スイッチ・オン



 決戦の放課後。

 憲武の提案で俺は校門前にいた。

 特に使命感は無いが面白そうだから実行する事にしたのだ、あの『雫とデート作戦』をな。

 まあ、どうせ盛大に殺されるだけだから別に大丈夫だ。

 雫によると、『大志は私に殺されても死なない体質だから』と言われた。その代わり、事故ったら普通に死ぬらしい。

 まさか生まれながら生態が雫と繋がっているとはな。


 憲武の意図は『決着』が目的らしい。

 幼馴染という曖昧な言葉で片付けた関係ではなく、実際にお互いを異性として見た場合の反応を量る為にデートに誘う行為をするのだという。

 俺のデート体案に雫が揺らぐならば、それは脈アリ。

 無ければ、それこそ永遠の友達。

 俺は別にどちらでも構わんのだが。


「上手くいったら面白いな」


 遠くでは確認の為に憲武と数名が隠れている。

 どんな反応をするか見たいらしく、遠くから観戦する態勢だ。

 でも命が惜しいからどんな結果になろうと前には出てこないらしい。何故だ。


『いま校舎を出た』


 雫からメッセージが届く。

 生徒会長の任を引き受けている彼女の忙しさは知っている。俺の家で書類を広げている事も屡々あった。

 差し入れにミルクティーを淹れたら「それオレンジジュース」って言われたけど、アレは何のギャグだったんだろうか。





「大志、お待たせ」


 いつもの如く冷たい顔の雫。

 疲れ気味なのもあって目つきは悪い。

 怖すぎて心臓がきゅんって鳴った気がした。正直、今すぐにでも目を逸らしたい。

 この状態でデートに誘う、か。

 如何に俺がアホといえど、タイミングは見計らわなくてはならない。

 デートに誘うのにはヌードが大切とか言っていたし。俺、鍛えてないから体に自信ないんだけどなぁ…。。

 あれ、ムードだっけ?


 俺は予て用意していたコーヒー缶を渡す。

 雫はそれを受け取ると渋い顔になった。


「これ、リンゴジュース?」


「よく見ろよ、コーヒーに見えてきただろ」


「バカも大概にしなよ」


 吐き捨てるように言いながら雫は缶を開ける。何だかんだで文句を言いながらも飲むんだよなコイツ。

 一息で飲み干すと、ぐしゃりと手の中で缶を捻り潰した。

 すげ。


「それにしても珍しい」


 二人で校門から歩き始めると、雫がぽつりと言葉をこぼす。


「何が?」


「アンタから一緒に下校しようって誘って来たの、四年前の十月二十八日の十七時六分二十三秒以来でしょ」


「そんな昔だっけ」


 四年前って言ったら、俺はまだ幼稚園生だぞ。

 あれ、中学生だったような…………ダメだ、計算ができなくなってきた。

 しかし、秒単位で記憶しているなんて流石だな。

 中学の頃は、話しかけてきた同じクラスメイトの男子に『誰?』って言っていたのに。


「何で誘ったの?」


 再度雫が俺に問う。

 どうするか、本当の事を言うにはまだ早いな。

 取り敢えず適当な理由を――。



「雫にデートを申し込もうと思って」



 あ、口に出ていた。

 俺は思わず頭の旋毛を手で覆う。あれ、俺の旋毛って何処だっけ。

 最初から躓いてしまうとは、案外俺も冗談とはいえ緊張していたのかもしれない。

 でも、あのいつもの雫ならば「無理だから」の一言で切り捨ててくるだろう。


 俺はちら、と雫の顔色を窺う。


 雫はただ――微笑んでいた。

 そっと耳に手を伸ばして来ると、耳朶を指で挟んでぐいと引き寄せられる。

 痛い、めちゃ痛い。

 俺って耳が敏感なのかもしれない。


 痛みに堪える俺の耳に、雫も口元を寄せる。



「冗談なら後ろで尾行してる四人を明日から学校に来れなくするけど?」


 うわお、バレてるぅ。

 やはり雫には後頭部に第三の目でもあるのだろうか。


「凄いな雫! 冗談だと見抜くなんてやっぱ天才かオマエ!」


 称賛の声を上げると、雫の目が細められる。

 何か耳朶が潰れる勢いで指圧が強くなった気がした。

 正直、何か痛みも薄れてきて目がチカチカして来ている。


「私、いま凄く機嫌悪いんだけど」


 雫の声に俺ははっとする。

 機嫌が悪い――と雫が自ら口にした時は、最高潮にキレている兆候だ。

 相当な疲労を抱えた上に、下校中に俺の下らない遊びに巻き込まれた所為かもしれない。

 これは、俺が責任を取るしかないな。


「やっぱ疲れてんのか。仕方無い、帰ったら俺が肩揉んでやるよ」


「要らない」


「じゃあ、この前のお返しで背中流すぞ」


「今日はいい」


「飯作ってやる」


「火事になるから却下」


「じゃあ何か俺に出来る事はないのか?」


 悉く拒否されて俺は諦め気味に尋ねた。

 無力感に打ち拉がれて興奮している俺に、雫は無言で何かを差し出して来た。

 受け取って見ると、水族館の無料ペアチケットのようである。

 水族館か、俺があまり行きたいと思わない場所だ。

 海の生き物より深海魚の方が好きなのだから。


 しかし、何故こんな物を俺に与えるのか。


 まさか――。


「これで私と――」


「これで誰か女の子を誘って、雫離れを証明できたら許してくれるって事か!?」


「……………………………………………………………は?」


 耳朶にさらなる力が加わる。

 もう凹んでるどころではなく、加圧され過ぎて印刷用紙レベルにまで薄くなっているのではないだろうか。

 そんな不安もありながら、俺はチケットを見つめる。


「雫、でも本当にこんな物を貰っても良いのか?」


「返して」


「え゛っ?」


「私以外と行くんだ、水族館に?」


 瞳孔が開くとはこういう事だろうか。

 凄い眼力に射竦められた俺の足の震えが止まる。


「そりゃ行くだろ。雫と一緒に行くなら水族館じゃなくて動物園が良いし」


「………何で動物園?」


「小学校の時に一緒に行った動物園で、雫が楽しそうにしてたから好きなんだと思って。雫を本気で誘うなら動物園に決まってる」


 雫は動物が好きである。

 殆どの人は知らないが、かなりの猫好きだ。

 ライオンを見ている時は特に目付きが険悪になるほど見入る。あのときの雫に近づく人間がいなくて、暫くライオンのスペースに二人だけという謎の空間が完成した。

 因みに俺はその日、ラクダに唾を吐きかけられて以来、ラクダが好きになっている。


「雫は動物園、好きだろ?」


「…………」


「どうした? ―――あ!?」


 何を思ったのか、唐突に雫がチケットを破り捨てる。

 止める事も叶わず、俺が千々に切れた紙片となってしまったそれを名残惜しく見ていると、雫の手が耳から離れて頬を包むように滑る。



「なら週末、久しぶりに二人で動物園ね」



 雫にそう言われて、俺は首を横に振った。

 週末は金髪女子の所で一緒にゲームでもしようかと密かに考えていたのだ。

 動物園であろうと水族館であろうと、週末はゲームにすると決めている。


「週末はきっとそんな気分じゃないから遠慮しとく」


「私の機嫌、直してくれるんでしょ?」


「おう」


「なら拒否権無し」


 雫に決定を言い渡され、俺は仕方ないと肩を落とす。

 動物園って臭いけど可愛いんだよな皆。特に唾を吐いたラクダのブサカワな顔は、今でも忘れられない。


 週末は久しぶりに雫との動物園。

 行きたくはないが悪くはない。


「よし、じゃあ――」


「せんぱーーーーい!」


「あん?」


 後ろからした声に振り返ると、校門から走って来る永守梓の姿が見えた。

 追いついた彼女は、呼吸を整えながら――雫と同じチケットを俺に手渡して来る。


「友達に貰ったんですけど、良ければ週末一緒に水族館へ行きませんか?」


「いいよ」


 俺は即答で了承する。

 

「ごめんなさい、永守さん。大志はもう予定が入っているから」


「でも本人が了承してましたよ」


「察してあげて。彼、少しアレだから」


 しゅんと寂しげな梓に手を差し伸べたくなったが、俺の肋をへし折る強さで脇を鷲掴みにしてくる雫の手には逆らえない。

 擽りたいのだろうが、下手すぎて爪も立ってるし骨軋んでるし痛い。

 それより、俺の説明で『俺はアレ』とはどういう意味だろうか。


「じゃあ、いつなら行けますか?」


「週末は雫と遊園地だけど、その後ならいつでも大丈夫だぜ」


「私と行くのは動物園ね。何ですぐ忘れるのバカ」


「本当ですか! 絶対に約束ですよ!」


 梓がぱっと顔を輝かせる。

 立ち直りの早さに驚きつつ、俺は胸を撫で下ろした。

 可愛い後輩を悲しませたまま帰る事はできない。


 梓は用件が済んだのか、一礼してからバス停に戻っていく。

 それを見送った俺と雫は再び家を目指した。


「私と動物園に行った後、永守さんと行くのね」


「女の子とデートしたいしな」


「私との動物園は、デートじゃないの?」


 その質問に俺は理解できず小首を傾げた。

 雫との外出が、どうしてデートと呼ばれるのだろうか。


「姉弟みたいに育ってきた俺たちのそれは、もはや家族連れの外出だろ」


「…………そう」


 その一言に雫の目が仄暗く光る。

 あれ、何かのスイッチが入ったような手応えが俺の中に生まれた。

 良くない物を刺激した時に似ている直感から来る何か。



「週末が楽しみになってきたわ」



 同意見だ。

 週末の動物園が楽しみになってきた。






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