水族館!……で死ぬってどゆこと?



 両親が帰宅する前日。

 俺は息抜きに水族館へと訪れていた。

 気紛れで足を運んだのではなく、ちゃんとした約束があってこの場に足を運んだ。

 最近は雫と花ちゃんばかりで疲れていたところだからな。

 今日は目一杯癒やされようじゃないか。


 俺は現在、入口付近で待機している。

 入館する者の列が出来ており、チケットを予め用意していなかったらあの中で燻っていた事だろう。

 全てに於いて感謝せねば。

 そう――。



「先輩!――お待たせしましたっ」



 久しぶりの、永守梓に!

 ポニーテール姿で現れ、白のブラウスと青いスカート姿で現れた後輩少女に一瞬で心が洗われた気がした。

 うん、ザ・女の子だ。

 パソコンやスマホと一緒で、夜柳雫という美女を長時間見ていると目の保養を通り越して眼精疲労に繋がるのだ。

 こういう美少女での息抜きも必要である。

 あれ、目が痛い。


「ごめんなさい、凄く待ちました?」


「楽しみで一時間前に来てただけだ。気にするな」


「ちょっと休憩します?」


「いま全てが報われた気がするから大丈夫だ」


「んん?」


 ここに来るまでも苦労が多かった。

 何故って?

 事故らないよう珍しく注意して来たら、何と自転車を避けようと飛んで壁にぶつかった以外の怪我が無かったのである。

 ただ、その分は精神的に消耗した。


 後は家を出る前のいざこざだ。


 阻止しようとする雫を相手に戦ったあの時間は、生涯でも高校受験より厳しく苛烈だった。

 正攻法では無理なので二階の窓からカーテンを結んでロープにする手段で家を脱出し、ここまで来たのだ。

 ふっ。

 スマホの通知が鳴り止まない。

 おそらく雫だろうが、そんなもん気にせんわ!

 俺はそっと通知オフに設定を切り替える。


「でも先輩、テスト勉強で忙しいから遊べないって言ってましたけど……本当に大丈夫ですか?」


 ふ、俺の心配か。

 本当にいい子だな、永守梓は。

 雫なんてもう勉強したくないって言ったら『地獄に落ちろ』って言うし、憲武は勉強してるかメッセージアプリで聞いたら『今友だちとゲーム合宿中』とか遺言を返して来た。


 知り合いでもまともに勉強してるの俺だけ。

 孤独と戦い、疲弊しきった俺を労ってくれたのは永守梓だけである。

 こんなにいい子、見たことない!


「さて、楽しもうか梓ちゃん!」


「はい!……あの、先輩」


「ん?」


「帰りに美容院に寄りませんか?」


「何で?」


「先輩、会った時より髪が伸びて前が見えにくいと思うんですよ」


「たしかに、ほぼ目の前にシャッター降りてるし目の下チクチクして痒いけど何も問題を感じないぞ?」


「充分感じてますね」


 永守梓は腕時計を見る。

 時間は十時になったばかり――それを確認した彼女は、意を決したような表情で俺を見上げた。

 無言で俺の手を掴むと、何処ぞへと引っ張って行く。

 あれ、水族館は?

 ワニは?ライオンは?キツネは?


「まずは先輩のイメチェンです!」


「チェンジするとどうなんの?」


「前がはっきりと見えます」


「なるほど、そりゃ良い!」


 逆に何で今までやってこなかったんだろう。

 雫には丁度良く切って貰ってたし、必要時は前髪を後ろに撫で付けてたので見えない事は無いのだが、永守梓に即行で却下された。


 そのまま彼女がリサーチした近場の美容院へと俺は運送された。


 あれよあれよという間にシートに座らされ、何か気のいいお姉さんに背後から鋏で襲いかかられる。

 美容院って初めて来たな。

 雫に頼ってたから一度も来たことがない。


 あれだけ長かった前髪が切り落とされると、風がさっと目に吹き込んで思わず目を瞑る。

 か、乾く!喉が乾く!


「はーい、顎を引いてね」


「あい」


「しゃくるんじゃないよ、顎を引くの」


 お姉さんの指示に従いながらシートの上で待つこと三年に思えた四十分後。

 遂に散髪が終わった。

 目元が痒くない、涼しい。

 いつもより伊達メガネ越しに見える景色が鮮明に思えた。


 俺は待機中の梓の下へと向かう。


「待たせたな、梓ちゃん」


「あ、はい。どうでし――」


 ファッション雑誌を読んで休憩スペースにいた永守梓は、こちらを振り向いた途端に口をあんぐり開けたまま固まった。

 どうやら彼女も伊達メガネ越しに俺の瞳が鮮明に見えて驚いているようだ。


「せ、先輩の顔って意外と……」


「顔? 目じゃなくて?」


「先輩って、どうして髪を切らなかったんですか?」


「いや? いつも雫に切って貰ってるぞ」


「……なるほど」


 そこから永守梓は一人得心顔だった。

 なんだろうか、やはり雫の方が上手いとでも言いたいのかもしれない。

 まあ、切って貰ってる最中の俺は鋏を入れられる盆栽になりきってるので、上手い下手は全然知らんけど。


「夜柳先輩が隠す理由もわかります。イケメンと断言できないけど、ちょっと良いなって感じがしますから」


「……? それより、早く水族館に行こうぜ!」


「そうですね!」


 俺と永守梓は改めて水族館へと向かった。

 これで今ならライオンの雄々しい姿もはっきりと観察できそうだ!


「ライオンはいませんよ?」


 ………………水族館に行きたくなくなってきた。



 だが、そんな後ろ向きな事を考えても今更である。



 水族館に入り、俺と永守梓は水槽内だけが照明された薄暗い通路の中を歩いていく。

 お、何だろうアレ。

 エビとザリガニの中間みたいなのがいる。

 思わずかっこいいと口にしてしまう造形に見入っていると、永守梓がそんな俺を微笑んで見守っていた。

 いやいや、雫といい何で俺の方を見るの?

 目の前に陸の生き物がいるでしょうが。


「梓ちゃん、俺見て面白い?」


「はい。何か可愛くて」


「かわ?」


「目をキラキラさせて見たり、あっち行ったりこっち行ったり忙しない様子が何か子供っぽいというか子犬っぽいというか」


「まだまだ若いってこと?」


「あー。うん、はい」


 真面目に答えて、梓ちゃん。

 しかし、子犬っぽいとか忙しないとか聞くと何だかやはり幼児扱いをされている気がする。

 雫もそんな感じで俺を見ていたのだろうか。

 大人っぽくなろう。

 とりあえず、紅茶が美味しいと感じられるようにならなければ。


「マンボウですね」


「たしか七十二億人も産む魚だっけ」


「億桁の産卵はしますけど人は産みませんよ」


 そうだったっけ。

 中学の理科の教科書の雑学部分にそんなのが載ってたが、目から鱗が剥げるほどの衝撃を受けた覚えがある。

 億桁の産卵はするのか。

 スケールが凄すぎてよく分からない。

 少なくとも俺だったら絶対に無理だ。


「デカい割に平たい体だ」


「ちょっと面白いですね」


「あれ、フグの仲間って書いてある。え、マジで? あのメッチャ針出てるヤツのデカいバージョンなの?」


「それハリセンボンですね。でも、ハリセンボンもフグの仲間に分類されてますよ」


「じゃあ、コイツも破裂するのか」


「何を想像したんですか?」


 ほら、アレだよ。

 追い詰められると毒液を撒き散らしながら卵も撒いて自爆する魚だよ、名前は思い出せないけど。

 そうか、おまえもフグの仲間だったか。

 魚卵って、確かイクラだよな。――ということは、コイツ一匹で幾らでも食い放題なんじゃないのか?


「でも残念ですよね」


「ん?」


「億を超える数を産んでも生き残るのはほんの一握りで、それ以外は食べられちゃうそうです。他を生かす為の生存戦略の一つ、なんでしょうけど」


「そりゃ美味しいからね」


 俺も魚だったらめっちゃ食うかな。

 でも海の中には雫並に凶暴な物もいるらしいから危険地帯だ。特にホオジロザメとかシャチなんかは、雫を見ているようで微笑ましく思えてしまう。

 海は危険、俺じゃ生きていけない。


 永守梓は――小魚っぽい。


 イソギンチャクに隠れてるやつ。

 ほら、熊の爪みたいな名前の。


「先輩ってイルカに似てますよね」


「イルカ?」


「人懐っこかったり、飛び跳ねたり」


「俺あんまり飛び跳ねてないよ? 雫にも危ないから体育以外で走るなって言われてるし」


 でもイルカって可愛いよな。

 魚の中だと一番と言っていい。


「でも、イルカは魚じゃないから……うーん、魚に例えると」


「え、イルカって魚じゃないの?」


「はい、クジラとかシャチと一緒で哺乳類ですから」


「マジで???」


 嘘じゃん。

 じゃあ、俺とイルカって親戚なのか。

 これかなり凄い事だろ、ゴールデンウィーク明けに学校の皆に自慢してやろう。


 しかし、マンボウだけで盛り上がれるとか俺と梓ちゃんはかなり気が合うのかもしれない。

 次のスペースには、水中を優雅に泳ぐネコザメがいた。

 猫……ネコ、どこが??

 何処をどう見ても猫要素が皆無なのだが。

 むしろ焼いた半平みたいな感じである。


 しかし、サメということは人も食うのだろうか。


「ネコザメ、可愛いですね」


「かわいい、のか?」


「はい、大人しいので飼う人もいるみたいですね。主食はサザエ……硬い殻も割って食べるって凄いですね」


「貝殻って旨いの?」


「いえ、食べるのは殻じゃなくて」


 永守梓が苦笑しながら説明する。

 何故か最後に「貝殻は食べちゃいけません、口の中が切れちゃいます」と注意された。幾らアホだからってそんな事はしない。

 どうやら相当に侮られているようだな。

 だがお生憎様。

 俺がそうなる前に雫が止めてくれるから、断じてそんな事にはならない!!



「あれ、大志じゃん」



 んぁ?

 呼ばれた声に振り向くと、清掃員用の作業服に身を包んだ実河雲雀が立っていた。

 何かサマになっていてかっこいい。

 帽子をくい、と上げる仕草かっこいい。


「おお、雲雀じゃん! 四ヶ月ぶり!」


「アンタと知り合ってまだ一月くらいなんだケド。何処の世界線のあたしと会ったのソレ」


「先輩、このお方はまさか」


「そう! 実河雲雀! 俺のゲーム友だちでメチャメチャ良いヤツなんだぜ!」


「べた褒めやめろし」


 雲雀さん、クールに照れるのかっこいい。

 帽子で顔ちょっと隠すのかっこいい。


「ところで、雲雀はまさかバイト?」


「ま、清掃専門だけどね。たまにペンギンに餌やれるから楽しんでる」


「実河先輩バイトしてるんだ……」


 ああ、そっか。

 確か雫と同じ学校に通っているから、永守梓の先輩という事になる。


「あれ、でも私たちの学校ってバイト禁止じゃ?」


「ちゃんと学校に申請すればある程度は認めて貰える。ま、掛け持ちしてるのは他言無用で」


 相変わらず忙しそうだ。

 俺も興味あるし、バイトでも始めようかな。

 でも、そもそも何に興味があるか。

 火には危ないから近付くなって雫に言われてるから飲食店はまず無理だし、そうなると雲雀みたいに清掃か?


「大志は……デート?」


「おうよ」


「程々にしないと夜柳にシメられるよ」


「何で? まあ、いつも絞められてるから大丈夫だぞ」


「ま、アンタが死なないようにあたしが夜柳に連絡入れといてあげるから、気ままに過ごしな」


「サンキュー! ……死ぬってどゆこと?」


 手を振って雲雀は去っていく。

 どうして他の女の子と遊ぶと俺が雫に殺されるのだろうか。


 帰って訊いてみよう。



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