風邪引いちった/一先ずの決着
今日、体が凄くダルい。
そうなった理由に思い当たる節が無いし、昨日の風呂上がりに髪を拭かずに眠気に身を委ねて寝ただけなのに酷く衰弱した自分の惨状に思わず笑ってしまう。
何故か、今日はアラーム音で起きなかった。
そもそも時計が無かった。
カーテンの隙間から室内に注がれる斜光の色合いから朝なのは察せる。
だが肝心の時間が知りたい。
枕元のスマホで時間を確認した。
時刻は――九時十分。
もう遅刻じゃねえか。
静かな朝と遅刻している事実に驚きながら、起き上がる事もできずぼーっとしていると部屋の扉が開く。
「朝ごはん、持ってきたけど」
「……しずく」
「起き上がれる?」
「……雫も今起きたんだな」
「バカじゃないの?」
朝から冷たく柔らかい言葉をかけてくれる雫は、ベッドのサイドテーブルにお粥らしき物を置くと、すぐ傍に椅子を置いて腰を下ろす。
白い手が俺の首筋に触れた。
あ、ひんやりして気持ちいい。
雫の手にすり寄ると、首筋から顔へと移動した手が愛おしそうに俺の鼻筋を撫でる。
「やっぱり熱い。……お粥、食べられる?」
「雫、遅刻じゃない、のか?」
「アンタが中々起きて来ないから様子を見に来たけど、風邪を引いてるって分かったから看病の為に学校に休みの連絡入れたの」
雫がお粥を匙で掬って俺の口元に運ぶ。
食欲はある。
吐きそうだが食べたい。
それを察したように、お粥を元に戻した雫が薬と水入りのコップを差し出して来た。いや、吐いてでもお粥が食べたいのに。
渋々と俺は薬を飲む。
それからやんわりと彼女によって押されてベッドの上で再び横になった。
まさか、俺の介護の為に学校を休むなんて、つくづく最高な幼馴染を持ったものだ。
雫のような人がいるなら、もう人生高望みなんてしない。これから一週間だけいい子に過ごして恩返しするのだ。
「雫、ごめんな」
「風邪で弱ると案外イライラしない性格なるから別に苦痛じゃない」
「いつもイライラしてんの?」
「させられてる」
「はは……こんな時まで冗談言ってまで笑わせてくれるなんて、良い幼馴染持ったなぁ」
「ごめんそれ以上喋らないで殺しそうだから」
スプーンを振り上げ、その手をもう片手で掴んで止める雫の姿に俺は小首を傾げた。
表情は無いが、手元はなにかに堪えるように微かに震えている。
大丈夫か?
まさか、雫も風邪である事を隠して自分より重症の俺の面倒を見てるんじゃないのか。
昔だって、雫が怪我した時に俺がそれを指摘したら鮮やかな右フックで誤魔化そうとするほどに、俺に心配かけまいとする。
俺だって、支えられるのなら雫の事を支えたい。
「雫も具合が悪いなら俺の事は放っておいていいぞ」
「却下。それだと知らない内に死んでそうだし」
そんなに貧弱かな俺。
確かに雫が目を離した途端に自転車に轢かれて入院一ヶ月はしたことあるけど、そこまで心配されるほど
あの時、何故か病室で俺を自転車で轢いた事を謝罪しに来た男性の名前を紙に書いたかと思えば、藁人形にそれを貼り付けて釘打ちする奇行に走った雫が面白かった。
ああ、薬が効いてきたのか頭痛が治ってきた。
昔を思い返せるほどには楽になった。
心做しか呼吸も落ち着く。
体はまだ熱いのだが、雫が貼ってくれた冷却シートの部分から浄化されるような気分だ。
「食べれるようになったら言って。お粥、温め直してくるから」
「雫は、それまで何してんの?」
「ここで本でも読んでる」
雫はお粥を持って部屋を出ていく。
俺の世話が趣味なのは良いが、自分の事まで蔑ろにして欲しくは無い。
俺も雫も華の高校生だ。
今だけしかできないことがある。知らんけど。
言葉通り、そのままシンプルなブックカバーの文庫本を片手に雫が戻って来た。
寝ずに迎えた俺を呆れたように一瞥し、椅子に腰を下ろすやページを開いて読み始める。こちらを気にする素振りは一切無し、本以外が見えていないというようだった。
それにしても……まつ毛長いなー。
両親も美人だけど、どんな化学反応が起きたら雫みたいなのが生まれるのだろうか。
雫の子供が産まれたら、その子も美人かもしれない。少しばかり、旦那さんの面影もあったりして。
あ、俺の子か。
俺のどんな部分が遺伝するかな。
じっと観察していると、本に注ぐ視線はそのままに片手で俺の目を覆う。
ちょ、雫の指紋しか見えないんだけど。
「ジロジロ見すぎ」
「いや、雫って本当に美人だよなーって」
「それが何?」
「俺、これだけで一生自慢できる話題ができた」
「……あっそ」
「まあ、性格はとても褒められた物じゃないけどな。そこは上手く隠して話すわけよ、長年それやってきたから俺の会話術も中々に上手くなってさ」
「風邪を拗らせて死んだって事にしていい?」
俺の視界を塞いていた手が、いつの間にか俺の頭蓋を圧迫する凶器に変わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ!!!
頭痛がぶり返してきた。
あれ、俺って病人だよね?
うわあ、俺の頭蓋を掴む雫の手で暗かった視界が白んできて、次第に河の向こう側で手を振る花ちゃんの姿が見えてきた……そっち行きたくない。
「ほんと、人の気も知らないで」
頭蓋への加圧が終わり、そっと雫の手が離れていく。解放されはしたが、まだ頭を叩く痛みの余韻に呻く。
雫がまた読書に集中し始めた。
病人にアイアンクローした後とは思えないくらい涼しい顔だ。
「ん?」
インターホンが鳴り、雫が顔を上げる。
本を俺の枕元に置いて、怪訝な表情になった。
「また瀬良さん?」
「花ちゃん? 俺は連絡してないけど」
「……出てくる」
花ちゃんの一件以来、何故か雫は警戒心が高くなった。
具体的に言うと、配達が来ても若干キレ気味。
ううん。
友だちなんだけど、マジで花ちゃん余計な事してくれたな……。
雫からは、俺と家族と自分以外は決して家に入れるなと厳重注意されたし、次からは花ちゃんと何かある時は花ちゃんの家に行くとしよう。
「それにしても、誰が来たんだろ」
インターホンを鳴らした存在に思考を巡らせる。
そして、雫が出迎えに行ってから数分後に俺の部屋の扉が開けられた。
「よ。あれ、随分と弱ってんじゃん」
「あれ、雲雀?」
アメを銜えたスカジャン少女――雲雀が俺の部屋に現れた。
あれ、他人を家に入れたくないのでは?
「学校は?」
「アタシ、こう見えて成績だけはバッチリだから。一日くらいサボタージュしても内申に響かないんだよネ」
「でも何で休んだんだ? というか、どうやって家に入ったのさ」
「夜柳が欠席って聞いたから、見舞の品を持って隣の家に行ったけど不在で、まさかと思ってさ。こっちに来たらピンピンした夜柳が出迎えて来たから、アンタが風邪だって分かって差し入れ渡したら入れてくれたし」
「へ、へー」
ちょっと、もやもや。
雫はあの日以来、俺の知らないところで雲雀とマメに連絡を取り合っているそうだ。
何だかんだで仲良いよな、この二人。チクショー。
お、俺だって仲良いんだぞ!
普段からオマエと居るとイライラするとか、さっきだってアイアンクローしてくれたんだからな!
しかし、家の中に入る事を花ちゃんは駄目で雲雀が許可されるというのは、一体どういう理屈なんだ。
差入で入れて貰えるとは、案外ハードルが低い。
雫も案外、物で釣られるタイプだな。
花ちゃんも金一封を捧げれば入れるかもしれない。
「なに持ってきてくれたんだ?」
「アイスとプリン。甘い物嫌いなアンタに合わせてビターなの買ってきた」
「雫より気が利く」
「アンタ憚らないよねマジで」
まるで見計らっていたかのように雫が現れた。
温めたお粥を持って。
湯気が立って、大変美味しそうな匂いがしている。食欲が湧いてきたかもしれない。
「雫、アイス食べたい」
「お粥食え」
※ ※ ※
「――つまり簡単に言うと、相森梅雨が瀬良花実の協力者だったわけ」
「……道理で、同時期に同じ水族館チケットを永守梓が手に入れてるワケね」
家に来た実河さんに粗茶を出し、話を聞いた私は納得した。
瀬良花実は意外と危険らしい。
わざわざ他校に手を回し、大志に直接ではなく最も危険な私を介して接触の切っ掛けを作るとは大胆にして狡猾だ。
大志に接近したい人からすれば最も大きな障害である私を避ける術を選ぶため、逆に盲点だった。
相森さんが協力者になった理由も知りたいところだが、大志のスマホから瀬良の連絡先も消した上に永守梓の周辺にも壁を作った。
これで瀬良も大志との再接触に他の手段を取らざるを得ない。
直接家を訪ねて来ても、どういう理由か大志も瀬良を家に入れると厄介だと思ってくれているらしい。
矢村からの報告上、大人しくはしているようだけど。
もし手抜かりやイレギュラーがあるなら、相森さん以外の瀬良花実の協力者が潜伏している事と、毎度ながら頭痛の種である大志の予想の範疇に収まってくれない動きのみ。
「わざわざ悪いわね」
「まー、バイト中で大変だったけど恋する夜柳は見てて楽しいから。てか、アタシは大志の家に入って良いんだ?」
「可能性は捨てきれないけど、貴女は大志に好意を持っていなさそうだから」
「そりゃ否定しないけど、そんなに脇が甘いとまた痛い目見るよ。アイツ、根は良いヤツだからさ」
「当たり前でしょ。大志は私の自慢の…………………何でも無い」
「ぷふっ、ウケる」
実河さんは苦笑して、それから天井を――いや、二階にいる大志を見上げる。
「アンタらがゴールインできるか心配だけど」
「心配?」
「このままだと、大志の中でも『幼馴染』って枠だけで終わって、恋人にも行き着けないと思ってさ」
「……」
「ずっと身近だった人間ほど恋愛に発展しにくいし、アタシとしてはさっさとくっついて二人に末永く幸せになって欲しいの」
「やけに実感込めて行くのね。貴女の経験則?」
そう言うと、実河さんは少し目を見開く。
まるで図星だというように。
他人の恋愛事情に興味はないが、ここまで気を許した相手なら少しは持ってもおかしくはない。
「貴女にもいたの?」
「まー、親切にしてくれる親戚のお兄さんがいたね。あの頃はそんな感じに見たことは無いけど、思い返したら漠然と好きだったかも」
「その人を誰かに横取りされた?」
「元からアタシのじゃないし。……思えば、夜柳や小野と会うまでは唯一親切にしてくれた人だったからいなくなって寂しくはあった」
「……」
「生きてたら、今でも好きだったかもね」
「え。……ごめんなさい、無遠慮に訊いて」
「いいって」
実河さんは気丈に笑って手を振り、お茶に手を付けた。
それから家の中を見回してため息をつく。
「もしかして、掃除も夜柳が?」
「私もしてるけど、基本的に掃除は大志」
「え? ホントに? 逆に物壊したりとか大惨事になるでしょ、アイツなら」
「掃除とか最低限の事だけは昔から大志に自分でやるように仕込んだから」
「やっぱ、アタシの私情抜きにしても大志はアンタとくっつくべきだわ」
他人にここまで心配されるレベルで生活力の低さ、さすが大志。
でも正直、私としてはそのままで構わない。
他の女に面倒を見させるつもりは無いし、私の管理外で生きるつもりなら何処かで野垂れ死ねばいい。
私の下、それ以外は許さない。
「とりま夏休みで一区切りつけたら?」
「一区切り?」
「そ。――夏のイベント二人で網羅して、もう夜柳以外は有りえないってくらいの思い出を刻み込むわけ」
実河さんにそう言われて、確かにと思った。
好奇心旺盛で目移りの激しい男なので、油断すれば大志の中心部をあっという間に奪われる。
幼馴染という立場に甘んじていたのを瀬良の一件で痛感した。
「そうね。夏休みで一先ず決着をつけましょう」
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