閑話休題!!
番外編「帰省」1
高校一年生の夏休みだ。
私――夜柳雫は大志と少しだけ遠出をする事になった。
それは忙しい両親に代わって実家に帰るのだが、本来なら私だけで行く筈の予定なのに大志が同伴している。
彼曰く『面白そうだから』。
何ともはた迷惑な理由である。
確かに、帰省中に大志を一人にしておく事も不安要素だが、実家で何かを仕出かさないかも不安になった。
私の祖母はとても厳しい人だ。
祖父は大志に少し似て穏やかで抜けている部分がある人であり、よく怒られている。
そんな所に大志を放り込んでも悪い予感しかしない。
「雫の祖母ちゃんか。どんな人だろ?」
「私の何倍も厳しい人よ」
「雫に似て美人なのかな。いや、雫が老けたバージョンみたいな可能性もある」
能天気な態度がいつまで保つのか。
あの祖母を前にして、いつもの調子でいられるか逆に楽しみですらある。
ここで乗り切ったのなら、なるほど私は大志への評価を上方修正しなくてはならない。
とうとう実家の前に辿り着く。
和風建築の家には、表札で夜柳と刻まれている。
事前に連絡した通りの時間だし、差し入れも持ってきた。私の不備は無いが、後は大志が何もしないでおけば――。
「インターホン、ポチッと」
『はい、どちら様?』
「どうも! 夜柳雫さんのお隣の小野大志って言います。遊びに来ましたー」
やってくれたな、コイツ。
油断も隙もないじゃないか。
私が隣で戦々恐々としていると、玄関の方から足音が聞こえてくる。硝子障子の向こう側に人影がぼんやりと浮かび上がった。
輪郭的にも、祖母なのは間違いない。
「大志、失礼の無いようにね」
「おうよ!」
ニヤニヤと笑う大志の顔が腹立つ。
ちゃんと分かってるの?
「――こんにちは。遠路遥々よく来たわね」
玄関に立つ和装美人に私は息を呑む。
親戚だというのに、緊張感を催す独特の雰囲気が祖母――
正直に言って、私は祖母が苦手だ。
同族嫌悪されている、ような感じがする。そのため、あまりよくして貰ったことがない。
「こんにちは! 小野大志です!」
「夜柳陽咲です。雫がいつもお世話になっているようで」
「え? いつも世話されてるの俺ですけどね、あはははは!! 雫のお祖母さん冗談が上手いですね!」
だから、何でコイツはそのままでいけるんだろうか。
少しは人見知りする性格でも良いのに。
そしたら、私が家の中に……いや、祖母の前で余計な思考は止そう。
あの腹の底まで見え透いたような眼差しの前では、微かな感情の波も読み取られてしまう。
それにしても、憚らない大志の態度を見ても祖母が顔を顰める様子がない。
平静を崩さず、嫋やかな一礼からは一切の動揺すら見えない。
いや、何処か楽しんでいるような気もする。
ちら、と祖母の瞳がこちらを向いた。
ぐ、と思わず腿の横に垂らしていた拳を握り込む。
「た、ただいま」
「おかえり。――さ、大志くんも上がりなさい。超瀬と比べてもここは暑いでしょう」
「おお、和風の家っていい匂いする!」
私への挨拶はとても味気ない。
大志を家の中へと促し始めたので、私も後に続いた。
いつもはウザいのに、こういう時に限って役立つ大志の距離感の無さに内心では腹が立っている。
「おー、これが居間か!」
私たちは居間へと通された。
変わらない内装にも、やはり安心感は無い。
ここで祖母の説教を、あの目を受けた時の記憶があって苦手意識が強かった。
「雫」
どきり、と心臓が跳ねる。
私が振り返ると、祖母の何の感情もない瞳が私を見ている。
「郁斗さん、呼んできて。多分、自室にいると思うから」
「分かった」
私は祖母の指示に従いながらも、ここへ大志一人を残して置く事に一抹の不安を覚える。
大志に粗相の無いようにと注意して守られた事が一度として無かった。祖母を怒らせたら、もうこの帰省は地獄でしかなくなる。
重い足取りで私は祖父――
祖母と違って、祖父は苦手ではない。
むしろ、その性格面に呆れてはしまうが私が帰省する事を断固として拒否しないのは彼の存在があるからだろう。
私は庭に面した縁側を歩いていく。
花で彩られ、整えられた庭の景観はきっと祖母が手入れをしているのだろう。
燦々と庭に注がれる日差しで、鑑賞用の小池の水面が輝いている。その中で魚が尾で水をはたく度に、きらりとその鱗と水が光を反射した。
「……いた、お祖父ちゃん」
「ん? おー、雫や。来とったのか、陽咲は夏休みに来るって言ってたが」
「今が夏休みだよ」
「へー」
縁側で猫と戯れている老人がいた。
それこそ私の祖父である。
膝の上の猫を撫でようとしているが、何度も猫パンチで手をはたき落とされている。彼を傘にするようにその日陰に入って二匹が休み、足下では服の裾や足を何匹にも噛まれていた。
うわ……好かれていない。
完全に祖父の一方通行だ。
「ふほほ。可愛いな、お前たちは」
「お祖父ちゃん、血が出てるよ。痛くないの?」
「大丈夫、その内に痛くなくなるって」
「それは末期だから」
私が手を叩くと、猫たちがこちらへ寄ってくる。
膝に乗られないように屈むだけで、一匹ずつ撫でて相手をしながら祖父から遠ざける。肝心の本人は寂しそうにこちらを見ているが、足をそんな血塗れにされて放置はできない。
「それにしても雫、大きくなったなぁ」
「……あまり身長伸びてほしくないんだけどね」
「そうか? 顔立ちといい、綺麗な髪といい、ワシは昔の陽咲を思い出すよ」
「……そんなに似てる?」
「似てるぞ。そこの猫たちくらいに」
「ごめん。意味わからない」
愉快げに笑って祖父が立ち上がる。
呆れながらも、私は記憶を頼りにすぐ近くの部屋の箪笥に収納されている救急箱の中の物ですぐに祖父の足を手当した。
大人しくしている祖父の様子も、私からすれば大志にそっくりな感じがするけれど。
「お祖父ちゃん。今日は私の友だちが一緒に来てるの」
「友だち? 男の子? 女の子?」
「男の子。小野大志って、小さい頃からずっと一緒」
「そうかい。んじゃ、きっといい子なんだろうな。雫はちと気難しい子だから、一緒にいられる人はそうそういないしな」
「お祖父ちゃん、もしかして私嫌い?」
「大好きだぞ、世界で一番。二番目は息子、陽咲は三番目かな」
「お祖母ちゃん大切にしなよ」
前にも私の前で祖母が三番目に好きと言って、一日中祖母に冷たくされていたのをもう忘れたのだろうか。
「大切だぞ、世界で三番目に」
「怒られても知らないから。その性格でよく浮気とかしなかったね」
「しないっての。こんなワシに結婚しようなんて陽咲くらいしか言ってくれなかったし。ワシは人生で結局、陽咲以外の素敵な女性を見つけられなかったからなぁ」
「……その台詞、本人の前でもう一度言ってあげてね」
「今何か言ったっけ?」
もうダメだ、この人。
とりあえず、私は要件を済ませることにした。
「お祖母ちゃんが呼んでたから、早く行こ?」
「じゃあ、陽咲にはこっちに来てって伝えてくれ。足が痛い」
「はい、行きますよ」
私はぐいぐいと祖父を引っ張っていった。
※ ※ ※
暫く待つように言われたが、何か始まるのか?
俺――小野大志は雫の元締めみたいな人の家に来ている。
「陽咲さん、雫のお祖父さんって何処にいるんですか?」
「あの人なら、またどうせ縁側で見も知らぬ野良猫の相手でもしてるんでしょう」
「俺も猫好きですよ!血が出るくらい噛んでくる時あるけど!」
「よく来るから、後で見てみると良いわ」
「陽咲さんって、猫じゃなくて犬派って感じがしますけど、アタリ?」
「よく分かりますね」
「何となく雫に似てる感じがするので」
「……………そうかしらね」
雫のお祖母さん――陽咲さんが遠い目をする。
そういう所が本当に似ている。
俺が何かを仕出かすと、よく同じような顔をするのだ。
「あの子が私をどう思ってるか、聞いた事がありますか?」
「苦手だって言ってましたよ」
「そう。あの子、私に似てると言っていたけど……友人はいるの?」
「いますよ、アイツ人気ですから。……でも、俺の世話ばっかりして友だちと放課後に遊ぶというのは滅多に無いですね」
「そう、似てしまったのね」
似ると何か悪いことでもあるのか。
暴力的だったり、可愛いくらいは愛嬌だと思っている。
この祖母と孫、面倒くさいな。
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