朝、目が覚めたら人権を失っていた
「馬鹿な…………そんな馬鹿な!」
俺は今、窮地に立たされていた。
それは――定期考査だ!
学生ならば避けては通れない道であり、義務教育を過ぎた俺たちは、ここで赤点などを取って成績不良になると留年の懸念すらある。
でも、今まで俺にとってそれは苦ではなかった。
勉強に集中できる環境ができると、俺はとことん打ち込める。雫に色んな物を取り上げられる苦痛は伴うのだが。
受験シーズンも、中学三年の夏休み後というスロースタートを切りながらも、この男子校にトップの成績で入学試験を突破したのは、こういった対策のお蔭だ。
それに加え、勉強で困ったら雫が教えてくれる。
だから勉強で悩んだ事はほとんど無い。
だが、今回はこれまでと
それは――。
「去年の最終定期考査の全教科平均点を超えないと赤点確定……………!?」
朝のホームルームで教師に宣告された内容に学校中が震撼していたのだ。
事の経緯を説明しよう。
この男子校、偏差値は平均よりやや下で通う連中はアホだという共通認識が超瀬町どころか他の町の学生にも周知されている。
ただ、最初からそうだったわけじゃない。
何なら平成以降に創設された当初は、隣の偏差値上位の女子校に遜色ないレベルだったらしい。
年々悪くなる校風と偏差値。
これを鑑みた教師陣が外部からの悪印象を払拭すべく、強硬策に打って出た。
それこそ『去年の最終定期考査の平均点を超えないと赤点』という皆にとっての地獄の開幕に繋がっている。
今年から入学する一年生は勿論免除だが、二年生と三年生に適用されるというのは何とも拷問だ。
「ありえねぇ、ありえねぇよ!」
後ろの席では憲武が震えている。
そうだろうな。
俺も怖くて欠伸しか出ない。
「これは学生基準法に則ってストライキすべきだな!」
「そんな法律あったっけ?」
「まずは作るところからだな」
「道は険しい…………!」
教室内は休憩時間だというのに阿鼻叫喚の地獄と化していた。
しかし、俺は特に心配していない。
去年の学年最終定期考査――つまり学期末試験にて、実は雫の助力…………ゲーム没収及びマンツーマン指導により学年トップだった。
それに比べて、去年度の最終考査で打ち出された学年平均点は遥かに下。雫には珍しく褒められて、結果が出た日の晩飯をちょっと豪華にしてくれた。
そう。
今回だって雫に助けを求める気満々の俺は、自信たっぷりでこの事態を特に憂慮していない。
やってて良いのが、夜柳雫式の勉強法。
俺は既に必勝法が確立されているのだ、最終考査など恐るるに足らず。
「大志、今まで楽しかったよ…………お互い来年も高校二年生で頑張ろうな」
「俺は余裕だし、大丈夫」
「はー? そんな事言っていいのか?」
憲武がへらへらと卑しい笑みを浮かべる。
どうした、普段から台無しな男前の顔がいつにも増して汚いぞ。
「オマエ、幼馴染離れするって話だったよな? ……夜柳さんに頼ってて良いのか?」
「っ……!?」
憲武の言葉に、俺は落雷に打たれたような気分だった。
今年は自立を、と強く意識してスタートした年に迎える最初の試験に対し、例年通り雫に依存した戦法で挑もうとしている。
何と恥ずべき惰性!
雫離れを謳うならば、俺は雫に頼らず試験に挑まなければならないのだ。
「そ、そんな! で、でも赤点なんて取ったらそれこそ雫が心配する!」
そう。
雫が俺離れできる……かはあの難儀な趣味で分からないが、少なくとも学生生活は自己責任だから心配をかけたくない。というか、学生生活まで雫に口出しされたらいよいよ俺の自由が無くなる。
もう先生なんて要らないよね、勉強に興味があるなら私が教えれば解決――とか言って退学させられそうだ。
「くそ、どうすれば……!」
俺が震え上がっていると、メッセージアプリの通知音が鳴る。
取り出したスマホのホーム画面には、雫からのメッセージだと表示されていた。
『大志。そろそろテスト週間でしょ?』
『はい』
『わかっていると思うけど、今まで通り娯楽の類は没収ね』
死刑宣告が始まった。
しかも、この話の流れだと俺の勉強を見る気である。
『今年さ、去年の学年末試験の学年平均点を超えないと赤点認定されるらしい』
『行くところまで行ったわね、アンタの高校』
『そうなの』
『なら、いつも通り私と勉強すれば問題ない』
『嫌だ』
『は?』
『俺は雫無しじゃ基本的に生きていけないのは半分より少ないくらいには理解してるけど、勉強に関しては自己責任だろ!? 今回は雫以外で頑張ってみるつもりだ』
『私より学校の先生が教えた方が良いってこと? それは私への宣戦布告?』
何かよく分からんことを言い出した。
相変わらず血の気の多い子だ、すぐ幼馴染と戦端を開こうとする。
だが、俺の決意は豆腐より硬い。
今回ばかりは、雫に頼らない努力をする所存だ。……が、しずの助力が乞えないとなると一から得点を取れる勉強法を見つけなくてはならない。
勉強法、勉強法、勉強法……。
テストの答えを職員から回収、は無理があるな。放課後、先生にマンツーマンで教えを乞う、のもさっきの雫の様子を見ると
でも、俺一人だとかなりキツイよな。
先生は駄目、雫は駄目、隣の家の婆ちゃんは旅行中、向かい側の家はそもそも話した事すら無いしなぁ。
うーん、友だちに教えてもらうとかは――。
俺は周囲を見渡して、ものの一秒も要さず無理だと断念した。
他に友だち……別の誰か頭のいい人間に教えて貰うとか?
取り敢えず、何としても赤点は回避したい。
一度の赤点で補習なんて受けたらゲームは出来ない上に、これが積み重なって成績不審となり留年、それがストレスで最悪は退学なんてして最悪の未来すらあり得る。
そんなヤツの面倒を雫が……………見そうだな。
いや、ここへの進学を勧めたのが雫だし、流石に退学したら流石に見限られるか。
むしろ、それが俺離れできる良い契機となるんじゃ?
『取り敢えず、今晩までに自分の解らない所だけでも確認しておいて。私がそこを徹底指導するから』
優しすぎか、俺の幼馴染。
今まで血も鼻水も無い人間とか言ってた自分を殴りたくなる!
でも、頼れない!
「大志、どした?」
呑気な憲武が尋ねてくる。
「取り敢えず、今回は雫に頼らず他の人に勉強を教えて貰う方針を固めたところだ」
「やっとか。これまで楽してきた分テメェは一回地獄見ろ」
「ひでぇ」
「でも、このままだと俺もヤベーからな」
「頭が良い人、頭の良い人……ん?」
身近にアホしかいないのでいくら考えても思い当たる人物が浮かばずに苦悩していると、スマホに新たな通知が入った。
また雫からの追加連絡だろうか。
内容を開くと。
『大志くん。よかったら今度遊ばない?』
あ、花ちゃんか。
花ちゃんは確か、隣町の優秀な進学校に入学していたな。
彼女の現在の学力は把握していないが、このタイミングとなれば幸運の兆しかもしれない。
『花ちゃん、勉強教えてくれ』
『勉強?』
『実は角張って鹿が鹿で』
『かくかくしかじか、かな? ごめん、ちゃんと説明してね』
『実は去年の学年末考査の学年全教科平均点を超えないと赤点になるという地獄が降誕してしまって』
『そんな事する学校あるんだ……』
『花ちゃん。丁度良いし勉強会とかしない?』
『うん。良いよ』
よし、第二の伝手ゲッチュ。
花ちゃんの実力が未知数なままだが、少なくとも俺より成績悪いわけがないから大丈夫な筈だ。
ついでに、試験勉強で忙しくなるから永守梓には水族館の件を断っておこうかな。
そんな事を考えつつ、俺はこれから始まる地獄脱却の為に頑張ると決意したような気がする。
そんな決意を程よく固めた翌朝である。
「ううむ、何故だ」
おはよう、今日の小野大志だ。
今朝は五時に目覚めるという珍しい起床となっている。
気分が良いので、このまま早めの独り登校をしてやろうかとベッドから起き上がろうとしたのだが、未だに俺はここから出られない。
その理由こそ、むしろ俺が起きた理由でもある。
手首にまとわり付く違和感……。
「いつの間にこんな物が」
俺の両手両足に手枷が嵌められていた。
鎖がベッドに繋がれていて、今も大の字で寝ている。
この状態から動けないのでニ度寝、三度寝くらいはしてるのだが状況が変わることはない。そろそろトイレに行きたい。
もうすぐ七時、雫が起こしに来る時間だが……。
「おはよう大志」
来た。
扉を開けるや涼し気な顔で俺を見つめながら、ベッドのサイドテーブルへとトレイに載せた朝食を置く。
え、何これ?
まるで、病院の患者対応に似た状況だ。
「雫。動けないんだけどコレ、誰の仕業?」
「問題ある?」
「無いけど」
「なら大人しくしてて」
雫は語らない。
いや、だから誰なんだ……ベッドに俺を縛り付けたヤツは!?
この家には雫か俺しか入れない筈なのだ。雫がこれを見ても動揺せず、あえてそのままにしているのは普段から言う事を聞かない俺への制裁のつもりで放置している可能性がある。
いやいやいや、動きを封じるならば、雫は鎖なんて使わず俺の手足を切り落としている。
甘いな、雫の方がもっと凄い!
しかし、そうは言ってもこの状況で居続けるのは危険だ。主に、さっきから悲鳴を上げている膀胱を労りたい。
とりあえず、適当な事を言ってこの拘束から脱するのだ。
「雫。トイレ行きたい」
「分かった」
雫が懐から鍵を取り出す。
え、なんで??
そのまま俺の手枷と足枷についた鍵穴にそれを挿し込むと、かちりと音が鳴る。
なるほど――マスターキーとかいうやつだな?
雫の事だから、あらゆる手枷足枷に通用する鍵を所持していてもおかしくない。何処かの誰かさんである犯人が如何に鎖や手枷を用意したって、いつでも救い出せるからこその落ち着き払った態度だったのだ。
我が幼馴染ながら凄まじいぜ。
「ありがと、雫!」
「早く済ませてくれば?」
解き放たれた俺は即座にトイレに直行した。
言う通り、急いで用を足して部屋へと戻る。
「はい、おいで」
雫がぽんぽんとベッドの上を叩くのでそこに戻ると、雫によって右手、左手、右足、左足の順に外されていた枷がまた嵌められた。
………………………………………??
「ほら、早く食べて」
「おう、分かった?」
雫がスプーンで掬った朝食をあ~んしてくれる。
俺はありがたく食べるのだが、イマイチ状況が解らない。
ん?
なぜ俺はまた縛られているんだ?
「雫。俺は何で縛られてんだ?」
「私を怒らせたからじゃない?」
「雫を?」
雫を怒らせたら何故縛られるのだろう。
まさか、雫を怒らせた事でファンクラブの怒りを間接的に買い、夜の内に拘束されたのかもしれない。
そして、鍵は彼女に委ねられた。
我ながら名推理だな。
しかし、雫が怒るって何だ?
昨日はそんなにお馬鹿な事もしていない。
何故だろう、どうしてだろう。
俺は昨日の記憶を思い返すことにした。
夕方に雫が帰宅するまで俺はゲームに没頭していた。
テストへの危機感が忘れられる気分転換になって丁度良かったからだ。
「大志。今日からコレ没収」
「おあ!?」
ゲームの電源を切られて俺は悲鳴を上げた。
まだセーブしてないのに!
後少しでラスボスだったのに、また最初からやり直す事になってしまった。俺は一度もセーブせずにボスまで一気呵成?で挑むのが趣味なので、積み上げた努力一瞬にして水泡に帰した気分だ。
俺は思わず雫を睨む。
すると雫が微笑んだので、取り敢えず許すことにした。
「ここからテスト期間まで詰めるから」
「いや、だから雫に頼らないって」
「教えて貰う立場なら、何かお返しして欲しいところだけど」
「本当に人の話を聞かないやつだな。俺はガッカリだゲプァッ!!?」
何故か思い切り殴られた。
激しく左右に揺れる視界の中に雫を捉えつつ、俺は痛む頬を擦って雫に言葉を続けた。
「お返しと言われても、雫は何が欲しいかわからないし」
雫は意外と洋服を買うのが好きなので、よく一人で買い物もいっている。
プレゼントとしては、いいのかも。
しかし、俺が服をプレゼントするにしても、正直言ってファッションについては流行に乗れていない。因みに俺が服を購入する時は、何故か雫が同伴して何回も試着を重ねながら彼女に感想を求めて購入に至る。
曰く『私が良しと言うまで買うな』。
俺のファッションセンスが駄目とかで、雫の審美眼にいつも頼っている。
独力じゃ、プレゼントは無理だ。
料理…………雫の方が上手いしな。
ゲーム…………はそも興味が無いだろう。
ううむ。
「雫は何が欲しいんだよ」
もう思考がメンド臭いので直接聞いた。
すると、雫は暫く考え込む。
やはり、本人も報酬と言いながらそこまでの願望は無いらしい。
少ししてから、雫は俺に体の正面を向けた。
やや照れくさそうに、顔だけは背けつつ両腕を広げる。
「ハグ、して」
少し小さな声で願いを口にする。
ふむ、動物園のことでハグの味をしめたらしい。ハグの味って何だ、甘いのか?
俺は要望に答えるべく、雫と抱擁を交わす。
柔らかい。
いい匂い。
温かい。
何か色んな物に包まれて脳内がプラムタルト崩壊してきた。あれ、何か違うような気がするが、そんな感じだ。
ぐりぐりと、雫が俺の体に身を擦り寄せる。
「どう?」
「ん…………満足」
ぱっと離れると、雫は無表情だ。
そうか、勉強を教えるのにハグで返すのが礼儀か。
そうなると……………。
「じゃあ、花ちゃんにもハグしないとな」
「は?」
「ん? ああ、雫が駄目なら花ちゃんにって事で、連絡したら勉強教えて貰うことなったんだ。明日、ショッピングモールの地下のフードコートで一緒にやるつもりだぜ」
俺が告げた内容に、雫は微笑むだけだった。
胡散臭い笑顔のまま、しばしの沈黙が流れる。
それから雫と一緒に夕飯を食べ、今夜は雫と遊ぼうと思って誘おうとしたが黙殺された。。
夜も口を利いてくれず、そのまま就寝となった。
そして、現在。
さて、ここまで思い返したが。
「ううむ。思い当たる節が無い」
俺には全く非が無いし、雫が怒る理由もない。
しかし、それにしたってこの拘束はあんまりじゃないか。
これでは俺に人権が無い。
「雫、これって人権シンガイじゃねえの?」
「安心しなさい。アンタの人権は私が握ってるから」
「あ、そう」
俺の人権は雫の物?らしい。
ならば安心だ。
几帳面な雫は物を失くすなんて事は滅多に無いので、俺の人権もきっと大切に保管してくれているに違いない。
「今日は学校から直帰することを約束したら解放してあげる」
「花ちゃんとの約束は?」
「私のパンと花実さん、どちらを取る?」
「パン」
「私が帰ったら用意するから、約束して」
「了解!」
直帰すればパンを作って貰えるってわけか、楽勝!
花ちゃんには悪いがパンが優先だ!
それに、俺の人権は雫の物らしいしな!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます