おまけ短編1



 中学三年の秋。

 放課後に乞われて仕方無くやった教師の手伝いを終えて、一人で廊下を歩いている。

 毎日一緒に帰宅している幼馴染の回収に向かっていた。油断すると虫に集られたても呑気にニコニコしているほど無防備なので、なるべく直ぐ会いたくて放課後に予定は入れたくないのに。

 鼻の下を伸ばして私に頼み込む教師の顔を思い出して、舌打ちしたくなった。

 大志のいる教室が見えて、少し歩調を早めて扉の取手に手を伸ばしたが、聞こえてくる室内からの声に手を止めた。


「夜柳ってマジで可愛いよな。……デートしてぇ」


 一人の男子の嘆くような声が聞こえた。

 またこれか。

 放課後に教室に居残って駄弁る男子の会話内容などこんな物がほとんどなのだろうが、自分が話題にされると不快に思えてしまう。

 彼らの脳内で自分がどのように扱われているかを想像したくないが、話を聞くと嫌でも思い浮かぶのだ。

 だが、それを咎める資格は私には無い。

 私だって、想像の中で幼馴染を何度も弄んでいるのだから……だからこそ理想と乖離し過ぎる幼馴染に毎度のこと頭を痛める羽目になる。


「そうだよなー。お家デートからの……で行きたいよな? くへへへへ」


「ぶははは、笑い方キモ!」


 イライラする。

 今すぐにでも扉を開けて侮蔑の一言でも飛ばしてやろうか。

 相手にすること自体が馬鹿馬鹿しいのだが、こういう人間を直接目の前にすると制御が利かなくなりそうになる。

 私が未熟な証だ。

 将来的にも大志を囲うなら、私自身に揚げ足を取られないように経歴的な瑕疵を残してはならない。

 落ち着け、私。


「小野はどう思うんだよ?」


 室内の男子の口にした名前に私は固まる。

 まさか、あの会話の一員に大志がいるのか。

 まさか、彼もヤツらと同類なのか。

 年頃の男子だから仕方ないと思うが、少し残念に思う。想像の中で、きっと女と……私以外の女と? 腸が煮えくり返ってきた。


「おまえ幼馴染なんだろ? 何かムフフで美味しい瞬間とか無いの?」


「ほら、部屋着とかで無防備なところからちょっと覗くアレとか!」


 駄目だ、今すぐにでも扉を蹴破りたい。

 でも、大志の返答が気になる。

 彼が私をどう思っているのか。


 んー、と聞き馴染んだ声が上がる。



「んぇ? あー、そういや、この前作ってくれたチョコケーキが美味くてムフフってなったな。あとは……覗くってやつは、疲れた雫が俺の目の前で寝てたんだけど部屋着の襟からタグが出てた事とか?」



 …………………………は?

 私と同じなのか、教室内もしんと静まる。

 文脈から、明らかに胸の谷間だとか肌だとかそういう異性として意識する何かの回答を求めていると誰もが考える質問だった。

 いや、予想外にも程がある返答だ。

 というか、は?

 無防備な私の姿よりも、服のタグが気になった? そんな事があるの?


「いや、小野………あのな?」


「あ! あとその時にさ、寝言で晩飯の献立を考えててその後マジで内容通りのが出てきたから爆笑したわ!」


 うん、大志はやっぱり大志アホだ。

 呆れる反面、我知らず胸を撫で下ろす。


「ほら、あんな美人がいるのにいやらしい目で見るなって方がおかしいだろ。小野は夜柳の好きな所とかないのか?」


 多少婉曲に尋ねても理解されないと諦観した男子がさっき伝え損ねた真意を明確にして直截に質問し直す。

 何て事を大志に訊いてるんだ、クズ。

 それで他の女の名前でも出てきたら、私は帰った後に大志をどうにかしてしまいたくなる。…………とはいえ、気になりはするので後学のために聞いておこう。


「雫の好きなところ? 聞かれると無さすぎて困るけど、強いて挙げるなら手だな」


 手?

 思わず自分の手を見下ろす。

 まさか、手フェチなのか? というか、無さすぎて困るという返答に扉を殴りそうになった。


「風邪になった時に雫が俺の頭を撫でてくれたんだけど、すげー気持ちよくて眠れなくなるんだよな!」


 逆だろう。

 普通は気持ちよくて寝る筈なのに。

 でも、そうか…………撫でられるのが好き、か。


「ちぇっ、白けた。帰ろうぜ」


「小野って空気読めねえよなホント」


 悪態をついて退室しようと扉を開けた彼らと私は正対する。

 私を見るなり顔面蒼白になる彼らをキツい視線で下がらせて大志の元へと向かった。

 彼は机の上にノートと参考書を開いて紙面を睨んでいる。


「大志ごめん、待った?」


「え、もう来たのか。あと少しで解けたのに」


「来て残念みたいな顔するな。……勉強してたの?」


「おう。合格したいから受験勉強頑張ろうと思ってさ」


 大志が無邪気な笑顔で私にノートを見せてくる。

 何度も同じページの問題を解き直し、満点になるまで繰り返している。何度も消しては書いてを繰り返された紙面は凹凸だらけになり、手の一部は黒鉛でかなり汚れていた。

 ああ……頑張っていたのか。

 女子と会わせたく無いなんて下心で私が決めた高校に疑いもなく、入る為に努力しているのだ。

 偏に、盲目的な私への信頼で。


「私が決めた高校でしょ。何でそこまで頑張るの?」


「え? そりゃ勿論…………あれ、何で頑張ってるんだ俺?」


「ほんとにバカね」


「あ、思い出した。――雫を不安にさせない為だ」


「私を?」


 不安にさせない?

 私が動機なのは嬉しいが、別に不合格になったからといって不安になどならない。

 高校に入る事がある程度は将来役立つからと進学させようとしたが、別に義務教育が終われば私だけしか手の出せない環境で管理する事もできる。

 しかし、私を意識して頑張ってくれるのは悪い気がしない。現に少し嬉しくて口角が上がりそうで堪えている。

 うん……でも、普段の大志を見ていたらそこまで頑張る理由が考えられないんだけど。



「雫が俺離れできるように頑張ってやらないとな!」



 …………。

 うざい。

 超うざい。

 要らぬお世話ここに極まっている。

 ハッキリ言って超絶うざいのだが、苛立ちながらも胸が温かくなる。

 本当に自分の本音を偽らない人間だ。

 私を理由に信念を曲げたり、嘘をついたりするような奴らばかりの世界なのに。

 そんな大志だから、私は――。

 

「私は別に大志にべったりじゃないけど」


「え? そうなのか。じゃあ別に勉強頑張らなくていいや」


「それはダメ」


「何で?」


 大志に私以外は必要無いから、別に高校に進学しなくていい。

 でも。



「大志が頑張ったらご褒美あげる」



 私の為に頑張る大志を、もう少し見ていたい。

 そんな思いで、わがままを通す事にした。


「ご褒美? 何かくれるのか?」


「大志の欲しい物」


「じゃあ、優しい幼馴染!」


「既にある物は無し」


「え? 持ってないからお願いしたのに」


「……」


 こいつ、やはり殺してやろうか。


「あ、じゃあ雫! 合格したら撫でてくれ!」


 は?


「…………そん、なので良いの?」


 私は思わず声が震える。

 もっと凄い要求が飛んでくると思っていた。


「え、これもダメ? あ、じゃあ高校でも勉強教えてくれよな!」


 ああ。

 本当に、もう。


「合格できたら考えるわ」


 好き。







 合格発表の翌日。

 私の部屋を目指して階段を駆け上がる音がした。

 推薦入試で既に合格を手にしていた私と違い、一般入試で試験を受けた大志も昨日、合否を受け取りに志望校へと赴いた。

 私が尋ねても頑として口にせず、明日伝えると無駄に延長していたけど顔がニヤついていたので結果などバレバレだ。

 実際、足音で燥いでいるのが分かる。


「雫、聞いてくれ! 俺実はな?」


「うん」


「志望校に合格してましたー!」


「あっそ」


「何と成績はトップだった、何故か! 雫の手しか借りてないのに!」


「私の助力があったからでしょ。まったくもう…………それで?」


「ん? どした?」


「大志が合格したらご褒美あげる、って話をしたでしょ? お願いしないの?」


「いや、そんな話してないけど」


「…………………………………………………………」


「それより、これから春休みだからゲーム三昧だぜ! 我慢してた分、溜めてた物を一気に解消しゲフェアッッッ!!!!!?」


 好きは好きだけど、それとは別にムカつくからやっぱり殴った。

 良い子は決して真似しないように。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る