勉強、捗ってね?



 ゴールデンウィーク。

 名前だけ聞くと、何が金色って感じだ。

 四月末から五月初旬辺りに連続する祝日によって連休となるからそう呼称されているらしい。シルバーウィークとかブロンズウィークとかあるそうだが、もしかしてダイヤモンドウィークとかあるかな。

 ともあれ、俺はこの休日を遊んで過ごせない。

 理由は単純だ、日頃から勉強してないからテストの為の準備で忙しくなった。

 後は、四日後に海外に行っている両親が帰って来る。

 それくらいしかイベントも無い。 


 そんなゴールデンウィーク改め、テスト強化習慣が始まる。


 スタートダッシュは成功させたい。

 そんな意気込みで挑んだ俺は、早くも挫けかけていた。


「雫ー?」


「なに」


「呼んでみただけ」


「気持ち悪」


 リビングで雫と向かい合って勉強していた。――数分前まで。

 今では、雫が俺の胡座の膝上に頭を乗せて横たわっている。

 本当に綺麗な黒髪だ。

 この前見た綺麗な女の人のよりゴプッ!


「別の女のことを考えるなんて余裕みたいね」


「いや? 結構ギリギリだけど」


 やはり俺の思考は読めるらしい。

 あの後、俺のスマホから赤面したまま失神する動物園の雫の画像は削除されていた。

 まあ、恥ずかしかったのだろう。

 俺だって歯磨きしてる時の写真を撮られたら恥ずかしい。


 でも、惜しいなあ。

 滅多に見られない雫の表情だった。


 あれ以来、ハグをしても動じる事は少なくなった。

 何事も慣れとは恐ろしい物だ。

 雫からしてくる機会は無いが、効果が薄いと楽しくない。

 女性が驚くサプライズ……スカートめくり、は雫にやってはいけないって教えられたし、プロレス技も雫相手だと反撃カウンターを食らう。

 他に何があるだろうか。


「また下らないこと考えてる」


「何で毎回分かるんだよ?」


「そういう顔してるのよ」


「カッコいい?」


 無視された。

 それより、いつになったら彼女は膝から退くのだろうか。

 数分前に退いてくれと頼んだのだが、一向に頭を上げる素振りがない。


「駄目だ、全然集中できない」


「いつもゲームで発揮している物を勉強に使うだけよ」


「簡単に言うけど、どうやってやるんだよ。消しゴム頭に乗せてやらなきゃ俺は集中できないんだぞ」


「…………」


 そう言うと雫がおもむろに俺の消しゴムを頭の上に乗せてきた。

 いや、だからね?

 そう簡単にできたら苦労しないっての。

 俺は雫の行動に呆れながら、再び参考書の問題に向き直った。








 ――――気付いたら三時間も経過していた。


 俺が解いたとは思えない問題量と成果がきっかりノートに記されている。端々では雫が赤ペンで採点し、留意点をコミカルな絵で書き足してくれていた。

 解いた問題や、その過程で学んだ解き方は頭の中にしっかり入っている。


 ぽとり、と頭の上から消しゴムが落ちる。


 駄目だ、全く集中できていない。

 このままではテストも不安だ。


「本当に集中したわね」


「いや、出来てないだろ」


 雫は俺を過大評価している。

 いつもは幼児扱いするくせに、こういう時に限っておだてる事でやる気を引き出そうとしている。

 そんな無意味な事をしたって、俺があと二時間集中して頑張れるくらいしか効果は望めない。


 ただでさえ大好きな両親も帰って来るゴールデンウィークは、テスト勉強だけに専心する余裕が無いというのに、これでは赤点は免れない。


 どうにかして集中しないと。

 雫の教え方は良いとしても、俺自身のモーションが大切だ。違う、最近雫に教えて貰ったけどモチベーションだっけ。


 花ちゃんは妨害要素にしかならなかった。

 綺丞は思い出話になって恐らく勉強に手が付かない。

 どうしたら、どうしたら……!


「大志、間食にパンは要る?」


「要らない」


「じゃあ、その手は何?」


 俺の手は口に反して雫の手からパンを受け取っていた。

 く、クロワッサン!

 勉強しなきゃいけないのに食事する手が止まらない。

 その間に雫が口にする英単語とその意味がすらすら頭に入ってくる。

 くそ、こんなんじゃ駄目だ………!


「雫、俺を甘やかすのもいい加減にしてくれ」


「これも食べなさい」


「あーむ。……くそ、きっと俺は週明けのテストで地獄を見るんだ!!」


「『sympathize』の意味は?」


「『同情する』。……こんなので本当に前回の平均点を超えられるのかよ」


「今のところ容易ね」


「何処が!?」


 駄目だ、今回の雫はおかしい。

 俺の学力への見立てが甘いような気がする。

 やはり他の人間に頼むしか無いのか。

 でも、正直に言って頭の良い知り合いなんて校内にいないし、それ以外は脇道に逸れるばかりで勉強なんて話にもならない!


 きっと赤点になる。

 補習地獄になるんだ、きっと。

 憲武と一緒に嫌いな先生の声を延々と聞く地獄の時間が始まるのだ。


 暗澹とした未来に焦り、俺が歯軋りしていると雫が俺の頭を参考書で小突いてきた。

 角が刺さって意外と心地いい。


「何だよ」


「パン、美味しい?」


「絶品だコノヤロウ」


「……少し休憩」


 さっと、雫が机の上に置いてあった俺の参考書などを閉じて自分の隣の床へと重ねていく。俺から遠ざけるように置かれたそれらへ伸びた手に、いつの間にかパンが掴まされていた。

 くそったれ、美味い。


「……雫、すまん」


「何が」


「イライラして、少し雫に八つ当たりしちまった」


「いつものウザさに比べたら別に」


「詫びと言ってはなんだけど、俺に何かして欲しい事とかはある?」


「して欲しい……?」


 雫はおとがいに指を当てて考え込む。

 我ながら態度が悪かったので、雫の労苦に報いる何かをしたいのだが、そんなに考えなきゃいけないほど案が出ないのなら別に後でも良いんだが…………。


「大志が私にしたい事は?」


「えっ、何で俺?」


「思いつく事が無いからよ。私の為に何かしたいと思うなら、下らなくても良いから考えつくことをやってみなさい」


「何か下から目線だな……」


 やりたい事、とは雫を労る事だ。

 例えば……。


「肩揉みさせてくれ」


「は?」


「普段世話になってるし。な?」


 そう言うと雫が怪訝な顔をしながら俺に背中を向ける。

 長い黒髪を退けて、俺は肩甲骨周りに重点を置いて揉んでいく。

 や、柔らかい筋肉だ……!

 アスリートが言う良質な筋肉は、柔らかい筋肉だとか言ってるネット記事があったけど本当だったんだな!


「んっ、……そこ、はぁっ」


「痒いところは無いか?」


「肩、揉みっ……でしょ……ん」


「背骨周りも揉み込んで、っと……」


「んぅ、何か、揉み方、変……!」


 揉み方が変ってどういう事だ。

 少し気になって調べたら、黒とピンクを基調にしたサイトのホームページが出てきて、そこに記載されたマッサージ法を記憶していたので今ここで実践しているのだが。

 やはり一朝一夕で身に付く物じゃないな。

 俺もまだ未熟だってか。


 最後に血行が良くなるよう肩を少し強めに撫でて、完了。


「よし、いいぞ」


「……ありがと」


 雫が肩越しにこちらを振り返る。

 潤んだ瞳と視線が合って、俺は違和感を覚えた。

 上気した頬は運動後のようで、呼吸も少し乱れている。


「肩揉みされてただけのに何でそんな疲れた顔してんだ?」


「……ばか」


「じゃあ、次は腰のマッサーおごぉッ!?」


 雫の振り上げられた踵が顎を突き上げた。

 思わず変な声を上げて、俺は床に倒れる。


「もうマッサージは良いから」


「あい」


「ねえ」


「ん?」


「一つ思いついたんだけど、アンタ本当に叶えてくれるの?」


「ああ、俺が嫌な事じゃなければ!」


「……………」


 雫は自身の隣の床を叩く。

 呼ばれているのかと思って、俺はそこに腰を下ろして胡座を掻いた。

 すると、その膝上に雫が座る。

 ……………ん?

 何でここに来た?


 意図が分からず、雫を見つめてみる。

 彼女は俺に体を委ねるように凭れかかってきた。



「しばらく、このままでいさせて」



 雫にそう告げられて、俺は仕方なく何もせず彼女の言う通りにする。

 そこでふと、思い至った。


 ……………………あれ、勉強捗ってね?






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