暗躍/俺の何がいけなかった?



 水族館内で瀬良花実は迷走していた。

 大志を見失い、ひたすら探すことに時間を費やす。

 このゴールデンウィークまでの準備に一月を要していたというのに。

 無為に陥りそうな時間に焦燥を掻き立てられる。


「く、どうして…………!」


 悔しさに奥歯を噛む。


 夜柳雫と交流を持つクラスメイト――相森梅雨を買収して、彼女を手足に動いた。

 水族館チケットを用いて雫と大志を誘導し、そこでまず顔合わせで相手大志に印象付ける。

 その作戦は奇しくも大志本人に捻じ曲げられはしたが、後に相森の情報提供で目的地は変わったが動物園で作戦はクリアした。

 予想通り、イメチェンによる劇的な変化は大志に自分を刻みつけるのに成功したのだ。


 次に、大志を別の女子と同行させる。


 その為に、永守梓へと相森とは別の女子を経由してチケットを渡した――しかも同日に予定が入るように。

 永守梓との水族館。

 これだけでも夜柳が動揺すると予測した。

 加えて、自分以外を優先されたならその効果で得る結果ショックは計り知れない。

 大志を奪い合う争いにまで事態を発展させる事なく全て撃退してきた彼女は、悲しくも『敵』という存在についての理解が浅い。


 故に、裏をかく自信が花実には備わっていた。


「それなのに……!」


 普段から理不尽な夜柳が、動揺によってさらに凶暴化すればその被害をいつも受けている大志でも嫌気が差す。

 その暴力に怯えたところを掬い上げる算段だった。


 だが、今日は全てが予定外に動いている。


 永守梓の予定が今日になる事は前々から把握していた。

 夜柳が自らを優先させ、後回しになった永守梓が友人関係である花実の協力者と何気ない雑談でその日取りを口にし、花実に情報が回る。

 後は、この状況で永守梓と少し親密になる事で大志が夜柳以外にも興味関心を持つ、あるいは強める手助けになる効果が望めた。


 その兆候を観察する為に尾行していたが……。


「矢村くん、二人は何処に行ったかな?」


「……………」


 隣の男――綺丞は無言で首を横に振る。

 矢村やむら綺丞きすけ

 中学時代の大志にとって初めての友人であり、彼からは親友と呼ばれている男。花実と大志、綺丞の三人である事が起きるまではいつも一緒に行動していた。

 今回も、その親密度等から作戦で望める効果の一つになり得ると想定したのに、まるで役に立っていない。

 何も分からないという綺丞の様子を花実は白々しいと感じた。


 第一、この男とは万が一に大志と出会した際の言い訳と、予備の作戦が行える道具だった。

 仮にもし見つかっても彼と遊びに来たと言い、そこからなし崩しで大志と合流して遊び、中学時代の話題で大志に深く花実を再認識させる。

 後は、過去の思い出話の団欒による疎外感で永守梓をナチュラルにフェードアウトさせる――これが予備策。

 だが、途中から気づいた。

 綺丞も、何事か裏で動いている。


「矢村くん、本当に何も知らない?」


「……」


 無言で彼はうなずく。

 花実に向ける目がしつこいとでも言いたげな色を浮かべていた。


 敵は二人。

 綺丞、そして彼と連動して動く夜柳の協力者――おそらく大志と会話していた作業服の清掃員である。


 彼女がいなくなってから、大志たちの姿が消えていた。


 一体、何があったのか。


「矢村くん、少しお手洗いに行ってくるね?」


「ん」


 冷静になろう。

 花実は深呼吸してから、少し休むことにした。

 考えるのはそれからでも遅くはない。

 そう思って、トイレへと向かう。





  ※    ※   ※






 一人になったのを見計らって、俺――矢村綺丞に近づく影が一つあった。


「そっちはどう?」


 現れたのは清掃員――たしか実河雲雀。

 声をかけられた俺は、スマホのアプリを起動する。館内の簡易マップが表示され、画面内を動く瀬良のマークを確認した。

 どうやら、言葉通りトイレに直行している。

 流石に疑われてはいるが、俺と離れて大志を探すつもりでは無さそうだ。


 俺は画面を実河へと見せる。


「オッケー。大志も今、ショーを見終わって館内を出たところ。瀬良と大志の発信機が近づく様子も無し」


「……」


「夜柳の指示通りじゃん?」


 実河はにやりと笑う。

 俺からすれば何も面白くない。


「それにしても凄いじゃん」


「……?」


「瀬良と大志につけたGPS、あれ結構値が張るんじゃない?」


 低コストで最低限必要な機能を備えた物だ。

 一時期やった短期バイトの給料を削られてしまったが、仕方が無い。

 一応、気付かれたら出費の意味が無いので水族館内の薄闇に紛れる色で外部分をコーティングし、瀬良の肩掛けバッグ――それもハンカチやティッシュ、財布の入っていない小さいポケットの方へとさり気なく入れておいた。

 大志の物は、実河が付けた物である。

 これで二人の現在地が分かるのは行幸だ。


「アンタも夜柳の友だちなワケ?」


「いや」


 即座に否定した。

 こちらは義妹――矢村扇の学校生活を人質に取られている。

 いもうとは夜柳と同じ高校の新一年生。人間関係も操作するような夜柳の間合いである校内で、俺が背いた場合にどんな立場に立たされるかは、あのバケモノによって決められてしまうのだ。

 大志に似たあのど天然で夜柳からも一定の好感を得ている妹ならばとも考えたが……夜柳は大志以外は割とどうでもいいと切り捨てる。

 頑張る他無い。


「ま、これで漸くバイトに専念できるし。あたしはこれで離脱するけど、引き続き警戒よろ」


「……はあ」


「あ、因みにだけど時間が来たらGPSは暴露して良いって。気づかれても問題ないから監視だけしてろって夜柳から」


「……」


 ああ、本当に趣味が悪い。

 俺はそう思いながら、去っていく実河を見送った。

 俺ももう少しでお役御免、そう思った瞬間に自覚した精神的疲労が尋常ではない。

 帰ったら寝よう。









  ※    ※    ※










「今日は楽しかったぜ、梓ちゃん!」


「私も、楽しかったです」


 水族館を出てから、公園やら色々な場所を巡った。

 俺には馴染みのない町だったから、何処をどう見ても既視感しかなかった。超瀬町どころか家からも滅多矢鱈に出ない俺からすれば、外の景色そのものが珍しくも無いけどさ。

 しかし満足感がある。

 雫とは親しみ深い思い出の積み重ねだが、永守梓との一日は瞬発力のある多幸感。

 隣にいる男をここまで幸せのどん底に突き落とす。

 この子の秘めたる才能が末恐ろしい。 


「言い付け通り、ドキドキさせなかったしな! 俺偉い?」


「ちょっと残念ですけど、偉いです」


 苦笑する永守梓の笑顔は本当にかわいい。

 こんな後輩いたら幸せだろうな。


 会話しながら俺は永守梓をバス停まで送る。

 逆に俺一人の帰宅を心配されたが、来た時のように注意すれば怪我は一つか二つで済む。

 最悪、死んだ時は笑ってくれ。


 バスが近くに見えた時、永守梓は俺に対して軽く頭を下げた。


「それじゃ先輩、また遊びましょう」


「おう! またシルバーウィークに」


 俺がそう言うと、これまた苦笑された。

 あれ、そういう話じゃないの?

 ゴールデンウィークの次だからてっきりシルバーかと思ったが、銀色はお好みでなかったか。

 そんな俺の悩みなんぞ露知らず、永守梓は照れ笑いのような表情を浮かべた。



「そんな先じゃなくても、誘ったらまた一緒にいてくれますか?」



 そりゃ勿論。

 俺が頷くと、彼女は心底嬉しそうだった。

 停車したバスに乗り込み、閉まるドアの窓から手を振る愛らしい姿に俺また手を振り返す。

 そのまま走り去っていくバスを思わず追いかけたくなる可愛さだったが、許せ、いくら俺でも自動車にはニ割の確率でしか勝てん。


 さて、帰るとするか。


 踵を返そうとした俺は、バス停へと向かってくるスラリとした長身の影を見咎めた。

 モデルと見紛うその出で立ちに俺は既視感があり、声を上げた。


「綺丞!」


「ん」


 久しく会う親友――綺丞は、スタスタ淀みない足取りで接近して来ると、シワを伸ばすように俺の服の裾に触れた。

 なんだろうか。

 俺の服にゴミでも付いてたのか?


「それしても久しぶりじゃんかよ!」


「……ああ」


「んで、今日は一人?」


「さっきまで瀬良といた」


「ぅおい! それなら俺誘えよ、昔の面子で集まれるじゃん!」


「二人も面倒は見きれない」


「いや、俺の面倒は見なくても大丈夫だろ。綺丞は本当に雫に似て心配性だぜ」


「…………」


 何故かジト目で見られた。

 さては俺が成長してしまったので寂しくなっているな?

 ははん。

 悪いが二年も経てば人は変わるんだよ。

 …………コイツ、前より身長高くなってね? 何処まで伸びるんだよ。

 俺も身長は百七十六だけど、せめてあと四十センチは欲しいんだよな。そしたら漫画を収納してる本棚の最上段をいちいち見上げなくて済むし。


「元気そうで何よりだ! 良かったら一緒に飯食わねえ?」


 食事に誘ったが首を横に振られた。

 綺丞に見せられたスマホ画面には、雫からのメッセージ通知が表示されている。

 内容は『大志を迎えに行って家まで送って』。

 本当に心配性だ……。


 綺丞が無言で歩き出し、俺は付いていく。

 大きくはなったが、その背中に中学時代を思い出す。

 仲の良かった三人組の時のこと。


「それにしても綺丞に会えて、花ちゃんに会えたなら、久しぶりに中学の面子で集まりたいな」


「色々複雑だけどな」


「えっ、まさかオマエ、俺の知らない二年間で花ちゃんと男女の浪漫的なあれが……無いか。綺丞は俺以外に友だちいなさそうだし」


「…………」


 答えないけど、沈黙は肯定。

 相変わらず綺丞は俺以外とは遊ぶのが苦手らしいな。

 全く、キミは成長がないね。






 何やかんやで家には無事に辿り着いた。

 俺の部屋からは、相変わらず脱出時に使用した連結カーテンが垂れ下がっている。

 玄関から入るか、直で自室に入るか。

 悩みどころだぜ。

 だが、雫もいるだろうし挨拶しておかねば。


「送ってくれてサンキューな、綺丞」


「…………」


「また遊ぼうぜ!」


 綺丞は連結カーテンを見上げて、微かに目を細めた。

 それから俺の肩を優しく叩き、去っていく。

 何かこれから死ぬ人間を労うような優しさだ。


 俺はインターホンを鳴らす。

 しかし、返答は無い。

 あれ、もしかして雫はいないのか?


 仕方なく、俺は自前の鍵で解錠した。

 家の中は静かで、特に何も変わった様子は無い。

 ううむ、本当にいないのかもしれない。

 なら、ゆったりできる。

 楽しかったとはいえ、永守梓との一日の疲労はちゃんと蓄積していた。

 取り敢えず、手を洗ったら居間でゆったり寛ぐか。


 俺は洗面所の扉を開けて中へと入る。


「いやー、しっかし疲れたなぁ」


 そして。



「え…………?」



 タオル一枚で濡れた髪を拭く、雫と遭遇した。

 俺は思わずドアノブを握ったまま固まる。

 そんな俺を雫も凝視したまま動かない。

 居心地悪いが壊し難い沈黙だけが続く。


 どうしたら良いか分からず、俺はスマホで憲武に電話をかけた。


『おう、何だよ?』


「憲武。いま目の前に裸の雫がいるんだけど、どうしたら良い?」


『寝惚けてんのか?――まあ、俺だったら夢でも飛びかかるぜ。またとないチャンスだ』


「飛びかかるって何処に?」


『知らん。好きなところにいけ』


 ぶつりと電話が切られた。

 好きなところに飛び込め――中々に俺のユーモアを問うような発言だ。

 雫は一切の隙が無い。

 こう、手を伸ばした瞬間に蹴られそうな雰囲気がある。

 服を着ていない無防備な状態だからといっ――。



「すけべ」



 ぽす、と。

 顔に半濡れ状態のバスタオルが叩きつけられた。

 雫にしては優しい一撃だな。

 てっきり廊下に叩き出して壁も貫通するくらいの威力を食らうと思っていた。


 俺はタオルを顔から剥ぎ取り、改めて雫を見る。


「雫、ただい――」


「二度見するな」


 ばごん、と。

 今度は腹部に突き足が命中した。

 廊下に叩き出されて、壁に激突する。扉が閉められて、今度こそ雫に怒られたようだ。


 仕方ない、キッチンの流し場で手を洗うか。


 俺はとぼとぼと歩く。

 それにしても我ながら凄まじいスタイルの幼馴染を持ってしまったな。

 自慢しようにも言葉にするのが難しい。


 それはともかく、キッチンで手を洗いながら俺は雫にどう謝ろうか考えていた。

 外出前も結構怒られたからな。

 無断で脱出して来たのは良いが、その後の連絡に全く応答しなかった事だ。

 きっと構って貰えなくて拗ねており、その延長線でキレているに違いない。


 どうやってあやしたものか。


 居間の床に座って考える。

 憲武の助言によれば、飛びかかる事らしい。

 普通に殴り飛ばされるだけだが、それで解決するのだろうか。


「それで、遺言は?」


 いつの間にか隣に雫が立っていた。

 可愛らしい寝間着に着替えている。


「ただいま、雫」


「呑気に挨拶できる図太さだけは見上げたものね」


「挨拶は大事だろ」


 雫が隣に座って俺を睨む。

 ヤバいな、これはかなり腹の虫の居所が悪いように見えて良いらしい。


「それで、何か言うことは?」


「梓ちゃんとのデートが楽しかった」


「死にたいわけ?」


「あと綺丞とか雲雀にも会ったぞ。シロイルカがスケベだった!」


「…………………………………」


「あー、後はこれ」


 俺はポケットから未開封のシャチのストラップを差し出す。

 訝しげな雫は、それを受け取って目の前に垂らした。


「これは?」


「雫用に買ったやつ。俺と梓ちゃんでお揃いのシロイルカのストラップを買ったんだけ「はあ?」…………うん?」


「……………本当、最低なヤツ」


 雫が膝を抱えると、その中に顔を埋めて深いため息をついた。


「大志」


「ん?」


「私が他の男とデートして、笑顔で帰って来たらどう思う?」


「…………? 家に帰って安心してるのかなって思うぞ」


「そういう話じゃない」


 雫がちら、と膝に埋めた顔を少し上げて俺の顔を除く。



「大志が他の女と遊ぶの、イヤ」



 その一言に俺は驚いて一瞬だけ固まった。

 何か、こう、ね?

 普段から大人っぽいし色っぽいとは思うが、今のは何かこう、体の芯にズンと来るような感じが……。


「それじゃ俺、一生恋人ができないまま雫と結婚することになるんだけど」


「それが幸せでしょ」


「……そうか、男ならアリか!」


「嫌」


「えええ、もう四方塞がりじゃん。じゃあ、もう雫が恋人になってくれよ、メンドくさい」


 ヤケになって俺はそう言った。


「他に目移りしないって約束するなら、いいよ」


 雫もそんな風に返してくる。

 ああ、やっぱり――。


「じゃあ無理だな!」


「…………」


「取り敢えずお腹空いたんだけど、今日の晩飯って何?」


「……………」


「雫? おーい、雫?」



 その日、雫は口を利いてくれなくなった。












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