俺のゴールデンウィーク・呪



 水族館の翌日だった。

 俺は昼過ぎに起きて一階へと下りる。

 歩き回ったことで脹脛が軽く筋肉痛を起こしていた。普段から歩いているつもりなのだが、やはり長距離には不慣れなようだ。

 それにしても腰が痛い。

 昨日、雫に蹴られた所為かも。

 あとで彼女にマッサージを頼むかな。


 腰を摩りながら居間へと向かうと、何やら話し声が聞こえた。

 最近の日本はー、とか。

 最近の大志はー、とか。

 どこかで聞いた覚えのある声たちだ。

 雫もその中に加わって談笑している。

 仲良さげなので、全力で割って入るかな。


「おはよー」


 俺が扉を開けて中に入――『パシャッ』……何か起き抜けの顔面に凄いシャッター光を食らった。

 記者会見顔負けの閃光に思わず立ち止まる。

 ていうか目が開かない。


「二人とも、大志が困ってます」


 諌めるような雫の声の後、光の殴打が途絶えた。

 痛い、目が痛い。――と思ったら、次は首元にラリアートレベルの威力で首元に抱きつかれた。

 もう何が何だか分からん。


「大志、ただいま!! お父さんとお母さんが大志に会うためだけに帰って来たわ!!」


 この声を至近距離で食らって漸く思い出した。

 ついでに耳もイカれた。

 雫と談笑していたのは、間違いなく俺の両親……父の郁信と母の咲凪である。

 息ができない。

 もう着々と五感やら呼吸やら止められてきてきる。

 もしかしてこの人たち殺し屋?

 遠路遥々俺を殺しに来るためだけに帰国した?

 回復した目で見ると、父さんは何故か黙ってずっと深呼吸している。


「父さん、何してんの?」


「大志を感じてる」


「楽しい?」


「至福だ」


「そか、楽しんでくれ」


 因みに母さんは俺の首元で深呼吸している。

 何か皮膚火傷するレベルで吐息が熱い。

 二人の様子を見ている雫の顔は、明らかに呆れていた。昼過ぎに起きたからだろうな。

 でも昨日の永守梓とのデートで疲れたんだぞ。

 労ってくれ。

 まあ、視線も合わせてくれなかった昨晩に比べたら機嫌も直してくれたのが分かる。


「お義母さん。そろそろ放してあげて下さい」


「ええー、もうちょっっっと! 私の人生が終わるまでの間だから!」


「いかんぞ、母さん。大志には大志の時間があるんだ。我々はそれを見守って五割譲歩せねばならん」


 深呼吸やめたと思ったら凄いことを言い出した。

 人権は雫が管理してて、人生半分は父さんと母さんに費やされる。幸せなことではあるが、俺の人生に反映される俺の意思が若干少ない気がしなくもない。


「あ、父さんと母さん。忘れてたけど――おかえり」


「「ただいま!!」」


 それだけ言った瞬間――二人とも俺に縋るようにズルズルとその場に倒れた。



「………………………ん?」



 取り敢えず、状況説明して雫。

 困惑も断ち切れないままに二人を寝室に移動して寝かせ、俺と雫は居間に戻る。

 寝顔を見ればわかるが、二人は随分と疲れた顔をしていた。

 きっと帰るのに無理をしたんだろう。


「何であんな事になってたんだ?」


「休むように言ったけど、大志がいつ起きるかわからないからって聞かなかった。……案の定、何処かの誰かさんが昼に起きてくるから苦しんだようだけどね」


「大変だなぁ」


「私も二人の相手で忙しかったから」


「お腹空いたから昼食べたい」


「……………」


 無言で目の前に茶碗に入った白飯と温められた味噌汁、ついでに唐揚げやらレタスなんかで彩られたおかずがすぐに出てきた。

 何だかんだで俺が昼に起きてくるのが分かってたから汁物も温めてあったのだろう。

 俺のこと理解してるなら二人に言っておいてくれれば良かったのに。


 しかし、久しぶりに二人に会えた。


 メールで毎晩やり取りしているとはいえ、やはり顔を見て話すのとは違う。

 物凄い安心感があって良かった。

 海外という目の届かない場所にいるから時々怖いのだ。

 俺が怪我しただけで二人とも騒がしいが、その理由だけは分かる。


 俺は昔から生傷が絶えなかった。

 心配した両親が外出すら禁じた程である。

 もはや過剰に意識した配慮は、怪我の原因が俺ではなく他人にあるのではと考え始め、俺以外の連中に警戒していた。

 だから当初は雫も敬遠されてたっけ。


『大志は、私に任せて下さい』


 でも献身的に世話を焼いてくれる雫になら任せられると、最初は断ってずっと保留になっていた海外赴任の話を受けて、今は国外で仕事をしている。

 何なら雫とメールのやり取りもしているらしい。

 内容は全く教えてくれないけどね。

 少し寂しい。


 雫はある意味、人誑しだな。

 俺の親まで落とすんだから。


「大志」


「ん?」


「良かったわね」


 珍しく雫がそんなことを言う。


「おう、そだな」


 ただ俺も素直に返した。






 ――などと、穏やかな日常が始まるような気がしたが、現実はそうも甘くない。





 両親が帰って来てから少し経った日、事件は起きた。


「私も、髪切ろうかな」


 ふたりきりの居間で呟いた雫の唐突な発言に、俺はゲーム中の手を止めて唖然とした。

 ゴールデンウィーク後半戦。

 買い物に出た両親を待って留守番中の俺と雫は、穏やかな休日を過ごしていた筈だった。泣いて懇願したので勉強は午前中だけとなり、今は自由時間を満喫している。

 否、満喫していた。


「髪を!? 何で!?」


 驚いて思わず声を張る。

 いや、だってさ。

 雫ってば、髪型は拘りでもあるのかダイレクトロングで貫いてきた。何か違うな、真っ直ぐみたいな意味のやつだったような……。

 それは兎も角、髪型は幼少から不変の雫アイデンティティーの一つ。

 それを今さら何故。


「大志も髪を切って印象変わったし」


「雫もカラーチェンジするってこと?」


「そう。色じゃなくて髪型を」


 髪を切るというのは普通の事だ。

 お洒落としてこれ以上ないほど印象に変化を与える物だろう。

 だが、今まで伸ばし育てた髪では話が別だ。

 時間を経ただけ貴重さがある。

 俺だってこの前の美容院で切り落とされた髪の一房を拾って泣いて、涙で濡れた顔に髪が貼り付いて痒かったくらいだ。

 それほどに髪は人の心身に影響を与える。


 雫が髪を切る理由が何かあるのかもしれない。


 だが、俺は察知能力が低いらしいから分からない。

 ここはネットに頼るか。

 検索ワードは……『髪を切る、女の子』で。


 なになに?


 女の子が髪を切るのは『お洒落、心機一転、失恋した悲しさから吹っ切るため、呪い、因習、呪術的な供物、ご飯に混ぜる、首を括る、身近な殺しの道具、食べさせる、ストレス解消』……え、雫はもしかして誰か殺したいの?

 半分くらい検索結果が物騒だ。

 ご飯に混ぜるって、もしかして俺に食わせ……いや、もしかしたら雫は毛髪で美味しくできる料理を開発したのかもしれない。

 コイツならやりかねん。

 …………流石にそれは無いか。

 雫は料理にすごく注意を払っているらしいし。知らんけど。


 そうなると、お洒落とか心機一転が考えられるが、失恋は無さそうだな。コイツに落とせない男がいるなら見てみたい。

 ということは、やはり。


「雫」


「なに?」


「早まるな。雫が刑務所に行ったら俺生きてけないぞ」


「意味わからない」


 まずい。

 このままでは幼馴染が殺人鬼になる。


「もっと穏便に解決できないか? ほら、もし過去に何かあったなら最近は裁判っていう立法システムがあるんだから活用しようぜ?」


「裁判は司法。……何の話?」


「おまえの髪の話だよ!!」


「イカれてるの?」


 駄目だ、全く話が通じていない。

 こういう時に限っていつもの察しの良さが無いのだ!

 何だかんだで雫も天然だよなチクショー!


 どう伝えたものかと悶々としていると、雫は自分の髪を見つめている。

 毛先まで黒く艶のある美しい髪。

 あれが、無くなるのだ。

 いや、どんな髪型にするかによるけど、風にゆったりと靡くあの黒髪がもう見れなくなるのだ。


「ほ、本当に切るのか」


「悪い?」


「後悔しないのか」


「……後悔するのはアンタじゃない?」


「え?」


 その言葉の意味がわからなかった。

 雫は俺の眼前で肩にかかった髪を払い、何やら不敵に微笑んでいる。

 それからゆっくり、俺の耳元に口付けるように近付いてきた。



「長い髪が好きなのね、アンタ」



 楽しそうな雫の声が脳内に響く。

 長い髪が好き?

 そうなのかな。

 俺は女優さんのベリーショートのかっこいいやつとか、ショートボブとかも可愛くて好きだけどな。


「いや、どうだろうな」


「じゃあ、切ろうかな」


「えええ!? いやいやいや、ちょっと待てって!」


「ほら、好きなんでしょ」


「うーん?」


「じゃあ、別に切ってもいいわね」


「まあ待て待て、落ち着いて考えようぜ」


 雫が切ろうと決意し、ソレに俺が待ったをかけるやり取りがこの後に十回くらい続く。

 基本は険しかったり無表情だったりの雫が、始終楽しそうに意地悪な笑みを浮かべていた。


 何かものすごく疲れた。

 というより、雫の髪なんだから俺に一々言わずに勝手に切ればいいじゃないか。

 何だチクショー、人を混乱させやがって。


「なら勝手に切れば良いだろ、知らね」


「……………」


「……………」


「……………」


「ち、因みにどれくらい切るつもりで?」


「この辺りまで」


 雫は肩のやや上の辺りで指を振る。

 それを見た瞬間に、俺は息を呑んでしまった。

 思わずひゅっ、何て呼吸音が聞こえるくらいに動揺した。

 いや、何で動揺してんねん。

 しかし、それを見た雫が口元を手で隠してくすくす笑う。


「そんな捨てられた子犬みたいな顔するのね」


「そぉんなこと、ない、だろ」


「仕方ないわね。思いつきだから、止められてもやりたいと思う程じゃないし……やめておく」


「ふううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁ―――――――!」


「肺活量」


 正体不明の安堵に肺の中のものが全部出る。

 ゲーム機を放って机の上に突っ伏した。


「それにしても意外ね」


「えー?」


「アンタが長い髪好きなの」


「いや、よく分からんけど。……多分どんな髪型にしても雫なら似合うんだろうけど、何か……こう、雫がその分だけ増えてるって感じするじゃん」


「……へえ、そんなに私が好きなんだ?」


 髪の話ね?

 だが、雫はそんな俺の気持ちを察する事もなく、いいことを聞いたとばかりにほくそ笑んでいる。

 こういう時だけ表情豊かになりやがって。

 裁判所で会おうじゃないか。

 それにしても裁判所って司法だったのか。確か中学の授業にて三位一体というのだと習った気がする。あれ、これも何か違くね?

 いや、裁判所はどうでもいい。

 あの長く綺麗な黒髪が無事で何よりだ。

 雫の髪の長さに拘泥するなんて、自分でも意外には思ってるが、まあ肩の方が好きだけどね。


「雫」


「……?」


「雫は俺が髪切ってどう思った?」


「……そうね」


 雫はしばらく考えた後、険しい視線をこちらに投げかけた。


「取り敢えず、(永守梓を)呪い殺そうと思ったわ」


「…………そっか」


 雫はそれだけ言うと、満足げにキッチンへと向かっていった。

 そろそろ夕食の準備に取り掛かるつもりだろう。

 ううむ、なるほど。





 今日の晩飯で俺、やっぱり呪い殺されるんじゃね?







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