雫の一日



 私――夜柳雫の一日。

 午前五時に起床するが、起きる場所は自室だったり小野家に借りた空き部屋だったりする。

 今日は自室のベッドで目覚めた。

 毎回、アラームで設定した時間の五分前に自然と起きてしまう自分の機械的なところは少し不満だ。

 出来ればギリギリまで寝ていたい。

 平日は六時間、休日に八時間の睡眠を心がけながら、自分と大志用の弁当を作るためにこの起床時間は欠かせない。

 今日は六時間きっちりを目指し、またもや五分削れてしまった。


「起きないと」


 二度寝や寝坊、という経験はあまりない。

 最近だと、五年前くらいだろう。

 雷が面白くて眠れないらしい大志に一晩中興奮が冷めるまで付き合う羽目になった時だ。そのせいで朝に二分の寝坊してしまった。

 あれは大志が迷惑極まりなかった。


「おはよう、雫」


「おはよう、父さん」


 私の両親も朝は早い。

 こういう部分は似たのだろうか。

 彼らが眠そうにしているのは見ても、この習慣化した景色を欠かした事は一度も無かった。

 二人とも仕事まで余裕はあるが、私と朝を共有したいが為にこの時間に起きているらしい。


「おはよう、雫っ!」


「おはよう、母さん」


「今日こそは私が弁当作ろうか?いつも作ってて大変でしょ、たまには私が雫の分も」


「気持ちは凄く嬉しい。でも、父さんの分を作るのも私の楽しみだから」


「雫ちゃんっ…………!」


「二人とも準備しておいて。その間に朝食と弁当、私が用意するから」


 そう。

 私は大志のついでに両親の分も作っている。

 私の家も、大志と同様に共働きだ。

 二人は仕事好きな面もあるし、私は自分の事はできたので子育てについては気にせず好きな事をして欲しいだなんて幼い頃に言ったら感涙された。

 それでも子育てしようとするので愛されている、というのは分かった。

 ただ失礼な話、両親の構いっぷりが鬱陶しかったのもあって私は『仕事してるパパとママが見たいな』と上目遣いでお願いしたら全力で働き始めたのである。

 まあ、何とも単純だ。


 朝食分を先に用意し、卓に並べておく。

 後は二人が揃う弁当分を進めた。

 もう少し二人が遅く起きてくれたら先に弁当分を片付けられたのだが、朝から娘を見ていたいという、また何とも微妙な理由で断られてしまうので仕方ない。


 両親が席に着いたので、私もきりの良いところで作業を中断して食卓につく。

 大志と朝食を週三、それ以外は両親とだ。


「今日も隣のクソガ……大志くんの世話かい?」


「うん。私が見ていないとすぐ色々と疎かにするから」


「う、ううむ」


 因みに、二人は大志を敵視している。

 愛娘を取られた嫉妬が主だろう。

 後は年頃の娘を男の世話に出すという倫理観から訴えかけられる複雑な感情かもしれない。

 最初は理解できなかったが、大志を他の女に取られた私の心境に近い、ということで納得しておくことにした。


「雫、口を挟むのは無粋かもしれんが……自分でやらせる方が、自主性も育まれるかもしれんぞ」


「大志にそういう成長は期待してないから」


「え、そうなのか?」


「最低限はできてほしいけどね」


 ごちそうさま、と。

 三人で揃って食事を終える。

 食器は流し場に置いて、私は弁当分を再開した。後ろから見守る二つの視線が鬱陶しいが、毎日なのである程度は慣れた。

 出来上がった分を弁当箱に盛り付け、閉じた箱を布で包んで手渡す。


「お仕事、頑張ってね」


「ああ。これで今日を生きていける」


「お母さん、毎日こんな幸せでいいのかしら」


 大袈裟すぎる。

 まあ、この二人は周囲の人間とは違って親としての愛情を注いでくれるので本気で不快に思ったことはあまり無い。

 大志とは違った意味で、私の家族であるのは間違いない。


「行ってくるよ、雫!」


「行ってくるわ。ちゅーする?」


「いってらっしゃい、ふたりとも。道中気をつけて」


 二人を見送ってから、私も身支度を調えて家を出る。

 両親との時間を含め、この作業で七時前だ。


 そのまま隣の小野家へ直行し、合鍵を使って中へと入る。

 これは私が手にした最初の勝利の証。

 当初は大志を溺愛し、子供の私の接近すら警戒していた両親から信頼を勝ち取り、その形として入手した物だ。

 毎回、この解錠で身が引き締まる。


「お邪魔します」


 静かな家に挨拶をする。

 大志は、まあ七時に設定したアラームで起きるだろう。

 時間にルーズな彼は、私がアラーム時計を用意しない限り自分で改善しようともせず、遅刻すら気に留めないときがある。

 本当にだらしない。


 用意した弁当を居間の机の上に置き、ついでに我が家の朝食の余りを持ってきた大志の分を横に添える。



『うるさいぞ、目覚まし時計! 今何時だと思ってるん……七時だと、本気か!? いや、あと一時間は寝られる』



 上階からアラーム音を掻き消す怒号。

 どうやら目を覚ましたようだが、二度寝をしようとしているみたいだ。

 大志の生態上、一度起床するとその後は眠りが浅くなって三十分後には起きる。

 七時四十分までが許容範囲、それ以外は遅刻するし私と一緒に登校できなくなる。


 そして予想通り――。


「おはよー雫」


「…………」


 悪びれもなく二度寝した彼が現れる。

 欠伸をしながら私の朝食にありつく。折角のご飯が冷めてしまっている。別に求めてはいないが、少しは感謝くら――。


「朝からこんな飯食えて幸せだわ。毎度ありがと雫」


 好き。


「これがパンだったらなぁ」


「じゃあ食べるのやめれば?」


「俺から雫の飯を取り上げるなんて許されないことだぞ!」


 何様なのか分からない発言だが、気分は悪くないので良しとしよう。


「それにしても……うぅ、俺の夏休み」


「何か不満?」


「せっかく花ちゃんや綺丞と遊んだり、憲武のゲーム合宿に参加しようかと思ったのにぃ」


「なら問題ないでしょ」


「え??」


 大志の準備が終わるまで朝のニュースを見ながら待ち、彼が準備を終えた二十分後――こういう事は手早いのが何とも不思議――に二人で家を出る。


 不注意で怪我をしそうになる大志を助けながら、私はこの時間に浸った。

 彼に恋人ができる可能性は万に一つも無いが、仮に私以外がこの時間を過ごしていたら法に触れるレベルの衝動に駆られていただろう。


 どうか、この時間がいつまでも私のモノでありますように。









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