いろはにほへと5



 立ち塞がる三人は、私には見慣れた面子だ。

 見事に制服を着崩した姿は、校則違反ギリギリを重ねに重ねた所為で、毎回注意という程度で済ませているが、そろそろ罰則も考え始めている対象になっている。

 まあ、小野先輩の問題行動ほどではない。

 先輩は身なりに関して、校則違反は何もしていないので単なる素行不良である。……いや、単なるじゃないか、大問題だ。


「いろは、知り合い?」


「はい。よく風紀を乱す格好をしているので注意している相手です」


「へえ、カッコいいのに?」


 同調しないで下さい。

 彼女らが調子に乗るじゃないですか。


「噂通り、アンタらって付き合ってたの?」


 は?

 その一言に私は凍りついた。

 付き合う……交際関係……私が小野先輩と?

 そんな恐ろしいことがあってたまるか。

 毎日頭痛の種になっている男と交際なんてしたら、この前倒れた事以上の災いばかりじゃないか。想像するだけでも空恐ろしい。

 ニヤニヤする眼の前の三人ですら、私にとっては大志先輩と同種なので、今もかなり頭を抱えたくなる状況ではある。


「違います」


「ああ、勝手に俺がいろはの巡回に付き合ってるだけだ。……もしかして、一緒に来たい?」


「はあ? なに勘違いしてんの。アンタらお似合いのゴミカップルを見たから少し声かけただけだし」


「可愛い子とお似合いならゴミでも良いや、俺」


「先輩っ!?」


 か、カップルでもいい!?

 おおおおお断りです!

 動揺しそうになる私の横でのほほんとしている先輩を見て、真面目に受け取るべきではないと直ぐに自分の制御を取り戻す。

 取り乱してはいけない。

 今はそんな事より、彼女たちのことだ。

 小野先輩だけこの事態を理解していない。

 どこから交際しているという噂が出たかは知らないが、出所の意図は概ね私を快く思わない連中だ。

 私が厳しく取り締まり、抑圧されてストレスを感じている者が私の最近の行動から誂うネタとして作ったのだろう。

 そして、彼女らはそれを利用して直接イジりに来たというワケだ。

 読みやすくて何とも浅ましい。

 遠巻きに陰口でも叩いて楽しんでいればいいものを。わざわざ直接言いに来た辺りが、普段の鬱憤を晴らしたいという魂胆が見え透いている。

 浅はかと言うか、何と言うか。

 規律を乱して威張っている人間は、自己中で誰かの尊厳は容易く踏み躙るくせして一丁前に自尊心は持ち合わせている。

 学校の規則に則った私の言い分に文句があるのなら、学校側を訴えるべきだ。

 私に一切の非は無い。


「先輩。彼女らは私たちをからかいたいだけですよ」


「え。誂うって、俺たち仲良かったっけ。俺といろはなら納得だけど、ただの他人じゃなかったか?」


 この人、こんな無邪気な顔で何処からそんな人によってはグサリと心が痛くなりそうな言葉が出てくるのだろうか。

 さしもの彼女らも面食らって固まっている。

 彼女らは甘い。

 私がどれだけ注意しても省みず、能天気で歩く災厄のような男がちょっとした悪意に挫けたり取り乱す筈が無いのだ。


「じゃあ、今から友だちって事で。俺も君らを誂うとしよう」


「は?」


 小野先輩はわざとらしく咳払いして。



「おいおい、君たち。そんな風紀を乱すような格好をして、また注意されに来たのか。素行の悪さで目をつけられてるのに、よく堂々と胸を張っていろはの前に現れたな」



 その言葉に三人は固まった。

 一方で、私はため息しか出ない。


「先輩、それブーメランです。自傷行為です」


「え、俺は見た目大丈夫だろ」


「行いにおいて彼女たち以上です」


「胸は張ってない。背筋伸ばして歩いてるだけだろ」


「それ同じですから」


 彼女たちよりも先輩の方が厄介だ。

 ただ、幸いにも先輩という上位の厄介者の威力により相手は完全に翻弄されている。

 この時ばかりは、同情しよう。

 真面目に付き合う事自体が間違いだという、もう関わらない事こそ吉とされた悲しい存在なのだ。


「はっ、バカにすんなよ。あの調子に乗ってる夜柳が幼馴染だからって、偉くなったつもりかよ」


「雫? まあ、見た目も生活も絶好調だよな。あんな超人は滅多にいないと思う」


「違うっての。お前も、夜柳も、そこのクソ風紀委員も気に入らないっつってんの!」


 やれやれ、今度は夜柳元生徒会長にまで当たり散らかしている。

 いよいよ見境無くなってきた。


「仕方ないよ。人間色んなヤツいるから……大人になれないぞ」


「はっ。お前は夜柳と交際してる説あったけど、お前がそんな調子なら、夜柳も何処かで男作ってヤりまくってんでしょ。とんだビッ―――」


 小野先輩が抜けているのは分かるが、流石にあの夜柳先輩への風評被害は看過できない。

 関係ない人間まで誹り始めた彼女たちを止めるべく口を開こうとして――隣から感じた威圧感に、私は止まってしまった。



「おい。俺の悪口なら良いが、雫の悪口は許さねえぞ」



 いつもからは想像し難い低い声だった。

 野暮ったい眼鏡を外した彼の鋭い眼光に、三人も思わず身を竦ませてている。

 え、こんな人だったっけ。

 誰かの為に、本気で怒れるんだ……。というか、夜柳先輩の為ならそんな顔できるんだ。へー、ふーん。


「や、な、何ムキになってんの? バカじゃない?」


 どうにか調子を戻そうとする相手に、小野先輩が「は?」とまた威圧的な声を漏らす。

 思わず隣にいる私でさえぶるりと体が震えた。


「付き合う前からそんな事言われたら雫に恋人できないだろうが。幼馴染がそんな風に言われて怒らねえヤツいるか? いるかもしれないけど」


「……………ん? あ、そっちか」


「そっちって何だよ。それしかねぇだろ、大体……あ」


 てっきり好きな女の子を貶されて怒っているのかと思ったら違った。

 暫く怒っていた小野先輩だが、はたと何かに気付いたように動きを止めた。

 先輩の視線は、彼女たち――というより、その向こう側に向いている。


 その先を私も目で追って。



「ねえ、大志。最近、如月さんと交際してるって噂、本当?」



 彼女たちの背後に、幽鬼のごとく佇む夜柳先輩の圧倒的な迫力に私は膝が震えた。

 声で気づいた彼女らも、後ろを振り返るや悲鳴を上げて逃げた。

 隣を過ぎて去っていく三人に、だが私は意識を向けられない。

 え、何か、睨まれてない?

 声は小野先輩に尋ねてるけど、目はがっちり私を捉えている。


「そうだな(噂だと)」


「……私の許しも無しに?」


「え、個人の自由じゃね(噂だし)」


「大志。今晩……少し準備があるから、ゆっくり帰って来て」


「え? うん、分かった」


 何故かそのままにしてはいけない雰囲気で立ち去っていく夜柳先輩に、小野先輩が能天気に手を振って見送っている。

 こ、この人……帰ったら命があるのだろうか。

 あんな夜柳先輩を初めて見たけど、取り敢えず小野先輩が明日生きているか分からない。

 なら、せめて最期に夜の学校を徘徊するくらい許してやろう……(苦渋の決断)!

 それにしても。


「先輩、ごめんなさい」


「何が?」


「私に対する恨みなのに、先輩まで巻き込んでしまって」


「気にするなよ。いつも遊んで貰ってる礼だ」


「先輩は気にして下さい、主に学校生活面で私に注意されている事を。何なら今晩命の心配をして下さい」


「大丈夫だって。いろはもいるんだし、夜はそんな危険なことしないぞ」


 もうダメだ、この人。

 私が直接家まで行って説得した方が命を救え――そこまで考えて、私を昏い瞳で見つめる夜柳先輩の顔が脳裏を過ぎって思わず身震いした。

 恐らく勘違いが加速するか、最悪は私も殺されるかもしれない。

 あの人はただの幼馴染と言っていたけど、本当にそういう仲なのだろうか。


「取り敢えず、早く巡回終わらせたらボーリング行って、それから夜の学校スタートだな」


「……いつも厳しく注意して来たり、怒鳴ったりする私と交際関係だとか噂立てられて、それをネタに誂われたりしているのに。よくそんな嫌いになってもおかしくない相手と夜まで遊べますね」


「え?」


 きょとんとした顔で小野先輩が固まる。



「いろはのことは普通に好きだぞ?」



 ……………この人、きっとこういう事を素で言えるから夜柳先輩があんな風になるんだろうな。

 彼女にそこまで踏み込めるのは、これくらい無神経な人間しかいない。偶然にも歯車が合って、彼女はあんな反応を起こしてしまったのだ。

 まあ、いい意味でも悪い意味でも素直。

 本当に自由奔放な人だ。











 〜おまけ〜



 近頃、奇妙な噂が流れていた。

 堅物とされる風紀委員の如月いろはと小野大志が交際している――そんな荒唐無稽な話が、学内に隠然と伝わる事態に何も思わなかったわけではない。

 噂、たかが噂。

 だが、話題にされた時点で不快だ。

 あれだけ牽制の網を張り巡らせたのに、人間の好奇心とは下らなくも思いもよらない部分から人の細心の注意すら躱してしまう。


 私――夜柳雫は、夕飯の時にそれとなく聞いていた。

 噂される本人である幼馴染に。


「ねえ、大志」


「食事中は一言も交わさず至高神様? にお祈りを捧げながら食べなきゃいけないんだろ?」


「また何処の文化に感化されたのよ」


「帰り道で護符配ってるお婆さんがいてさ、その人が言ってた」


 目を離すと直ぐ変な影響を受けて帰って来る。

 無垢と言えるかは微妙、というか違うのだろう。だが、本人の警戒心が皆無なせいで常に何色にも染まりやすい厄介な精神状態である。

 それなのに挫けないところが腹立つ。

 だから、考えを改めるよう催促しても全く通じない部分があって非常に手がかかるのだ。


「我が家にそんな慣習は無いから」


「喋っても良いの?」


「少なくとも、至高神様とかじゃなく私だけ信じていればいいのよ」


「いや、雫なんて信用ならないだろ。学校で雫の笑顔を見る度にこっちは鳥肌立ってるんだぜ? あはははははは」


「明日からのご飯は要らないんだ?」


「え? 雫の飯? ……食えないのは人生の六割損するけど、まあ残りの四割でどうにか楽しんでくわ。今までありがとな」


 何故あっさりしているのだろう。

 殺したい程に清々しい。

 縋り付いてでも止めたくはないのだろうか。そこまで……私のご飯には価値が無い?


「どうしても嫌なら作ってあげるけど」


「いや、六割だからなぁ。どうしてもってくらいかと言われると微妙で悩みどころなんだよ」


「じゃあ、無い生活と有る生活……どっちが良い?」


「有った方が良いよな」


「なら」


「でも、頃合いかもな。自分で飯を作った方が迷惑にならないって上村くん(註:クラスメイト)にも言われたし」


「―――――」


 なるほど、上村……確か上村陽介だったか。

 取り敢えず、悪影響なのは確かなので後で処理しておこう。

 それにしても、私のご飯って有っても無くても困らないレベルか。

 そっか。

 それ、私は何のためにやってきたんだろう。


「大志」


「ん?」


「迷惑だった?」


「何が?」


「ご飯作ったり、身の回りの世話したり、勉強しろって注意したり……鬱陶しかった?」


「いや? 全部俺の事を考えてやってたんだろ。嬉しいし、一生一緒に居たいレベルだぞ」


 ……突き放しているのか、好きなのか前後の態度では全然分からない。

 私が鬱陶しいというのなら、素直に如月いろはとの交際も認めて離れるけど……いや、まだ噂だから真偽は分からない。


「そんな性格だと恋人も無理そうね」


「いま受験期だぜ? 恋愛とか無理だって。よほど近くに俺好みの美人で一生一緒に居たいって思えるような人がいない限り」


「……? ……?? ……!?」


 え、いるよね。

 さっきの言葉と合わせても、条件に該当するよね?

 遠回しに口説いて、いや、それは無い。

 無自覚なのか、無自覚に私に恋している?自意識過剰みたいな事を脳内で口走ってるけど、私で間違いないよね。

 これは――。



「私、とかどう?」



 勇気を出して、尋ねる。

 心臓がうるさい。

 大志を見ながら口にし、羞恥心で顔が熱くなるのが分かる。


「いや、もう十年も面倒見て貰ったから他の人に遠慮するわ」


 ………………………………は?

 は?

 は?

 遠慮?

 他の人に?


 虫唾の走る回答に、思わず手中の箸を握り潰してしまった。

 それを見た鈍感なアホは「おお、雫の握力すげーゴリラかよ」とかほざいているが、もうそんなのどうでもいい。

 私への好意へは無自覚、他人に譲れる程度には満喫していて余裕がある、と。

 ならば、ならばだ。

 私以外の他人がいない環境下に追いやって、その上で私を譲れるのか楽しみだ。

 まずは上村陽介を排除し、その後に如月いろはとの交際の噂の真偽を確かめて、動くとしよう。


 まあ、その前に。


「大志」


「ん? 何だ?」


「私はアンタを必ず落とすから」


「え、何処に?」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る