次から次へと
約束の週末が来てしまった。
俺と雫は今、電車の中で揺られている。
隣町にある動物園に向かっているのだが、車内でも注目を浴びていた。
その理由というのが隣の――。
「なに?」
おめかしした
美人なのも大変なのだろう、こんな風に視線を集めているのだ。時に不快に思うことが多いのかもしれない。
俺だって綺麗なおっさん以外の視線にはあまり慣れていない。
だから、今日の雫は様子がおかしいのだろう。
登校の時とは違い、俺にぴったりと付いて来る。
手を繋ごうとするし、腕を組む時もある。
雫、そういうのが余計に目立つ行動なんだぞ。俺も温かくて安心するけど。
「雫。やっぱり動物園行くのやめるか?」
「何か不満?」
「家でゲームしたくなって来た」
足を踏まれた、体の中がめりめり鳴いている。
こういう時の雫は思考が読めない。
いや、読めた事なんて無いけど。
動物園に行くというのに、雫は仏頂面だ。
楽しさというのが微塵も伝わってこない表情に、俺が思う動物園好きも疑わしくなってきた。もしかして俺の勘違いで、本当は水族館の方が好きだったとか?
でも、チケットは千切られたしな…………。
思えば永守梓とその後にデートの約束をしているが、最近は一人ゲームが出来ていない気がする。
いや、別の事を考えるのは止めよう。
今は雫が楽しめるように動物園について考えるんだ。
俺も久しぶりにラクダに会えるんだから。
「雫ってさ、動物では何が好き?ライオン?」
「…………
「犬か。そんなに好きなら親に頼めば良いのに。あの両親なら雫の願い何でも叶えそうだけど」
「一匹厄介なのを面倒見てるから」
雫をして厄介な犬と言わしめるとは、よほど手古摺らせれているんだろう。
そこまで難儀な性格をしているのか。
人間以上の巨体とか、攻撃力が凄い犬種、もしかすると雫が犬と勘違いしているだけで実は狼なんじゃ……?
俺が会ったら一瞬で首を噛み砕かれそうだ。
因みに俺は猫が好きだ。
いつもツンツンしてるし、よく引っ掻いて来るのに時折それが嘘のように甘えて来る事がある。そこが可愛くて、ついつい猫を甘やかしてしまう。
「大志。次の駅で降りるよ」
間もなく電車が駅に停車し、開いたドアからホームへと出る。
休日とあり、かなり人は多かった。
恐らく、この内の多くが動物園に行くのかもしれない。
小学生以来とあって俺も楽しみだ。
改札を抜ければバス停広場があり、それを迂回して行けば商店街の一本道が続く。賑わう店内を横目に進んで行けば、緩やかに傾斜が上がっていく丘の上に動物園の入り口はあった。
こんな道だったっけ、というか以前に来た場所は隣町じゃなかったような。
「この動物園、前来た所と違うのか?」
「あそこは閉鎖になった」
「マジか!?」
「だからここを選んだのよ(知り合いと遭遇して邪魔されると煩わしいから隣町にした)」
悲しいな、思い出の地はもう無いのか。
あそこの唾を吐き捨てて来たラクダも故郷に帰ったのだろうか、リストラって動物にもあるとか初めて知った。
まあ、この動物園で新しい絆も出来るだろう。
「よっしゃ、楽しもうぜ雫」
張り切る俺の言葉を無視して雫は進んでいく。
どうやら本当に楽しんでいるようだ。俺の声が聞こえないほど集中している。
よほど見たい動物でもいるのか。
入場料を払って、俺たちは配布されるパンフレットを見た。
ラクダはいないが、キリンの餌やりなどがあるようだ。
「雫、キリンの餌やりしたい」
「ダメ」
「何で?」
「アンタの事だから指先まで食われるでしょ」
その予測には俺も一言申したかった。
如何によく転んだり雫に殴られたりと不運な男だからといって、動物園に来てまでキリンに捕食されるなんて事は――。
「食われたな」
俺は唾液だらけとなった手を見つめる。
雫に言われて洗ったが、指先から漂う芳醇な香りは落ちない。
だが、噛まれた後に舐られたりした様子を見ると俺は嫌われているのではなく好かれているのでは?
やはり、ラクダのあの唾も親愛の証。
雫に睨まれたら何故かキリンが離れていったが、あれは何のアイコンタクトなのだろうか。というかキリンと意志が通じ合ってる雫が羨ましい。
「すまん雫、待たせたな」
「臭いから暫く近付かないで」
そんなに臭うだろうか。
確かに鼻に来る臭いだが、意外とクセになる。
「どうしてこんな臭いがするんだろうな?」
「キリンも反芻するからじゃない?」
「半数?」
「一度飲み込んだ物を口内に吐き戻して再び咀嚼し、また飲み込む作業を繰り返す事」
「すげーな、何回でも美味しい物を味わえるのか! 俺もやってみるわ!」
「私の料理でそれをやったら、今度から点滴か流動食にするから」
どうしてだ。
美味しい物を何度でも味わえる画期的な方法だと思うのだが…………。
まあ、最悪は雫に飯を抜かれてもカップ麺があるのでトライしてみよう。
気を取り直して、俺と雫はトラのスペースへ向かった。
トラも多少は攻撃力と大きな図体がやや怖い印象を受けるが、よく見れば猫なので可愛いと思っている。
檻に囲われた広いスペースは、内側が下に沈んでいる上に柵との間に深い溝が設けられており、中央で寛いでいるトラ達が見下ろせるようになっていた。
デカいな、あれ。
下手したら雫より小さい。
「トラも可愛いな、雫」
「そうね」
雫は隣で俺を見ながら答えた。
眼球は明らかにこっちを向いているのだが、もしかしたらその目にはトラが見えているのかもしれない。
末恐ろしい幼馴染だ。
「おおい、大志!」
「あん?」
トラを眺めていた俺の後ろから声がかかる。
振り返ると、そこに憲武がいた。
「おお、憲武?」
「珍しいな? 休日は家でゲーム三昧のお前が動物園なんて」
「憲武は何してるんだよ。デートか?」
「合コンで約束した女の子にドタキャンされて絶賛一人で動物園巡り」
「なるほど」
ドタキャンって何だ?
聞いたことのない単語に疑問を覚えながら、取り敢えず一人で動物園を楽しんでいる憲武を災難だと思った。
周囲を見ればカップルしかいない。
この状況では一人を満喫するしかない。
「んで、大志は一体――」
憲武はそう言って、俺の隣を見た瞬間に固まった。
その先では、雫が興味なさげに憲武を見ている。
「お、おおおい! 大志、なぜこのお方がここに!?」
「雫と一緒に動物園に来てるんだよ」
「デート!? くっ、羨ましいな畜生! 裏切り者!」
「デートではないぞ。あ、寂しいなら憲武も一緒に回グファッ!!!!」
見えない速度で顎に何かが激突した。
憲武にも分からなかったようで、突然奇声を上げた俺に瞠目している。
隣では一人だけ冷静な雫が憲武に頭を軽く下げた。
「ごめんなさい。一人動物園巡りのお邪魔でしたね? 失礼しました」
俺の腕を引いて雫がその場を離れようとする。
すまん、今ちょっと眠くて意識が飛びそうになるからそっとしてくれ。
そんな俺を顧みず、ずんずんと進んでいく雫だったが、足を止めて舌打ちする。
「どうした、雫――――」
「もしかして、夜柳さんと大志くん?」
呼ばれて声のした方を見ると、そこには見たことのある顔が立っていた。
「久しぶりだね、二人とも」
肩上で切り揃えた黒髪を揺らして朗らかに微笑む少女は……誰だ。
「んー、と……」
「瀬良花実、だよ」
「あ」
中学校時代の同級生の友人、唯一俺に告白してくれた女の子。
忘れてはいないが、記憶の中の彼女と別人に過ぎてぱっと見では思い出せなかった。
隣にいる憲武が驚いているが無理もない。
一目で分かる美少女である。
俺もそんな姿にめちゃくちゃ冷静だ。
何せ中学校時代は眼鏡をかけて、前髪で目元を隠していた姿が印象的な女の子だったのに。
今は眼鏡も無く、ぱっちりとした目が見えている。
明らかに別人だが、そのやや低い声が特徴的で俺は十秒で彼女だと分かった。
「よう。花ちゃん久しぶり!」
「そのリアクション、私のこと忘れてたでしょ大志くん」
「十秒で思い出せたから忘れた内には入らない」
「相変わらずだね」
微笑む彼女を見て、俺は安心する。
その仕草や柔らかさは中学校から変わらない。
雫もきっと、そんな久しぶりの級友との再会に喜んでいるだろう。
「次から次へと…………」
うん、喜んでいるようで何よりだ。
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