。
そう――あの後に夜の校内で宝探しは実行された。私と小野先輩をペアに、後は矢村先輩とは二手に分かれて宝探しの勝負が始まった。
そこから私の失敗は始まっていた。
実は暗いところが苦手であるとも忘れており、途中から思い出したが(緊張感が無い)小野先輩が隣にいてくれるお蔭で暗闇への恐怖自体は緩和されていたのだが……。
色々な場所を巡り、道中で自分たち以外の足音がしたり、音楽室からピアノの音が聴こえたり、何故かハンカチが独りでに階段をするすると這って下りていくシーンを目撃してしまった。
そんなこんなで、私は些細な事象にすら過敏になっていた。
そして、ある教室に入った時にふと目に入ってしまった黒板消しに――情けない悲鳴を上げながら腰が抜けてしまったのである。
「……大変、だったな」
「矢村先輩? 思っても無い事は口にしなくても結構です。それは慰めじゃなくて追撃ですから」
「そうか」
まるで心底どうでもいいとばかりの顔で同情だけ口にする矢村先輩にカチンと来る。
しかも、腰を抜かした私を背負った小野先輩は結局宝を見つけられず、矢村先輩が勝ってしまうという結果に陥ったのだ。
既に夜間の校内不法侵入の時点でアウトだが、ここまで愚を犯しておいて、最終目標すら達せず敗北に終えた昨日が、何もかも失敗だった日だと記憶に刻まれた。
もう、何ていうか、穴に入りたい。
「あ、そういえば小野先輩」
「ん?」
「帰宅後、夜柳先輩とはどうだったんですか?」
「どうだった、って?」
「いえ、あの」
い、言えない。
あの修羅すら殺せそうな独特な危うさを孕む夜柳先輩の瞳を見た後では、聞くこと自体が危ない気がする。
でも、先輩はこうして生きて学校に来ているということは……それほど酷い仕打ちに遭ってはいないのかな?
「何か、夜柳先輩は怒ってませんでした?」
「ああ、何かずっと不機嫌だったな」
「り、理由とかは?」
「いや、知らない。でも、ああいう時って添い寝すると明日にはケロッとしてるから、一緒に寝たら案の定機嫌治ってたよ」
「……へ、へー」
「ネットに書いてあったけど、添い寝って色々と精神を安定させる効果あるらしいな。今度いろはがまた怒り出したら、二人で添い寝するぜ」
「だだだだだだ誰がするかッ!?」
添い寝なんてしたら、後日私が生きている保証は無い。
いやいや、それよりも。
この人の鈍感さは良いとして、発想が飛躍しすぎていて理解できない。
添い寝すれば機嫌が直る、なんて療法を家族以外、それも年頃の男女で実行する胆力が凄すぎる。
大体、前にもやったという経験談で頭が真っ白になりかけた。
この人、色々と鈍すぎる。
だから、容易く女の子と一緒に寝たり、抱きしめたりするんだ。
ま、まあ、肝心な所に気づかない鈍さの割には、私の些細な変化を見ていてくれたり、心配して介抱してくれたりと配慮が無いわけ、では無い……かな。
じ、実際に添い寝しようとか言われたらどうしよ。こ、断れるかな、別に嫌じゃない、かもしれないけど、倫理的に、公序良俗違反かもしれないし、いやでも――――。
「ま、まあ、色々と困らされた事が多かったけど少し助けられた恩もあるので、別に……したいなら、まあ」
「じゃあ、俺が嫌なら綺丞だな」
は?
「矢村先輩は結構です。何も感じなさそうだけど、普通に男と寝るとか嫌です」
「即答かよ。イケメンだぞ? 俺だったら喜ぶのに」
この人は見境が無いな。
将来だらしない交際関係を結びそうだ。
普段から徹底管理しないと、最悪の未来を引き寄せる事しか予感させない。なるほど夜柳先輩の過保護も納得できる。
夜柳先輩は、幼馴染だからこの人のいい部分も悪い部分も引っくるめて全て知っている。知った上であんなに執着するなんて、きっと悪い部分を帳消しにして余りある何かを小野先輩に見出しているんだ。
きっと、私もまだ知らない何か。
「もう、ああいう催しは懲り懲りですからね」
「だなー。あの後、警備さんに見つかりそうになってフラフラしたもんな!」
「ハラハラではなく?」
「あー、それだよそれ。流石いろは」
「なんで語彙の引き出しがこのレベルで機能しないんですか……これじゃ高校受験も不安になりますよ。私は助けませんけど」
「いや、大丈夫。雫に勉強見て貰うから」
「……ふーん」
「どした? 洟の詰まり具合の確認?」
「下品! 最低!」
こういう品のない部分も含めて、それでも夜柳先輩は小野先輩が好き……なんだろうな。
本当に仲が良いんだ、この幼馴染。
もう男女の関係と断言しても良いくらいの親密さだ。世の幼馴染だって、現実ではここまで密接に繋がることなんて無い。
二人だからこその空気、触れ合い。
人間関係が自由奔放な割に、もう既に間に入れないくらいの絆はあるって、何か――卑怯だな。
「大志」
「お、雫。何か用か?」
私たちだけの教室に凜とした空気を纏って夜柳先輩が現れる。
立ち居姿の美しさたるや、三人だけの少し寂しかった空間が登場だけで華やぐのは天賦の物としか言いようが無い。
小野先輩も嬉しそうな笑顔だ。
私の時は……どうだっただろう。
「放課後に模試の復習する話をしたでしょ」
「え。どうせ結果で返って来るんだから答え合わせは――」
「そんなの悠長に待っていたら不合格間違いないわね」
「もしかして……焦ってるのか、雫」
「これが普通。アンタが呑気なだけ」
「今日なんか口悪くない? 良いことあった?」
受験期でもマイペースな小野先輩の隣に無言で座ると、そそくさとその場で勉強の準備をしている。
マイペースなのは、どちらだろうか。
まだやる気が出ないと余計な事を言う小野先輩の発言どころか、彼と談笑していた私たちまで無視して指導を開始した。
渋々と自分もペンとノートを取り出す小野先輩は、ちらりと私たちの方を見た。
「ふたりはどうする?」
やはり、人の事をよく見ているのかもしれない。私たちが置いてきぼりなのを敏感に察知していたようだ。
自分の事はかなり疎かなのに。
「わ、私は……帰ります」
「………」
矢村先輩が黙ってカバンを手に立ち上がったのは、恐らく帰るという意思表示だろう。
「そっか。じゃあ、俺も帰――」
「死にたいの?」
「生きたいよ」
「じゃあ座れば?」
「はーい」
……………本当に仲が良いようで。
教室に居残り、傍から見たらイチャイチャしているようにしか見えない二人から逃げるように私は教室を出た。
私の早足と長身の矢村先輩の歩調が絶妙に噛み合ってしまっているのか、距離が一向に開かない。
何だか気まずい。
「如月」
「はい?」
滅多に声を発さないどころか、初めて名前を呼ばれた。
思わず驚いてしまった。
「……間に入るのは難しいけど、臆していたら何も始まらないぞ」
その言葉に、何故かどきりとした。
私の何を指摘したのかは分からない。
ただ、この胸に下りた冷たい動揺はそれが図星であり、私の足を急がせる気持ちの正体だと察せられる。
もどかしい。
早く分かれば良いのに。
あれもこれも全部、小野先輩みたいに単純だったらなぁ。
その頃、雫と大志は――。
「なあ、雫。勉強しないのか?」
「ん?」
何故か頻りに消臭スプレーを吹きかけて来る雫に、大志は勉強に手が付かない程の疑問を抱かされる事になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます