閑話休題!
中学時代(1/3)
新学期の活気に賑わう市立超瀬東中学校。
その二年三組の教室は、女子の密かな歓喜で空気が満たされていた。
原因はただ一人。
窓際の席に腰掛けた少年に、女子は揃って好奇の眼差しを注いでいる。自身へと束ねられた視線に気付きながら、それをどこ吹く風と流している少年のクールな態度が尚更に反響を呼んでいた。
「(視線、鬱陶しい)」
少年――矢村綺丞は密かに苛立っている。
自分は特に何もしていない。
にも関わらず、どう動いても多数の関心が自分へと向けられる。
同性からは嫉妬や恨みを買うばかり。
それで一年時はかなり苦労をした。
幼少期からそのような状況が続いて辟易しており、新学期となれば新顔も増えるとあって余計に厄介の数も増える。
「(学校、早く終われ)」
苛立ちを隠しながら、綺丞は静かに窓の外を睨んでいた。
「――おはようございます!!」
教室中に響く声に皆が停止する。
綺丞も、あまりに大きな声量に驚いて戸口の方へと振り向いた。
すると、そこに立っているのは奇妙な少年だった。
「俺は小野大志! 好きな物は好きな物、嫌いな物は嫌いな物だ。みんな、これからよろしくな!」
大声で意味不明な自己紹介。
さしもの綺丞も微かに目を見開いたまま固まってしまう。
たしか、あの少年――大志はよく騒がれている女子生徒の幼馴染、である。
いや、それだけで驚く綺丞ではない。
目の前で事故があろうが何が起きようが大概の事態では変わることのない鉄面皮を歪めるほどの衝撃を与えたのは、大志の姿にこそ原因がある。
「なん、だと」
何故か大志が背負うリュックに刈り込み鋏が突き刺さっていた。
恐らく彼の体まで貫通はしていないだろうが、刺さった状態で背負っている姿、それも気づいている素振りが無いのは如何に綺丞といえど驚かざるを得ない。
そんな異質な彼を見るなり、数人は挨拶をするだけで誰も触れない。
「お、新しいヤツ発見」
ずんずんと大志は闊歩して綺丞へと接近する。
面倒なのに絡まれる、と内心で肩を落とした綺丞は無視しようと窓の外に視線を戻した。
「おっす。はじめましてだな、名前は?」
「……………」
「窓の外に何かあるのか? ……あの雲、今日学校前ですれ違った爺さんの形してるな」
「(早く何処か行け)」
「ちょっと! 矢村くん迷惑してるでしょ!」
綺丞へと話しかける大志へと注意の声がかかる。
それは綺丞を遠巻きに見て興奮していた女子の一人だった。
大志に限らず、自分のことで騒がれること自体が迷惑なのだが、その気持ちを汲んでくれることもなく、女子は大志への注意を続ける。
一方で、注意された大志は。
「へー、矢村って名前なのか」
この通りである。
女子すらも大志の微塵も気にしていない様子に唖然としていた。
「矢村、おはよう!」
「…………」
「あれ。もしかして、こんにちは派?」
「(何なんだコイツ。というか、いつ背中の鋏には気がつくんだ?)」
綺丞がちら、と視線を向ける。
あれだけ黙殺されていながらも、大志は気分を害していない。
その瞳は純粋な好奇心に光っている。
同性の羨望も嫉妬も何も無い。
異性のまとわりつくような下心も皆無。
まるで無垢な子供を連想させた。
「……おはよう」
面倒臭くなって、綺丞はようやく返事をした。
「声が小さいぞ、矢村。もっと鼻から声出すんだぜ」
「(ウザい)」
「これから一年よろしくな」
大志の声に頷きだけで返す。
大志はそれで満足し、指定された自分の席に向けて踵を返す。――そのとき、回れ右をして体の向きを変えた事で背中の刈り込み鋏の木柄が綺丞の方へと振り回された。
木柄の急襲に、だが綺丞は慌てることなく顔に当たる寸前で掌に受け止める。
そのまま流れるように刈り込み鋏をリュックから抜いた。
その鮮やかな手際に観衆たちがほうと感嘆の息を吐く。
しかし、抜かれた瞬間の違和感はあったらしく、気付いて大志が振り返った。
そして、刈り込み鋏を手にした綺丞を見て小首を傾げた。
「いま刺した?」
とんでもないヤツが来たな、と綺丞は呆れた目で大志を見つめるのだった。
それから幾度か大志に巻き込まれる内に、綺丞は教室で一緒に昼食を取る程度の仲にはなった。
距離感の『き』の字も無い大志の猛攻に対し、助けるよりも関わらない方が身の為だと考えた聖徒たちも離れていく事が綺丞には好都合だった。
さらに、大志の存在は唯一交流のある男子である。
未だに厄介だとは思っているが、他の人間と違って下心だったり、性根を疑う必要性が無いので適当に付き合っていた。
大志個人はドジでアホな部分を除けば大した弊害ではない。
そう問題は――。
「ねえ、聞いた?」
「幼馴染の夜柳さんに毎朝転びそうなところを助けられてるんだって」
「情けなーい。くすくす」
綺丞と唯一個人的に交流がある大志に、別の意味での嫉視が向けられていた。
聞こえることを考えない距離でも陰口を叩き、時には直接嘲笑うこともある。
「…………大志」
「ん?」
「……良いのか、あんな風に言われて」
珍しく自分から口を開いて綺丞は尋ねる。
大志はきょとんとした顔で固まった。
「すまん。さっきまで口の中のキュウリ噛んでる音で何も聞こえなかったんだけど、彼女らが何か言ってたのか?」
「おまえの悪口」
「俺の?……もしかして、登校中に通る家の猫に『トイレ』って名前つけて毎朝呼んでたのがマズかったかな」
「……俺といるからだ」
「綺丞といるから?」
「……おまえが羨ましいから、だとさ。俺は普段、人と関わらないから」
「へー。……つまり、綺丞と一緒にいるだけで俺は悪口言われてるってこと?」
綺丞は黙ってうなずく。
珍しく他人に気遣って喋った自分に驚きながら、大志の様子を窺った。
彼は――。
「ふ、心配するな。いつだって少数派は時代に揉まれるものさ。綺丞の人見知りが治って友だちが沢山できれば運命は変わる」
「(そういうことじゃない)」
問題点を捉え間違えていた。
大志は深刻そうな面持ちで綺丞を見つめる。
「元気出せよ、綺丞は魅力的な人間だぜ? 足速いし、高く跳ぶし、サッカーのシュート上手いし」
「(何で評価が足に偏ってるんだコイツ)」
綺丞の魅力について、延々と大志は語る。
聞いていく内に、彼はよく自分を見ていると綺丞は感じた。
いずれもクラスメイトのように容姿や能力的なことばかりではなく、犬好きなところだったり、天気は曇りの時が好きだという意外な部分にも気づいている。
「……よく知ってるな」
思わず口からこぼれた言葉。
大志はそれを聞いてにかっと笑顔を咲かせた。
「そりゃ友だちの事だからな!」
「……………」
「誕生日は知らんけど」
綺丞は曇りのない言葉を受け止めて、微かに笑った。
最初は厄介極まりない珍獣だが、今は違う。
あの頃よりもほんの少しだけ先に進んだ関係――自身の中での『友だち』へと変化していた。
「一月二日」
「え?」
「………………誕生日」
「そっか。じゃあ、その日にプレゼントやるよ! 何が良い?」
「別に――」
答えようとして、綺丞の背筋を冷たいものが駆け上がる。
悪寒の正体が分からず困惑していると、いつの間にか大志の背後に立つ影に気付いた。
「大志、これ宿題のプリント」
「お、サンキュ」
無機質な黒い瞳が、綺丞を見つめていた。
そこには、嫉妬の感情が宿っている。他の女子のように綺丞と共にいる唯一の人間である大志へ向けて、ではない。
眼光と共に放たれる凄まじい敵意に綺丞も無意識に背筋を正した。
「お、雫か。紹介するよ、俺の親友の矢村綺丞だ」
「親友……親友ね」
大志が名を呼んだ事で、いつの間にか直ぐ傍まで来ていた少女が、この学校どころか街でも有名なあの夜柳雫だと気づく。
文武両道、容姿端麗、品行方正……あらゆる美辞麗句を尽くしても足りないと言わしめると学校でよく囁かれている。
「よろしくね、
綺丞の直感が告げていた。
バケモノが現れた、と。
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