本物の天国と地獄に似た天国



 聖志女子高等学校は、施設的にも俺の男子校より遥かに綺麗だった。

 俺は唖然としながら設備を見回す。

 これが学校だと!?

 ここが学校なら、俺は毎日楽しく通学する。

 いつも憂鬱にハッピーな気分で登校している俺の日常がバカらしく思えてしまう程だ。去年は恋人作りだとかそもそも雫の学校自体に興味が無くて来なかったが、何て愚かだったのだろう。


「憲武。こ、これは……!」


「ああ。俺も去年侵入しようとしてここの教員に叩き出されて以来、夢に見ていた光景だ」


 相森さんの隣を歩きながら俺は周囲を見渡して確信した。

 凄い……女の子ばかりだ!

 三百四十度、女の子。

 残り二十は憲武と綺丞。

 素晴らしい、憲武を除けば視界がクリアだ。空気が澄み渡っていて、呼吸すると肺が歓喜に打ち震えている。

 ここだけ異世界なのではないだろうか。


「どう? 我が学舎は」


「控え目に言って興奮してる」


 体育祭は、後は開会式前とあって校庭が賑わっているが、俺たちは校舎内を歩き回っている。

 何やら相森さんが見せたい物があるとか。

 憲武は乗り気で、綺丞は嬉々として案内する扇っちの後ろを渋々と歩いている。


「大志、すげー! 女の子の匂いがするぞ!」


「匂い!? どんなのだ」


「分かるだろ、普通!」


「日頃から雫の匂いしか嗅いだこと無いからわからん!」


「死ね!」


 せっかく人が共感の為に頑張ろうとしたのに突き放しやがって。

 ケラケラと笑う相森さんも何が楽しいのだろう。この前の合コンといい、つくづく正体というか本性の分からない女性だ。

 これから見せたいという物だって、正直ロクな物じゃないと期待している。

 本当に何処へ行く気だ。


「本当に女子しかいないんだな」


「女子校だもん」


「いや、耳にはしてたけど全員女子っていうのが信じられなくて」


「君の所だって男子校で男子しかいないじゃん」


「たしかに」


 雫や雲雀、梓ちゃんなどはこんな学校で日常を過ごしている。

 小中学校での雫を見て来たが、このニ年間で成長もあるだろう。家の中での様子は変わりないが、雫だって一人前の乙女だ。きっと俺の知らない変化をしているに違いない。

 雫なら俺の男子校での生活も把握していそうだが。

 女子校は、噂に違わぬ花の園。

 入る前から続いていた興奮で間隔が麻痺していたが、よくよく自分たちを客観視すると慣れ親しんだ故郷に帰って来たような場違い感が半端ない。

 そこかしこに満ちる女子の楽しげに弾けた声や、常に華やいでいるような空気は男子校には無い風情だ。

 ただ、女子の匂いとやらが本気で分からん。


「相森さん、女子の匂いって何?」


「えー、女子にそれ訊く?」


「訊いたらダメなのか?」


「雫ちゃんに教えて貰って。私が教えたとか言ったら、次は本気で殺られそうだし」


「そうだな。雫なら教えてくれそうだ」


 後に同じ質問をして返って来るのが固い本の角による打撃である事を、この時の俺はまだ知らない。


「お、ここだ!」


 相森さんの向かった先は生徒会室だった。

 え、生徒会?

 生憎と生徒会長とのいざこざがあったので、良い思い出も悪い思い出もあまり無い。

 気が進まないのだが……。

 それに、生徒会となると雫がいるのではないだろうか。体育祭でもきっと、彼女は仕事をしているかもしれない。

 雫にバレないよう来たのに、始まる前から出会うのは流石にまずい。


「なんで生徒会室?」


「私が生徒会役員だからだよー」


「へー。副会長?」


「できる庶務なんだよねー」


 相森さんのような人間が庶務なのか。

 俺の高校の生徒会長よりも会長職が適任のように思える。点数勝負の後、赤点の補習で忙しいのかぱったり姿を見せなくなった彼の事が少し懐かしく思えてきた。

 マジで何で生徒会長してんだろう。


「俺でも生徒会って入れるのかな」


「頑張ろうねー。よし、入るよ」


「え゛っ」


 相森さんは臆する事無く扉を開けて中へ入る。


「ごめーん、遅れた!」


 気楽な声を室内に響かせる彼女に続き、俺も入る。一人だと怖いので背後で気後れしている憲武を引っ張り込んだ。

 どうか雫が居ませんように。

 切に願いながら入室した俺は、そこで願いの儚さを知る。



「……………大志?」



 引っ張り込んだ先は地獄でした。

 ポニーテールに体操着姿で椅子に座っている幼馴染がいました。艶めかしい太腿と二の腕と首筋と、あとは何処かが晒されていたので思わずガン見してしまう。

 家でよく見ている手足だ。

 そう思うと凄く感慨深い。何が?


「よう、雫」


「……一応、訊いておく。――何しに来たの?」


 何やら背後に修羅の幻覚が見える柔和な笑みを浮かべた雫。

 おお、体育祭前とあって相当に闘志を燃やしているようだ。雫が本気を出せば人間なんて紙細工同然に蹴散らせる。

 これなら心配無用。

 雫に応援なんて要らないだろうし、心置きなく恋人作りに精を出せるというものだ。俺の為にそこまで本気を出してくれるなんて、良い幼馴染を持ったぜ。

 怒られると思ってびくびくしていた自分が情けなく思えてきた。


「雫の応援が六割。出会いを求めてが四割」


「その六割に全力を注げないなら帰って」


「雫の応援に全力を費やすのは勿体無いだろ。折角の女子校ならやれる事は全部やりたい」


 雫の冷たい眼差しに、この熱い志を告げる。

 すると、雫に手招きされた。

 最近、これをやって近くに行った後にロクな目に遭った覚えが無いと思うけど、今回は違うかもしれない。

 俺が傍に立つと、俺の手を取って自分の頬へと導く。

 白く柔らかい肌が掌にすり寄り、その感触に何故か背筋がぶるりと震えた。


「大志」


「ん?」


 甘えるような猫撫で声である。

 後ろで憲武が鼻血を吹いて蹌踉めき、綺丞が扇っちを連れて生徒会室から出るや扉を閉めたのが分かった。

 鼓膜に心地よく響く声に、俺は思わず顔を顰めてしまう。


「私、いま少し落ち込んでて……体育祭で頑張れそうな気がしないの。……応援してくれたら、頑張れるかも」


 真正面から見た雫の瞳は潤んでいた。

 弱々しくも希う眼差しは、きっと見る人間にとっては何でも叶えてやりたくなってしまう魔力を秘めている。

 俺だって、もし生まれる前の無垢な胎児だった頃ならば雫のこの目に惑わされてしまっていただろう。

 だが。


「いや、それは嘘だろ。相変わらず分かりやすいな雫は」


「……ちっ」


 舌打ちした、やっぱり。

 俺に雫の嘘が見抜けないと思ったか!?

 いつも何を考えているかは不明だが、真偽についてはハッキリ分かる。

 だから、この前教えて貰ったレタスとキャベツの見分け方が嘘だってのも知ってるんだぜ。


「大志が応援してくれなきゃ嫌だ」


「六割頑張るって」


「大志が体育祭に来てくれたから、私は精一杯頑張るつもり。……大志は、応援してくれないの?」


「いや、俺が来てなくても全力で頑張れよ。体育祭は皆で作るんだぞ」


「………………………………………」


「小野くーん、乙女心を読んであげなって」


 拗ねたのか、雫は顔を背けてしまう。

 乙女心の読み方なら俺は理解したことが一度たりとも無いのだが、努力を諦めた事は一度や二度しか無い。

 特に雫は家族である。

 理解しようと根気強く接して来た。

 雫が今して欲しい事が乙女心なる欲求を満たす事になるのかはわからないが。


「じゃあ、雫が出る競技の間だけ全力で応援するから。女の子と遊んでも良い?」


「条件がある」


「何?」


「その時、必ず私を同伴させること」


 えっ、女の子と遊ぶのにずっと雫を傍に置いていなくてはいけないのか。

 それは疲れた雫を連れ回す事と同じなので気が引けるのだが。第一、相手の目には親同伴でしか女の子を誘う度胸が無い男みたいに映らないか不安だ。

 ナンパの成功率が下がりそうな状況は避けたい。

 ただ、ここで雫の同伴を認めないと一体どんな横槍が入るか分からないのも事実だ。


「雫がそれで良いなら。俺の恋人作りも手伝ってくれよ」


「小野くん、墓穴を全力で掘るねー」


 墓穴は掘っていないが、未来は切り開いてる。

 だよな、雫?



「そうね。――になるわ」



 雫も同意したようなので、全力で頑張ることにしよう。






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