二章「これが女子校の体育祭」
楽しそうなら仕方無し
テストが終わり、五月最後の週末。
俺は今日も暇で居間の床に伸びていた。
外は雨が降っていて、気晴らしに外へ出ようなんて考えも湧かない。昔は雨に打たれるのが好きだったんだけど、それで風邪を引いた時に高熱を出して雫を涙目にしてしまった事があるからな。
あの表情は、本当に心臓に悪い。
泣きそうな顔で言われる「死ね」の威力は平時のそれと比べて桁違いだ。
よく分からないけど爆笑してしまう。
笑いを堪えきれなくて、あの時は首を絞めて本当に殺されかけたけど。
さて、こんな過去があったから外出も出来ず、やる事も無くて床に転がっている。
すぐ近くでは、雫が俺のだらしないところを冷たい目で見ながら洗濯物を持って去っていく。
そこで寝転がるなら部屋に行けという話だろうな。
でも、今は開放的なところで寝たい。
「テスト終わってやること無いな」
「私の手伝いしなよ」
「いても邪魔って言われるしな」
「トロいからね」
それ美味しそうだな。
大トロって言葉だけでも夢がある。……夢、夢かぁ。
女の子の友だちは増えた。
恋人を作る為の努力で積極的に女の子に近付いてはいるが、今のところ恋人に繋がりそうなロマンスを醸し出せる関係は一つもない。
辛うじて花ちゃんとデートした程度が成果と言える物かな。
スマホに付けたお揃いのキーホルダーを面前で揺らして眺めていたら、雫にスマホごと取り上げられた。
な、何をする!?
それは俺にとって、まあまあ大切な物なんだぞ!
俺が思わず雫を睨むと、雫が珍しくオロオロし始めた。面白い反応に少しだけ笑ったら雫も般若みたいな顔に変わった。マジで面白いな。
「返してくれよー」
「後でね。今はむしゃくしゃしてるからヤダ」
「最近の雫は情緒不安定だなー。そんなに欲しいならキーホルダーやるって」
「私と永守梓がお揃いになってどうすんの」
雫は不満そうにキーホルダーを睨む。
ううむ、分からない。
欲しいと思ったが、それでは解決にならないようだ。長年幼馴染をしている俺では汲み取れない雫の欲求を如何にして解消させてやるなど、もう誰にも不可能だ。
「じゃあ、どうしたら良いんだよ」
おバカが一丁前に悩んだって仕方が無い。
潔く相手に尋ねて解答を得るのがエベレストだ。違う、ベストか。
果たして、俺の質問を受けた雫は一瞬だけ目を光らせて、俺の方へと身を乗り出して詰め寄って来た。
おいおい、襟元が緩い服を着ている所為で、俺の位置からだと雫の胸がはっきりと見えてしまう。
ブラの色は赤……今俺が履いてるパンツと同じだ!
「ふっ。雫、もう俺たち大事な部分でお揃いじゃねえか」
「不愉快」
雫が自身の体を抱きながら、素早く俺から身を引く。
そんな目を向けないでくれ。
偶然見えてしまったのだから俺は悪くない。
「それに、毎日一緒の物を食べてんだから常に俺たちはお揃いみたいなものだろ?」
「……形に残る物が良いの」
「いつまで形に残る物?」
「少なくとも私が死ぬまで」
「三百年物は俺の知識じゃ、ちと用意がキツいかなぁ。あ、庭に木でも植えるか」
雫の寿命を考えたら、人間の時間だけでは足りない。
木ならば、手入れさえ怠らず火事などの事故さえなければすくすくと育ち、やがては樹齢何百年と生き続ける。これなら形に残るかもしれない。
だが、これでも雫は不満げだ。
「私、アンタがいない世界で生きるつもり無いんだけど。そしたら大志も三百年生きてよ」
「やだよ。流石に雫と三百年は付き合いきれないって。来世と来来世含めて三百年なら全然オーケーだけどさぁ」
「…………」
「うーん。今思いつかんし……てか中間考査終わってすぐ体育祭練習始まって忙しいんだよな。お揃いの物、体育祭の後でいいか?」
思いつくまでの猶予が欲しい。
そこで、体育祭だ。
まだ時間はあるし、その頃には何か一つくらい思い浮かんでいるに違いない。
しかし……体育祭かぁ。
学校も六月に体育祭を開催するらしいのだが、俺からすれば余計な事をしてくれたものだと思う。
男同士の熱い血潮をぶつけ合う最高の体育祭を、何故そもそも最適な夏という季節に催すのかが意味不明だ。
俺は夏が好きじゃないので、正直テンションが上がらず体育祭実行委員を務めてしまった。
やれやれ、気が滅入るな。
「雫の所も体育祭ってやるの?」
「六月の初旬に。大志は……中旬だっけ」
「そう。その日さ、保護者とか関係者は入れるらしいから一緒に弁当食べね? というかパン、パンを所望する」
「……アンタの男子校に、あまり入りたくないけど。すぐ告白とかされるし」
「人気の無いところ知ってるぞ」
「……」
雫はため息をついてから、それならと頷いた。
やった!
これで体育祭の俺は絶好調確定だ。
「去年は膝血塗れにして帰って来たけど、今年はやめて。心臓に悪いから」
「分かった。膝だけは守る!」
「膝以外も怪我に気をつけなさい」
「いや、俺は器用じゃないから一つしか守れないぞ」
「怪我一つでもした場合、私が血祭りに上げるって言ったら?」
「頑張りますです」
心臓に悪い視線を向けてきた雫にトゥンクして俺は反射的に受領した。
確かに、今年は怪我もしたくないな。
思えば、雫に加えて色々な人に助けられているので小学生の頃に比べたら中学から今まで怪我の数が極端に少なくなった気がする。
雫が見ていない時が一番怪我してたし。
中学では綺丞、高校では憲武とかが守ってくれたからな。
憶えてたら彼らには後で感謝のメールを送っておこう。えーと、誰と誰に助けられたんだっけ?
「あ、そういえば」
俺は雫に奪われたスマホを取り返す。
テストが終わったので、俺は花ちゃんとの約束を果たさなければならない。
早く帰ってもらう為の交換条件。
あの時は無我夢中だったので、内容の詳細は覚えていないんだが、約束したことだけは覚えているような気がする。
ともかく、迷惑をかけた事には変わりないので、彼女の要望に答えるしかない。
正直、あの花ちゃんの変わり様が俺には驚きと歓喜を通り越して恐怖を覚えたし、何なら『殺意マシマシの雫』という爆弾を作っていったので良い思い出は無いのだが。
ついでに綺丞とか呼んだら安心できそうだが。
俺はスマホを操作し、メッセージを――。
「……連絡先、消えてね?」
確かに何度も連絡を取り合ったりしたので履歴にも残っているはず……無い。
俺のスマホから悉く花ちゃんの存在が失せていた。
もしかして、再会したのは夢?
俺が可愛く夢想した全く別人の花ちゃんで、今まで俺はイマジナリー何とかと戯れていたのか。
いや、でも何か前にもこんな事があった気がする。
いつだっけ、というかあったっけ。
「大志、ゲーム解禁」
「え、マジで!?」
「ただし、一日一時間くらいはその日の授業、ノートを見返すくらいでも良いから復習すること」
「しなかったら?」
「次の勉強は見ない」
死刑宣告じゃん。
因みに今回のテスト、俺は赤点を回避した。
懸念した通り、赤点補習者が多すぎるのでいつもの三十点以下へと繰り下げられて皆が歓喜して校内はいつもより平和だ。
生徒会長との対決は予想通り俺の圧勝。
雫には惨敗を喫したが、それも仕方がない。平均点九十七点って何だよマジで。何を食べたらそうなるんだよ、俺も同じ物食ってるのに。
ああ、俺の夏休みは終わった。
慰安旅行には行けても、それ以外の時間は全て雫に拘束されるらしいし。
今からでも真剣マジ頼みで言えば雫も許してくれるかな。
「雫、話があるんだけ――」
「そ、それより大志。……夏休みに色々な所に行くつもりなんだけど、こことかどう?」
「………………………」
駄目だ。
無表情だが、俺には分かる。
いつもより目がキラキラして楽しそうだ。まだ一ヶ月以上も先なのに、すでに計画を練り始めている時点でやばいな。
言ったら何されるんだろう。
趣味を妨害しただけでひき肉にするって言われたから、彼女の予定まで邪魔したら撒き餌にされるかもしれない。
「プラネタリウム? 微生物じゃなかったか、ソレ」
「それはプランクトン。プラネタリウムは疑似天体観測。昔一緒に行ったけど、出資者がいなくなって潰れたらしい。でも、最近になってまた再建したらしいから」
「そうだな。久しぶりに食いに行くか、プラネタリウム」
「脳みそがプランクトンサイズだと会話も困難ね」
デートプランを二人で練るという世にも奇妙な事をしながら、俺は横目で楽しそうな雫を盗み見る。
恋人を作ったなんて嘘は吐くし、女の子との接触はさせてくれないし、今年の雫は異常だ。
一体、何が彼女をそうさせているのだろう。
普段から怒らせているから、そこは別に問題ではない。
重要なのは、彼女の地雷だ。
女の子と登校したらキレたので、じゃあ登校はやめてデートしたら拗ねたし、水族館で雫の分のストラップを買ったけど自分だけだと引け目を感じるだろうから俺と梓ちゃんでお揃いを勝ったら最低と罵られた。
ううむ、よく分からない。
何がいけないのか皆目検討も付かん。
ただ。
「雫、楽しみなのか?」
「別に」
「そのパンフは?」
「下調べで取り寄せた」
「ほーん」
ここまで楽しそうな雫の気分を害するような事は言いたくない。
それだけだ。
「雫、俺プラネタリウムよりプランクトン見たい」
「海に沈め」
あれ、気遣った一言なのに急転直下。
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